君のいる場所7

夕食の支度をしながら雑誌を読んでいたアリオスは、読み進むにつれてそれらを床に叩き付けたくなっていった。アリオスは普段はこのような週刊誌には目を通さないのだが、必要に迫られてアンジェの買っている雑誌を手に取ったのだ。しかし、それらはアリオスの困惑に拍車をかけるばかりだった。
この時期の雑誌にはホワイトデー特集が満載である。
先月アンジェからチョコケーキを貰うまでバレンタインを知らなかったアリオスは、当然ホワイトデーなど知っている訳がなかった。当日が目前となったつい最近になってレイチェルにからかわれて初めてその存在を知ったのだ。しかし、知ってしまったからにはちゃんとプレゼントを渡さなくてはと思ったところで、ある問題に直面した。バレンタインといえばチョコレート、というセオリーがあるようにホワイトデーのセオリーは一体何なのだろうか。アンジェの事だから、何を貰っても嬉しそうに受け取るだろうが、定番のものがあるのならそれを渡すのが良さそうだ。
そんな訳でアンジェの雑誌に手を伸ばしたアリオスだったが、雑誌毎に書かれている内容は様々だった。単にいろんなものが挙がっているだけなら構わないのだが、ある雑誌では推奨しているものが、別の雑誌では避けるべきものとして挙げられているなどしていて、どれが正しいのか皆目検討がつかなかったのだ。
「ったく、どうしろってんだよ。」
シチューをかき回す手は休めずに、アリオスは雑誌を取っ替え引っ替えしてプレゼントの選定に頭を悩ませた。
とりあえずマシュマロは自分が大っ嫌いだから没にするとして、クッキー、キャンデー、ホワイトチョコ、レースのハンカチ、香水と様々な説がある。手っ取り早いのはクッキーを焼くことだが、これこそ評価が最も別れている問題の物品だった。ならば、キャンデーかホワイトチョコを買うかと思っても、キャンデーは義理返し説が最も多かったし、アンジェはホワイトチョコがあまり好きじゃない。レースのハンカチや香水は、アンジェに似合うとは思えなかったし、第一あれだけ苦労した手作り品を貰っておいて、市販品で済ませるのは気が引けた。
「白きゃいいなら、いっそミルクプリンかババロアでも作ってやるか?」
そこまで考えた時、鍋の中をかき回す手が程よい煮詰まり具合を知らせて来た。

夕食の途中、スプーンを持ったまま眉間にしわを寄せているアリオスに、アンジェは真剣な顔で詰め寄った。
「私、何かした?」
アンジェが厄介事を抱え込んだ所為でアリオスがこんな表情をすることは今までにもあったが、どんなに胸に手を当てて考えても、アンジェはそんなことをした覚えはなかった。
「…はぁ?」
「あなたを困らせるようなこと、何かしちゃったのかしら?」
心当たりはないが、気付かぬうちに何かやっていたとしても不思議はない。何しろ今までだって、それが厄介事を引き起こすとわかっててやったことなど滅多にないのだから。
「いや、別に…。」
アリオスは手の中のスプーンを弄びながら、アンジェから目を反らした。
「だったら、何か悩みでもあるの?」
「悩み、か。そうかもな。」
確かに、アリオスは深く思い悩んでいた。
「私に話せないようなこと?」
アンジェは悲しげな顔をして俯いた。
「…おい。」
「私なんかじゃ頼りにならないだろうし、話しても仕方ないのかも知れないけど、でも話して欲しいの。おままごとみたいな夫婦かも知れないけど、私はあなたの妻のつもりだし、あなたのこと大切に思ってるのよ。そりゃ、端から見たら粗雑に扱ってるように映るかも知れないけど…。」
「いいから、黙れ。」
アリオスはスプーンでシチュー皿の縁を叩いて、一人で勝手に世界を作っていきそうなアンジェを黙らせた。
「ったく、一人でベラベラと、妙な心配してんじゃねぇよ。」
アリオスは悩むのがバカバカしくなって来た。
「お前、ホワイトデーに何が欲しいんだ?」
「ホワイトデー? それで、悩んでたの?」
アンジェは目を丸くして顔を上げた。
「笑うな!」
そう言われても、アンジェはアリオスの先程までの真剣な悩みようと自分の杞憂が可笑しくて、すぐには笑いが止まらなかった。
アンジェが笑い止むのを待って、アリオスは再び問いかけた。
「それで、何か欲しいものあるか?」
「アリオスが選んでくれたものなら何でも良いわ。」
予測しなかった答えではないが、それでは困る。
「お前がそういう奴だから悩んでるって、解ってて言ってんのか?」
「でも、本当に何でも良いのよ。決まったものがある訳じゃないし、手作りのお菓子なら最近はよく作って貰ってるし、アリオスが傍にいてくれるだけで私…。」
言いながら、アンジェは涙ぐんで来た。
「何泣いてんだ?」
「ちょっと思い出しちゃって…。もう、消えちゃったりしないでね。私の一番の望みはあなたと一緒にいることなの。それさえ叶うなら…。」
「バ~カ。俺の一番の望みもお前と一緒に居ることだぜ。殺されたって消えたかねぇよ。」
完全に泣き出してしまったアンジェを慰めながら、アリオスはホワイトデーのプレゼントを思い付いた。

ホワイトデー当日。
夕食の後、アリオスはアンジェが眠り込む前に急いで後片付けを終え、レヴィアスの姿になると有無を言わさず宇宙間転移の魔導を発動させた。
「もう、目を開けてもいいぜ。」
アンジェが目を開けると、彼は既にアリオスの姿に戻って居た。
「風邪ひかねぇように、これでも着てろ。」
そう言って差し出されたコートを纏ったアンジェだったが、そんなもの1枚では大した防寒にならないくらい寒かった。
「離れるな。冷えるだろ。」
「どこなのよ、ここは?」
いきなりこんな寒いところに連れて来られて、アンジェはちょっと不機嫌になった。
「そう焦るな。もうすぐ解る。」
アンジェの問いに答えず、アリオスは吹き付ける寒風からアンジェを守るようにその身をすっぽりと腕の中に包み込んだ。
「ちょっと、アリオス…?」
「もう少しの辛抱だ。」
何がもう少しなのか良く解らないまま、アンジェは大人しくアリオスの温もりに身を任せていた。
それからしばらくして、アリオスが空を見上げて呟いた。
「始まったな。」
「えっ?」
「ほら、見てみろよ。」
アンジェが顔を上げると、空には美しい光のカーテンが広がっていた。
「あれは、オーロラ? それじゃ、ここは…。」
「白き極光の惑星。」
アンジェの脳裏に浮かんだのは、転生前のアリオスと交わした約束。
あの時は約束が果たされることなく別れが訪れたが、アリオスが生まれ変わった今、こうして2人でオーロラを眺めることが出来た。
「約束を守ってくれたのね。」
「いや。誘ったのは俺だから、まだあの約束は有効だぜ。見たくなったら遠慮なく誘えよ。」
「それじゃ、これは?」
「ホワイトデーのプレゼントがこれじゃ、ダメか?」
ちょっと不安げに、だがどこか不敵な感じの笑みを浮かべて、アリオスはアンジェの顔を覗き込んだ。
「ダメな訳ない! とっても嬉しいわ!!」
アンジェは寒さを忘れてアリオスの首に飛びつき、アリオスはその勢いを利用してアンジェをお姫様だっこすると家に帰るまでそのまま離さなかったのであった。

-了-

indexへ戻る