君のいる場所9

いつものようにスケジュールの確認のために女王執務室に足を踏み入れたレイチェルは、違和感を感じて部屋に入るなり足を止めた。
「あれ? アンジェは?」
「風邪で欠勤だ。」
即座に返って来た簡潔な答えに納得しかけたところで、レイチェルは再び普段との違いに気付いた。
「ど、どうして…?」
「女王と言えど、風邪くらいひく。」
驚いたような顔を向けるレイチェルに、レイチェルの驚きの原因が違うものだと知りながらも故意に意味を取り違えたであろう答えが返って来た。
「そうじゃなくて、その姿はなんなのヨ~!?」
「何を驚くか。初めて見る訳ではあるまいに。」
確かにレイチェルは、その姿を見るのが初めてではないし、時にはそれの能力を利用さえして来たが、この状況化で見るのは初めてだった。何ゆえに、レヴィアスが書類決裁を行っているのであろうか。
「だって、魔導絡みの報告書なんてないでしょう?」
デスクワークが嫌いなのはアリオスもレヴィアスも同じである。魔導に関しては天と地ほどの隔たりがあるその実力も、書類決裁に関しては全く変わりがない。強いて言うなら、アリオスは不満を口に出すことでストレスを発散させないと続かないが、レヴィアスは黙っていられるのだろう、ということくらいか。にも関わらず、アリオスの手に負えない事態にしか出て来ないレヴィアスが報告書の山に目を通すとしたら、その内容が魔導関係のものである場合くらいしか思い付かない。
「確かに、つまらぬ書類ばかりだな。」
そう答えながらも、レヴィアスは次々と報告書に目を通しては裁可・不裁可に振り分けて流れるようにサインを書き入れていた。
「だが、我でなくば看病と執務を同時には出来ぬ。」
彼は、ここに居ながらにしてアンジェの看病をもこなしていたのだった。

アリオスがアンジェの異変に気付いたのは、朝食の時だった。
普段から寝ぼけた様子でふらふらと食卓につくのですぐには気付かなかったのだが、目の前に置いた皿をボ~っと見ている様子に、ただ事ではないと思ったのだ。
「おい、お前、熱あるじゃないか!?」
言われて、アンジェが「そうかなぁ」と思った時には、アンジェの身体はアリオスに抱えられて寝室へと運ばれていた。そして、驚いて思考が停止している内にてきぱきとパジャマに着替えさせられて、ベッドに放り込まれていた。ハッと気付いて文句を言おうとしたアンジェだったが、その時は既にアリオスの姿はドアの向こうへと消えようとしており、口を開きかけた途端にアリオスの声が飛んで来た。
「卵と梅のどっちがいい?」
いきなりの質問にびっくりしながら反射的に「卵」と答えると、アリオスはさっさと出て行ってしまった。結局、アンジェは身ぐるみ剥がされたことに対して文句を言うタイミングを逸し、そのまま大人しく布団を被ったのである。
それからしばらくしてお茶入りの水筒と卵粥を運んで来たアリオスは、そのままずっと看病すると言ったのだが、熱で更に潤んだ目で「私達の宇宙をお願いね」と言われて渋々一人で出仕するのを承諾したのだった。
だが、アンジェの事が気にならないはずがない。アリオスが出掛けてしまったら、この家にはアンジェ一人が残されることになるのだ。かと言って、彼女を任せられそうな知り合いなど居なかったし、また居たとしても頼むのは御免だった。
そして後ろ髪を引かれるような思いで出かける支度をしたアリオスは、昼食用のおにぎりを届けに行ったアンジェの枕元に妙な物を見つけた。女王としての責任から強がってアリオスを追い出すようにしたものの、実は心細かったのだろう。アリオスの目を盗んでこっそりベッドを抜け出して、どこかから引っ張り出して来たと思われるそれを見て、彼は髪の色を変化させたのだった。

