君のいる場所4

「もうすぐ、クリスマスね。楽しみだなぁ。」
執務室のカレンダーを見ながらアンジェはアリオスに同意を求めたが、曖昧な相づちが返って来ただけだった。その反応の鈍さに、アンジェはある可能性に思い当たった。
「もしかして、アリオスはクリスマスを知らないの?」
「少しは知ってるぜ。七面鳥の丸焼きとかの専用料理を並べて騒いだり、プレゼントを交換する日じゃなかったか?」
それから、怪しい扮装の爺さんが子供にお菓子をくれたり、街路樹が電球だらけになったり、各地で鈴の音が鳴りまくったり…と次々並べ立てるアリオスに、アンジェは途中でその言葉を制した。
間違いとは言い切れない。しかし、そう表現されると何やら楽しみが半減するような気がする。そしてアンジェのテンションは下降し、そこで少々不安になった。
「まさか、うちの食卓に七面鳥乗るなんてことは…?」
「乗るわけねぇだろ。フライドチキンで勘弁してくれよ。他にもいろいろ作ってやるから…。」
その言葉に、アリオスがクリスマス特別料理を作って2人で過ごすつもりでいることを感じ取って、アンジェのテンションは再上昇した。そして、心がクリスマスの想像に向って羽ばたこうとしたその時、アリオスから発せられた一言に一気に現実へ引き戻された。
「だから、さっさとその書類の山を片付けろ。さもないとクリスマスも遅くまで仕事だぞ。」
アリオスと2人っきりで楽しく過ごすクリスマスの夜を勝ち取るために、アンジェは凄まじい集中力を持って研究院からの報告書を片付けた。

クリスマス当日。
夕方までにきちんとノルマをこなした2人だったが、アンジェはこの後レイチェルと約束があるからとアリオスを先に帰宅させた。今夜の料理の仕上げをした頃にはアンジェの用事の方も終わっているだろうから、その頃迎えに来ようと約束するアリオスに、アンジェは軽く手を振って答えた。
そして、家に戻ったアリオスは手早くクリスマス料理の仕上げをし、ケーキを作りあげると、頃合を見計らって私服とエプロン姿から再び軽鎧とマント姿に戻り、表へ出た。
「随分と冷え込んでるなぁ。」
これまでになかった寒空の下、アリオスが白い息を吐きながら歩いていると、目の前を何かがチラチラと舞い始めた。多少不安定ながらも気象管理されているはずの聖地に、雪が降ってきたのだ。
「雪か…。」
雪の降り始めは、あの夜のことを思い出させる。
『風花の街』で、「雪を見せて欲しい」と部屋に押しかけてきたアンジェ。そんなことで男の部屋を訪ねるなんて、と驚きながらも招き入れてしまった自分。飽きもせずにいつまでも楽しそうに窓の外を眺め続けるアンジェに呆れながらも、アリオスはそんな彼女の姿をずっと見つめ続けていた。
あの時、どうしてアンジェが自分の部屋へ来たのか、今でも不思議に思う。
一緒に雪を見てはしゃいでくれるような奴は、他にたくさん居たはずなのに。あるいは、窓辺で冷え切らないようにとマントや上着を貸してくれたり、熱いお茶を出してくれそうな奴とか…。自分は、ただ黙って勝手に雪を見させてやることしか出来なかった。それでも、アンジェは雪が降り止んだ後、笑顔で礼を言って帰って行ったのだ。そういう性格だとは解っているが、そもそも自分なんかの部屋へくること自体、何を考えていたのやら。
あの時は、自分達がこんな関係になるとは思ってもみなかった。
彼女はエリス復活の為の贄。味方の振りをして近付いて、安心し切ったところで血を採取して、それで終わりのはずだったのだ。後は、エリスの復活までの間生かしてやっておくだけの話だった。
ところが、アンジェはエリス以上にアリオスの心を引き付け、レヴィアスとしての心もまた彼女を求めずには居られなくなってしまった。
「変なやつだよな、まったく。」
それがアンジェのことなのか自分のことなのか、自分でもよく解らないままにアリオスは苦笑しながら宮殿へと急ぎ歩いて行った。

