君のいる場所16
アリオスの執務机の上で小さな電子音が鳴った。
「よ~し、今日の執務は終わりっと。」
アリオスはそう呟くと、いそいそと帰り支度をした。
「お前は今日も残ってくのか?」
そう問われたアンジェは、慌てて読みかけの報告書とアリオスの顔の間で視線を行ったり来たりさせた。
「これだけ片づけちゃうから待ってて!!」
いつもと違って随分と勢い込んでいるアンジェに一瞬目を丸くしたアリオスだったが、クッと喉奥で笑うと戸口の脇の壁に凭れた。
「叫ばなくても待っててやるから、さっさと片づけろ。」
小さく頷くアンジェを眺めながら、アリオスは今夜のメニューのことを考えていた。
「今日は俺の誕生日だから、ご馳走を作ってアンジェとミニパーティーだな。」
そう心の中で呟いて、アリオスはそっと笑みを浮かべた。
本来、自分の誕生日に自分でご馳走を作るというのは変ではあるが、アリオスにとってこの日は自分が生まれた日と言うより、アンジェが自分の魂をこの宇宙に導き転生させてくれた日である。アンジェの傍で生き直したいと自分だけが願ったところで、到底こんなことは実現したはずがない。彼女の想いが強かったからこそ、自分は今ここに居られるのだ。アンジェはアリオスに対して「生まれてきてくれてありがとう」と言ってくれるが、アリオスはアンジェに「生まれさせてくれてありがとう」と思っている。まぁ、面と向って頻繁に言えるようなことではないが…。
そうこう考えてるうちにアンジェは読みかけだった報告書の決裁を終え、踊るような足取りでアリオスの元へ駆け出した。
「お待たせ♪ それじゃ、会場へ行きましょうか。」
「会場って何のことだ?」
アンジェはその問いには答えず、「家に帰るんじゃねぇのか?」と顔に書かれたアリオスの腕を抱えるとそのまま引っ張って研究院の会議室へと向かった。
会場へ入ってアリオスは驚いた。そこには、レイチェルとエルンストの他に、守護聖6人とセイランとメルが居たのだ。
「一体、何だってんだ?」
会議机の上には数々のパーティー料理とケーキが置かれている。そのケーキの上には、チョコレートで文字が書かれていた。それは、見間違いでなければ「HAPPYBIRTHDAY TO ARIOS」と読める。
「もしかして、これって俺の誕生日パーティーか?」
まさかと思いながら呟いた言葉に、セイランからはっきりと答えが返ってきた。
「正解。首謀者はアンジェリークだよ。君に気づかれない様にみんなで協力してあげたのさ。」
「だって、私が準備したら絶対バレちゃうもの。」
アンジェは、協力してくれたセイラン達に感謝と申し訳なさを感じると共に、アリオスにバレずにここまで来られたことに喜びを感じていた。
そんなアンジェを、アリオスは驚いたような顔で見つめた。そして、さも感心した風に言う。
「お前、学習能力有ったんだな。」
これには、アンジェのみならず他の者達からも抗議の声が沸き上がった。
「酷いわ、アリオス!!」
「彼女に学習能力がなかったら、僕の立場は何なんだい?」
「アンジェは、この天才の誉高きワタシに女王試験で勝利したんだヨ。」
その他もろもろ、口々に発せられる抗議が一段落したところでアリオスは耳から手を放すと、今度は呆れた風に言った。
「そうは言うが、俺が知ってるこいつって、今まで学習能力感じられなかったんだ。」
すぐドジ踏むし、同じミスを繰り返すし。あの戦いの時だって、あんな裏切り方をしてもまだ甘いこと言ってたし。
「虚空城でお前らがバラバラになってうろついてる時に、俺を見つけたこいつが真っ先に何て言ったか知ってるか? 「戻ってきて」だぜ。」
