君のいる場所8
宇宙が束の間の安定を見せたのを見計らって、アリオスは貴重な休暇をもぎ取った。
いきなり「旅行に行くから支度しろ」と言われてアンジェが訳もわからず荷造りをすると、程なく2人はどこか辺境の惑星にあるのどかな風景に包まれていた。
「ふ~、久々にのんびり過ごすぞ~。」
目を丸くしているアンジェの隣で、アリオスはゆったりと伸びをしていた。
「どういうことなの、これは?」
「どうもこうもねぇよ。見ての通り、旅行だ。」
だだっ広い平原にいきなり連れて来られて「旅行だ」などと言われても、アンジェは状況がちゃんとは飲み込めなかった。
「宿へは簡単に飛べるから心配すんな。」
「宿じゃなくて、宇宙はどうなのよ!?」
「心配ねぇよ。こっちで数日過ごしたところで向こうでは1日と経ちゃしないだろ。」
そう言う問題ではないだろうとアンジェが頬を膨らませて反論しようとすると、アリオスは内緒話を打ち明ける子供のような顔をして続けた。
「大丈夫だって。この休暇は、宇宙の意志の後見付きだからな。」
アンジェはそれ以上の反論を全て飲み込み、口をあんぐりと開けた。
アリオスとアルフォンシアの関係は、決して友好的な始まり方ではなかった。
女王のパートナーとして、宇宙へ向けられる愛情を一身に受けていたアルフォンシアの前に、いきなり現われたアリオス。アンジェに女王の座どころか命さえも投げ出させる程の愛を捧げられたその存在は、アルフォンシアにとって面白いものではなかった。
アリオスは旅の間にアンジェからアルフォンシアの話を聞いてはいたが、所詮はペットみたいなものだと思っていた。ところが出会ったそれは立派に人並みの知能や感情を持ち、アリオスに敵愾心を燃やしているようだった。
それが気のせいでないとわかるのに時間は掛からなかった。何とアルフォンシアは己の立場の強さを背景に、アンジェの見てないところでアリオスに嫌がらせまでしてくれたのだ。野原で昼寝をしているとアリオスの頭上だけ雨が降るとか、木陰で本を読んでいると強風が吹き荒れるとか。
まだ不安定な世界だと聞いていたアリオスは、最初はそれがアルフォンシアの仕業だとは気付かなかったが、この宇宙の理を知り犯人の目星がついた。
そうと判ればやられたままでいるのは性にあわない。強かに反撃を、というのがこれまでの常であったのだが、そこでアリオスはふと考えた。アンジェとアルフォンシアの関係を考えると、アルフォンシアを攻撃する訳にはいかない。嫌がらせを止めさせたいが、アンジェに告げ口するというのも大人気ない。獣を相手に本気で怒るのも、プライドが低いみたいでどうかと思う。
なんにしても、この宇宙でアンジェと幸せになる為にはアルフォンシアと友好関係を築くべきではないのかと考えたアリオスは、多少の譲歩をもってアルフォンシア懐柔作戦を決行したのだった。
聖獣とは言え、アンジェの半身である。単純なところはアンジェにそっくりだ。旅を始めた頃のアンジェと似たような扱いをするだけで、アルフォンシアはアリオスに打ち解けて来た。そしてアリオスがアンジェの手伝いをするようになってからは、アルフォンシアは彼にとっても育成のパートナーとなり、その関係はますます友好的になっていった。今では、アンジェを大切に思うもの同士妙な連帯感も感じている。
そんな中、アリオスはアンジェをリフレッシュさせる為と言ってアルフォンシアに休暇の話を持ちかけた。
「ジョオウニモオヤスミハイルヨネ。イイヨ。コッチハマカセテ。」
宇宙の意志を代弁する聖獣が了承している以上、補佐官レイチェルには反対する術は残されていなかった。
「それじゃ、この日は羽根を伸ばさせてもらうぜ。」
とアリオスがアンジェを連れてどこかへ姿を消すのを、止められるものは一人も居なかった。