雪を眺めながら、2人だけのクリスマスパーティーが始まった。テーブルを庭に面したガラス戸の前へ移動させ、2人は手分けしてクリスマス料理をセッティングしていった。
「いろいろ作ってやる」との言葉どおり、一つ一つの量は少ないが種類は豊富で、フライドチキンの他、色とりどりのオードブルやサラダ、ミートローフなども並べられた。だが、アンジェが何よりも驚いたのはそこにケーキが運ばれて来たことだった。大したデコレーションもなく、周りをチョコレートでコーティングしてあり、上に色付きチョコで文字やイラストが描かれただけのシンプルなものだったが、それは間違うことなきクリスマスケーキであった。
「そんなぁ…。」
ケーキを眺めながら落胆するかのように声を漏らすアンジェの様子にアリオスが彼女の手元を見ると、何やら箱を大切そうに抱えていた。
「もしかして、それ、クリスマスケーキか?」
「うん。絶対にケーキなんか作ってくれないと思ったから、レイチェルと一緒に作ったの。」
アリオスは今まで一度もお菓子なんて作ったことはなかったから、アンジェは彼がケーキを焼くなんて可能性は微塵も考えていなかった。しかし、クリスマスには付き物だからと食卓に乗せられたケーキは、初めて作られたとは思えないほど素晴らしい出来だった。
悲しげに箱を見つめるアンジェに、アリオスは溜息をついた。
「そんな顔すんなよ。そっちのケーキも食ってやるから。」
アンジェの顔がぱっと明るくなった。
「本当に食べてくれるのね?」
念を押すアンジェに、アリオスは少々不安になった。
「おい、まさか材料の配合を間違えたとか黒こげ半生とかなんじゃねぇだろうな。」
「そこまで酷くないわよ。ただ、アリオスのケーキに比べると出来が悪いだけなの!」
「お前が不器用なのはわかってるしな。食えるレベルの代物なら構わねぇよ。」
箱を抱えて膨れっ面をするアンジェに笑いながら、アリオスは改めて約束した。
しかし、食後にアンジェのケーキを見たアリオスは、箱の中身も見ないで「食ってやる」と言ってしまった己の迂闊さを呪った。
アンジェのケーキは、想像以上にまともな出来だった。レイチェルがどれ程手伝ったのかはわからないが、一般的な手作りのクリスマスケーキとしてちゃんと出来上がっていた。
だが、それだけに余計に始末が悪かったのだ。生クリームがたっぷりと塗りたくられ、中にもしっかり挟み込まれている。もちろん、デコレーションとしてもふんだんに使われている。更に、砂糖菓子が沢山乗って、土台にもバニラビーンズが練り混まれた正統派のクリスマスケーキ。箱を空けてからずっと甘ったるい香りが周囲に漂い続けている。
アリオスは、一目見ただけで目眩がしてくるようだった。
「どうかした?私にしては良い出来だと思うんだけど。甘さも控えめにしてみたのよ。」
早く食べてみてと促すアンジェに、アリオスは何と答えていいものか頭を悩ませた。
いくらアンジェが作ったものだとは言え、このケーキを食べるのは耐えられそうになかった。箱の中を見る前に食べることを承諾してしまったのがそもそも大失敗だったのだ。誕生日にアンジェが作ってくれたのがタルトだったから、うっかりしていた。クリスマスケーキと言えば、こうなって当然だったのに。先に判っていれば、「食ってやる」などとは絶対に言わなかったのに。
今更、どう言えばアンジェを傷つけずにこのケーキから解放されるかとアリオスが思案していると、アンジェが声を掛けて来た。
「アリオス、あ~んして♪」
「あ…?」
反射的に口を空けてしまったアリオスに向って、アンジェは腕を伸ばし、自分のフォークの先に刺したものをアリオスの口に放り込んだ。
そのまま口を閉じたアリオスは、次の瞬間凄まじい吐き気と目眩を感じると、一気に口の中の物をお茶で流し込んで叫んだ。
「お前っ、俺を殺す気かっ!!」
直後にアリオスは「しまった~!!」と思ったが、言ってしまったことはもう取り消しが利かなかった。
「死ぬ程まずかったって言うの!?」
アンジェは目に涙を浮かべて派手な音を立てて立ち上がった。
「そんな言い方しなくてもいいじゃない!アリオスの莫迦っ!!」
そのまま走り去ろうとするアンジェに追い縋り慌てて腕を掴んだアリオスだったが、そこでまた再び吐き気と目眩に襲われた。
強い力で手首を握られて、アンジェはもう片方の手でアリオスを引っぱたこうとして振り返り、空中で手を止めた。
「アリオス、顔色悪いわよ。大丈夫?」
「あまり大丈夫じゃねぇよ。マジで死ぬかと思ったぜ。」
膝を着きながら苦しそうに言葉を吐き出すアリオスに、アンジェは心配と怒りの綯い交ぜになった妙な表情を向けた。
「勘違いすんなよ。別に、お前のケーキの出来が悪かった訳じゃない。ただ、生クリームが…。」
「…苦手なの?」
アリオスは、アンジェの言葉に申し訳無さそうに頷いた。
あの虚飾に彩られた宮殿でケーキと言えば、これでもかとばかりに生クリームで塗固められた手づかみ出来そうな大きさの物体だった。パーティーに出されたり母の部屋へと運ばれる大量のそれに、彼は近寄ることさえ嫌になる程だった。今ではそれ程でもないが、やはり食べるのはかなり辛い。
そんなアリオスが作ったケーキには、生クリームが全く使われていなかった。幾重にも重ねられたパイの間に挟まれているのはカスタードクリームで、外側はチョコレートで飾られている。
「ごめんね、無理に食べさせて…。」
「いや。折角作ってくれたのに、悪かったな。」
約束してしまった手前何と言って誤魔化そうかと悩んだが、さすがにこれはケーキを見た時すぐに言ってしまえば良かったと、アリオスは少々後悔した。
「苦手なのは、生クリームだけ?」
「いや、他にもメレンゲとかマシュマロとか…。」
料理に関してもかなり好き嫌いが激しいのだが、とりあえず自分が家事全般を担当している限りは問題ないだろうとアリオスは言葉を濁した。