いくら仲間だった時の姿を取っていたからといって、裏切った相手に「信じてるから戻ってきて」と真剣に言うような女の何処に学習能力があると思えようか。
「へぇ~、君、そんなこと言ったんだ。」
セイランも呆れた風にアンジェを見た。
「だって、本当に戻ってきて欲しかったから…。」
アンジェは焦りながら言うと、アリオスを上目遣いに睨んだ。
「それで、そんなこと言われた君としてはやっぱり彼女を諦めきれずに、結局は自らを葬ったって訳?」
面白そうに問うセイランに、アリオスは軽く笑って答えた。
「いや、心が動かなかった訳じゃねぇけど、やっぱり決め手は戦いの後の…。」
「きゃ~、言っちゃダメ~っ!!」
答えかけたアリオスをアンジェは慌てて制した。正面に駆け込み、手を伸ばしてアリオスの口を押さえる。だが、その手を軽々と外すと、アリオスは莫迦にしたような笑みを浮かべた。
「クッ、言わねぇよ。勿体無くて、こいつらなんかに聞かせられるかって。」
恨めし気に睨むアンジェを前に、アリオスは「やっぱり、こいつってどこかに学習能力落としてきてるぜ」と楽しそうに笑った。
「はいはい、惚気はそこまでだヨ。そろそろパーティーを始めましょう。」
つられて笑い出した面々がひとしきり笑いを収めたのを受けて、レイチェルがパンパンと手を鳴らした。
パーティーが始まって、思い出したようにアリオスは呟いた。
「それにしても、随分と御大層な面子が揃ってるな。」
「ここまで大袈裟にするつもりはなかったんだけど…。」
声をかけたのはエルンストとマルセルとメルとセイランだけのはずだった。アンジェは、時々遊びに来ているマルセルやメルにお祝いのケーキの作成と軽食の手配を、同様に頻繁にこちらへやってくるエルンストとセイランに会場の準備を依頼して、ささやかなパーティーを催すつもりだったのだ。それが何故こんなことになったのか。アリオスは心当たりに視線を流した。
「ふふふ。どうやらバレてしまいましたね。本当に彼は正直者ですから。」
「リュ、リュミエール様っ。それは…。」
慌てるエルンストを見ながら、アリオスは「やっぱりな」と呟いた。正直者のエルンストが次元回廊の使用許可申請書の目的欄に『アリオスの誕生日パーティー出席のため』とか何とか書いたのだろう。
そんなエルンストを見て、マルセルは言う。
「あれって、『私用』って書くだけで通りますよ。」
行き先や申請者によりけりだがちょっと新宇宙へ行くくらいなら詳細を書かなくても簡単に許可は下りる。そうマルセルやメルが説明すると、セイランが横から平然とした顔でサラっと付け加えた。
「『ないしょ』って書いても通るよ。」
「…それ、本当に書いたんですか?」
エルンストが訝しげに問うと、セイランは涼しい顔で頷いた。
「それが通用するのはセイランさんだけだと思う。」
受理する方にも問題はあるが、そもそも通用するしない以前に、次元回廊の使用許可申請書の目的欄に『ないしょ』と書いて提出出来るのはセイランだけだろう。
メルの言葉に一同が頷きながら絶句したところで、アリオスは軽く溜息をついた。
「はぁ、話が漏れた原因と申請書の書き方が簡単だってのは解ったが、だからってこの面子は何なんだよ?」
普段から交流のあるエルンストやマルセルやメルやセイランはいい。そしてリュミエールやクラヴィスも、まぁ良しとしよう。この2人の場合は、それぞれの恋人の名代とも考えられる。だが、憎からず思ってる程度のルヴァやオリヴィエ、そして個人的に話した覚えなど殆どないゼフェルまで居るとなると、どうにも不思議な気がしてしまう。
アリオスの不思議そうな視線を受けながら、ルヴァが説明を試みた。
「実はですね~、その~。」
