君のいる場所3

暦が11月半ばに入って、アンジェは迫り来るアリオスの誕生日を目前にしてカレンダーを眺めながら溜息をついていた。
何しろ、再会してから初めての誕生日である。より盛大に祝ってあげたい。
ところが、派手に誕生日パーティーを行うという計画には無理があった。
アリオスがアンジェの仕事を手伝うようになった今でも、家事全般はアリオスが担当しているのである。自宅でパーティーを開こうと思ったら、その支度はアリオスがやることになってしまう。これでは全然お祝いにならない。誰かに頼むとしても、アリオスに内緒で準備を進めるのは不可能だ。
アンジェがその日何度目の溜息をついた頃だろうか。
「おい、疲れてるなら無理しないで奥の部屋で少し休んでこいよ。」
さすがにアンジェの様子を不審に思ったアリオスは、執務机の前でファイルと向き合いながら溜息を繰り返すアンジェに声を掛けた。
その声にアンジェはハッと現実に立ち戻った。今は仕事中で、斜向いに設けられた席でアリオスも積み上げられた報告書を処理していたのだ。
「平気よ。ちょっとボ~っとしてただけ。」
「お前がボ~っとしてんのはいつものことじゃねぇか。」
莫迦にされてムッとした顔を見せたアンジェに、アリオスは宥めるような笑顔を返した。
「で、冗談はさておき、難解な報告書でもあったのか?」
そういうのはこっちへ回せって言ってるだろ、とアリオスはスタスタとアンジェの席へ歩み寄った。
普段から、アンジェの手に余るものはアリオスが捌いている。と言っても、決して全ての内容を理解して処理している訳ではなく、専門的なことがダラダラと書き連ねてあるようなものは例え理解できたとしても『再提出』の判を押して「最終的に言いたいことだけ書いてこい」と言う言葉を添えて突き返すのである。そんな形で再提出をさせて尚、端から全文読みながらデータと考察を交互に眺めて必死に解析し直そうとするアンジェが処理していた頃より、遥かに決着が早い。
最近では研究員達もだいぶ書き慣れてきたのか、そんな無駄な報告書も少なくはなったが、それでもまだ時々そうしたものが舞い込むことがあり、それを前にアンジェが固まることもあった。そんな時は、アリオスが気付いて取り上げないとアンジェはいつまでも仕事が進まなくなってしまう。
しかし、その時アンジェの手元にあったのは新しい惑星間航行船の完成報告書だった。
「まさか、こいつに付ける名前を必死に考え込んでたわけじゃねぇだろうな。」
「違うわよっ!!」
アンジェはアリオスから報告書を取りかえすと、さらさらとサインをして処理済みの山に乗せた。
「随分と、船が増えて来たんじゃないか?」
「ええ、あちこちへ研究院の方達を派遣できるようになって、星の様子も以前より分かりやすくなって来たわ。」
その分アンジェ達が受けるべき報告と下すべき裁定も増えてしまったが、惑星が発展してゆく様子をデータだけでなく知らされるのは嬉しくもある。
「でも、やっぱり発展する惑星の数と比べると、まだまだ足りないのよね。」
「贅沢言うなよ。材料も人手も足りねぇんだから。」
さすがのチャーリーもまだ異宇宙間航行船は開発できないらしく、物資の搬入は宇宙軍から派遣された協力者と御用達の運び屋が定期的に限られた時間内に次元回廊を行き来して人海戦術で行っているのである。1度に運べる量には限りがあるし、向こうから移住してくれた技術者達もまだまだ少ない。それでも、彼等は地道に船を作り上げてくれるのだ。
「そうよね。何とかやり繰りして宇宙を導くのが私達の勤めよね。」
アンジェは小さくガッツポーズをすると、次の報告書へと手を伸ばした。