口直しをして復活したアリオスは、後片付けを終えて部屋へ上がろうとしてテーブルの端に置かれた封筒を見つけた。
宛名はアリオスになっており、裏を返すとアンジェの名前があった。どうやらクリスマスカードらしい中身を引き出してみると、
 Marrey Christmas♪
 ~貴方だけの天使をプレゼントします

と書かれていた。
「随分と豪勢なクリスマスプレゼントだな。」
にやりとしながらカードを眺めていると、もう1枚、小さなカードがひらひらと床に落ちた。
慌てて拾うと、それはサンタへの手紙になっていた。
「今年のクリスマスには私だけの魔導剣士が欲しいです」と書かれたそれの意味するところは、先程のカードと照らし合わせると自ずと見えてくる。
「クッ、そんなんで良けりゃ望みのままにプレゼントしてやるよ。」
大声で笑い出しそうなのを堪えながらアリオスが寝室へ行くと、ダブルベッドの中でアンジェが丸まっていた。布団をしっかりと握りしめて包まっているその姿に、いざとなると怖くなったのかなと思いながら覗き込んでみる。そして、アリオスは目が点になった。
アンジェは熟睡していたのだ。
「寝つきの良いやつだとは思っていたが…。」
まさか、この期に及んでこうまでぐっすり眠られてしまうとは思いもしなかった。
「ん…アリオス…。」
突ついてみると多少の反応はあったものの、アンジェはまたすやすやと安心し切った顔で寝息を立て始めた。どうやら、慣れない力の使い方をして雪を降らせたため、思いのほか疲れていたらしい。今夜こそは眠るまいと決意していたはずなのに、寒さに負けて布団に入った挙げ句にそのまま眠りこんでしまったのだ。
「嘘つき…。」
アリオスはボソッと言い残すと、いつものように別室へと向ったのだった。

-了-

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