「向こうの女王陛下が「出席したい人は行ってらっしゃい♪」って言ったのさ。以上、説明終わり。」
横から言葉をさらってセイランが簡潔に説明すると、ルヴァはそのまま黙ってしまった。そのセイランの説明に、アリオスの疑念は膨れるばかりだ。
「ってことは、これは「出席したい人」な訳か?」
「少なくとも、僕はしたくないことをしてるつもりはないよ。」
セイランはそうだろう。だが、他の者達はどうなのか。アリオスは不思議そうな顔でルヴァ達を見た。
「えぇっとですね~、私は貴方の誕生日をおめでたい日だと思っていますよ。今の貴方の存在はアンジェリークの幸せに繋がりますし、何よりもこの新宇宙に最初の生命が誕生した日なのですから。」
「そうそう。個人的な立場からも育成に協力した守護聖って立場からも、バッチリお祝いしてあげられるよ☆」
「ああ、なるほどね。」
アリオスはやっとこんなに大勢の人間が堂々と次元回廊を渡ってきたことに一応の納得をした。そこで、マルセルがボソッと呟く。
「ランディも誘ったんだけど…。」
公式行事ではないのに執務を切り上げてまで出席するなど言語道断、とばかりに残留するジュリアスにより、オスカーは勿論のこと彼の目を気にするランディも残留と相成った。
「けっ、良い子振りやがってよ。」
ゼフェルが吐き捨てるように言う。だが、彼も口ではそう言いながらも残念に思っているのだ。やはりこういう明るい場では、あの能天気な笑い声が聞こえないと調子が出ない。
素直じゃないなぁ、と言わんばかりの視線を浴びて、ゼフェルは居心地悪そうに更に続けた。
「言っとくけどよー、オレは別に祝いに来たかった訳じゃねーかんな。執務なんつーかったるいことを公然とサボって飲み食い出来るってんで都合がよかっただけだ。」
「もうっ、ゼフェルったら…。それじゃぁ、その手に持ってるのは何なの?」
マルセルに問われて、ゼフェルは慌てて手の中から僅かに覗いていたものを背後に回した。
「これは、その、アレだよ。誕生日パーティー出席ってことになってるから一応、手ぶらで来るのはヤバいと思ってよ。」
ゼフェルは赤くなりながら言い訳すると、改めて手を前に回してその中のものをアリオスに突き出した。
「おめっとさん。」
ぶっきらぼうな「おめでとう」の言葉と共に差出されたプレゼントを、アリオスはそっと受け取った。包装もされていない小箱は、言葉とは裏腹に丁寧に作り上げられた代物と一目で判る。そして、開けてみると中から音楽が流れ出した。それを聞いて、アンジェが小さく驚きの声を上げる。
「この曲…。」
そのオルゴールから流れてきたのは、アンジェがあの戦いの後にアリオスのことを想ってリュミエールに協力してもらって作った曲だった。オルゴールにするのに良さそうな曲の譜面をもらいに来たゼフェルに、リュミエールは詳しいことを告げずにこの曲を渡したのだった。
「何て曲かは知らねーけどよ、結構良い曲だと思うぜ。」
「ああ、そうだな。…サンキュ」
つい聞き入ってしまった後、アリオスは小さな声で礼を言って蓋を閉めた。アリオスはこの曲のことを知っていたが、それを知らない者達にここで教えることもないだろう、と秘密の喜びに浸っていたのだ。
ゼフェルがプレゼントを渡したのをきっかけに、他の者達も次々と祝いの言葉と共にプレゼントを差出した。勿論、マルセル達のように最初からプレゼントが皆の目の前に置かれていた者も居たことは言うまでもないことかも知れない。
そしてアンジェは、嬉しそうにプレゼントを受け取ったり料理をつまんだり皆と話をしているアリオスを見ながら、予定より派手になってしまったけれどどうやら今年のパーティーは成功したみたい、とばかりに心の中でそっと安堵の溜息をついたのだった。