「そんなとこに突っ立ってねぇで、荷物置いてお前ものんびりしろよ。気持ちいいぜ。」
見渡す限りにどこまでも広がっているかのような草の絨毯の上に、アリオスは無防備に寝っ転がっていた。
「ま、そのまま立っててくれてもいいけどな。眺め良いし。」
ハッとして、アンジェはスカートを押さえて脇へ飛び退いた。
「バ~カ、何慌ててんだよ。この位置で見える訳ねぇだろ。」
「騙したの~?」
「お前が勝手に勘違いしたんだろ。」
咽奥で笑いながら、アリオスは身体を起こした。
「この場所は気に入らなかったか?」
「そんなこと無いけど…。」
「じゃぁ、腹でも減ってるのか?」
そう言えば朝食がまだだったことに気付いて、アリオスはアンジェを促して坂を上って行った。
「ほら、そこに座れよ。」
アリオスはちょっとした腰掛けのように張り出している木の根っこを指差すと、その頭上に生っている果実を適当にもぎ取って差し出した。
豊かな自然に囲まれて済んだ空気に包まれながら食べる果物は、その瑞々しさも相まってか、とても美味しかった。
食べ終えてから、アンジェは改めて辺りを見回し、草原の方を見遣って呟いた。
「何だか、心が洗われるようだわ。」
「気に入ったか?」
「本当に素敵な場所ね。いつまでもこのままでいて欲しくなっちゃうわ。」
しかし、同意を求めるように向けたアンジェの視線の先には、キョトンとしたアリオスの顔があった。
「はぁ…? 何言ってんだ。ここをこのままに出来るかどうかはお前次第だろ。」
「えっ?」
「ここはお前の宇宙だぜ。この素晴らしい風景だって、お前の意志が導き作り上げたものだ。」
機械文明的な発展を望むならそのような方向へ、人の手の介入を極力避けるのであればそうなるように惑星へ力を送るのがアンジェ達の仕事である。もちろん、力を受け止めた惑星が実際にどのように発展するかは定かではないが、女王の意志と大きくかけ離れた方向へ向うことはない。
「そんな不安そうな顏すんな。俺が生まれてからずっと変わらなかったんだ。多分、この先も大して変わりゃしねぇよ。」
「それじゃ、ここって…。」
「ああ、俺が転生した地だ。」
アリオスはアンジェの元へたどり着けるだけの力を取り戻すまで、たった一人でこの地で生きて来た。
目覚めた時には今よりももう少し年若く、まだ少年だったが、既に簡単な魔導なら使えたので生活に困ることはなかった。しかし、全ての記憶をかなり鮮明に残したまま目覚めたため、意識と肉体の感覚の差に戸惑い、思い通りに力を行使出来ぬことに焦りと怒りを覚えた。そんな彼の心を慰めたのが、この風景である。優しく吹き抜ける風にアンジェの息吹を感じ、どこまでも続くかのような草原の緑の中にアンジェの姿を思い浮かべた。その澄んだ空気と静寂の中にあって、焦りや怒りは静められた。朝露を反射して輝くこの世界に、アリオスはどれだけ癒されて来たことか。
「お前が、俺をここへ導いてくれたんだな。サンキュ。」
「ううん。アリオスが自分で辿り着いたのよ。そして私のところまで…。」
気がつくとアンジェは嬉しさのあまり涙が溢れて来ていた。
その風景の素晴らしさもさることながら、アリオスが自分の過去を打ち明けてくれたことも理由の一つだった。今まで、「話す程の冒険談はねぇよ」とか言って、アンジェと再会するまでのことは何一つ話してくれなかったのに。
「泣くな。ったく、俺はお前を泣かせる為にここへ連れて来たわけじゃないんだぜ。」
「な、泣いてなんかいないわよ。ただ、ちょっと…。」
「目にゴミでも入ったか? じゃ、取ってやるから動くなよ。」
言うなり、アリオスはアンジェの目元に口を寄せた。
アンジェが驚いて目をぱちくりとしてから真っ赤になって振り上げた手を易々と押さえると、アリオスは「どうやら、ゴミは取れたみたいだな」と楽しそうに笑ったのだった。