「アンジェの看病って、分身技でも使えるワケ?」
「何だ、それは?」
レヴィアスはやっと顔を上げると、手元の鏡をレイチェルの方へ向けた。
レイチェルが訳も解らず鏡を覗き込んでみると、そこにはレイチェルの顔ではなく、跳ねるように動く何かが映っていた。良く見ると、それはあの事件から戻って以来アンジェが一生懸命作っていた3頭身のアリオス人形だった。
「あれが作ったにしては良い出来だな。」
鼻も口も付いてないし縫い目もぐちゃぐちゃだったが、デフォルメされた可愛い顔としっかりとした作りに仕上がっていて、なかなかに良い出来だった。
「我の力を受けるに充分な出来だ。」
「使い魔、ってこと?」
「そのようなものではない。」
レヴィアスはアンジェが作った物を勝手に使い魔などに仕立てるような真似は出来なかった。ただ、自分を模してアンジェの手で作られた物であるため、かの人形はレヴィアスの力を受け止めて操り人形のように動くことが出来たのだ。
あれが使い魔であれば、命令を与えた後にアリオスの姿に戻っても構わなかった。力を送り続ける必要などないからだ。しかし、人形に力を送り続けなくてはならない以上、彼はレヴィアスで居続けるしかなかった。
レヴィアスの力を受けて、アリオス人形は甲斐甲斐しくアンジェの看病をしていた。枕元のお茶を補充し、アンジェの額や襟元に浮かぶ汗を拭い、布団を掛け直す。冷タオルが乾き温まってくると代わりのタオルを冷蔵庫から出して来て乗せ換え、元のタオルを洗濯機に放り込み、濯ぎと絞りを終えたところで洗濯槽に飛込んでタオルを取り出し、冷蔵庫へ入れて冷やした。更には、アンジェのお気に入りのCDの中から静かな曲調の物のみを選んで、控えめの音で部屋に流した。
「働き者で、結構なことだ。」
鏡に映る自分の分身とも言える人形を見ながら、レヴィアスは他人事のように呟いて、また積み上がった報告書を始末していった。

定刻になるとレヴィアスはさっさと魔導で一気にアンジェの部屋へと転移した。そして、たまたま起き出そうとしていたアンジェを捕まえて、即座にベッドに押し込めた。
「大人しく寝ていろ。」
問答無用でベッドに逆戻りさせられて、アンジェはレヴィアスを睨み付けた。
「何だ?」
「寝てるの飽きちゃった。」
レヴィアスは目を丸くしたかと思うと呆れたように溜息をつき、瞬時にアリオスへと変化した。
「莫迦なこと言ってんじゃねぇ! 病人は寝てるのが仕事なんだ。起き出したかったらさっさと全快しやがれ!!」
怒鳴りつけられてパッと布団に潜った後、アンジェはそ~っと覗き見するように顔を出した。そして、アリオスの顔を見てホッとしたような笑みを浮かべた。
「何だよ?」
「うん。何だか、安心しちゃった。」
「はぁ?」
訳の解らないことを言うアンジェに、アリオスは力が抜けて行くのを感じた。
「あっ、倒れてる。」
唐突なアンジェの言葉に、アリオスがアンジェの視線を追って見ると、そこにはアリオス人形が転がっていた。
「ああ、俺の力じゃ操れねぇからな。」
アリオスは働き者の人形を拾い上げると、それをアンジェの枕元へ置いた。
「ったく、いつの間に作ったのか知らねぇが、随分と面白いことしてくれるじゃねぇか。」
「怒った? あんまり上手く出来てないし…。」
「バ~カ。上手く出来てなきゃ、誰がお前の看病なんか任せるかよ。」
アリオスは笑いながら、アンジェの髪をクシャクシャと弄んだ。
「おっ、熱下がって来てんな。よ~し、もう少し大人しく寝てりゃ起き上がっても良さそうだ。」
もう少しで起きられると言われて喜んだアンジェだったが、その後に続いた言葉で再び熱が上がりそうになった。
「と言う訳で、勝手に起き出さないように一晩中見張っててやるとするか。」
見守られるならともかく見張られたのでは気が休まりそうになかったので、アンジェは焦りまくりながら、すっかり直るまで大人しく寝ていることを誓ったのだった。

-了-

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