数日後、アリオスの元にレイチェルがやってきた。
「ねぇ、ちょっとこの惑星まで視察に行ってくれない?」
その言葉と共に差し出されたのは、数日前に現地調査の必要有りと判断を下した惑星の資料だった。
「何で、俺が行かなきゃならねぇんだ?」
「だって、足がないんだもん。」
現在、保有している船は全て出払っている。予定では戻っているはずだった船も、磁気嵐を迂回しているため帰着が遅れているのだ。
「戻ってくるの待ってたら、埒があかないしさ。だから、ひとっ跳び行って来てよ。」
「はぁ?」
気軽く「ひとっ跳び」などと言われても、惑星間移動の魔導はそんなに容易いものではない。
「レヴィアスモードになれば、この程度の距離は楽勝よね。」
「レヴィアスモード…って、ひとを家電製品みたいに言うなよ。」
確かにレヴィアスの姿になれば、この程度の距離は大して負担ではない。アリオスと違って、レヴィアスはその持てる魔導力を効率良く最適にかつ余すことなく自由に発動させることが出来る。何故なら、それが本来の姿だからだ。
こちらの宇宙に転生した時のベースはレヴィアス。
しかし、アンジェと共に生き直すために彼はアリオスとしての生き方を選択した。レヴィアスとしてもアンジェを見つめていたいから瞳の色だけは変えなかったが、実質上の第一人格の座はアリオスに引き渡した。
サクリアや魔導を用いる時、新宇宙の皇帝として振る舞わなければならない時など、アリオスとしての自分の手に余る状況になった時だけ彼は元の姿に戻る。
その変化は極わずかな間に行われ、レイチェルに言わせるなら正にボタン一つで簡単に切り替えられるTVやビデオのようである。
「とにかく、アナタなら簡単に調査して来れるんだから、サクサク行って来てよ。」
「冗談じゃねぇ。あいつを一人にしておけるかよ!」
アンジェと一緒ならどこの惑星でも赴くが、一人で調査に行くなどアリオスにとっては決して聞き入れられない依頼だった。
「でも、アンジェも了承済みだよ。」
信じ難い言葉を聞いたアリオスは、即座にレイチェルから資料ファイルを奪い取ると、不安そうな顔で2人を見ていたアンジェに掲げて見せた。
「…アリオスなら、明日のお昼くらいには戻ってこられるわよね?」
そう確認するアンジェの様子に、アリオスは妙な違和感を感じた。
「そこまで急いで調査する理由があるのか?」
資料を見た限りでは、何が何でも一両日中に調査を行わなくてはならないような理由は見当たらなかった。第一、件の惑星はまだ発展し始めたばかりでやっと動物の発生が見受けられるようになったばかりだ。
「そうした方が良いって私が感じてる、っていうのじゃダメかしら。」
アリオスの顔色を窺うようにしながら小声で言うアンジェをしばらく見つめた後、アリオスは両手をあげた。
「お前が望むなら行って来るよ。だが、俺が留守の間大人しくしてろよ。一人でフラフラと出歩くんじゃねぇぞ。」
アンジェが頷くのを見届けて、アリオスは資料を抱えて星の間へ向った。
彼が魔導で転移したのを確認して、アンジェの胸は痛んだ。
アリオスを騙して遠ざけた罪悪感もあるが、何よりこれで明日の昼までアリオスに会えなくなってしまったのだ。自分が望んだ状況とは言え、寂しくないわけではない。
アリオスがアンジェの仕事を手伝うようになる前は、朝出かけてから翌朝目覚めるまでアリオスに会えないことも珍しくはなかったが、それでも会いたいと思えば簡単に会うことが出来た。しかし、今度ばかりはそうはいかない。
「ほら、アンジェったらボ~っとしてないで、今のうちにいろいろ手配しなきゃ。」
レイチェルに促されて、アンジェはハッとした。ぼんやりしていては、何の為にアリオスを調査の名目で追い出したかわからない。
「えぇっとぉ、料理はカフェテラスに頼めばOKだったわよね?」
「うん。後でお茶を飲みに行った時に一声かければ大丈夫だヨ。」
既に、打診はしてある。その点、レイチェルに抜かりはない。
「それじゃ、後は飾り付けね♪」
アンジェはレイチェルを伴って宮殿の一室へ向うと、運び込まれていた段ボールを開けて、部屋の中を飾り立て始めた。

翌朝、執務室の奥の仮眠室でアンジェは目を覚ました。
夕べは遅くまで飾り付けに夢中になっていて、家へ帰りそびれたのだ。否、帰ろうと思えば帰れたが、無理をしてまでアリオスの居ない家に帰る気はしなかったのだ。
誘われるままにレイチェルの部屋で朝食をとると、アンジェはお菓子作りの準備に取りかかった。
「やだぁ、材料が足りない。」
クッキーに使うハーブやケーキに入れる木の実が不足していた。久しぶり過ぎて感覚が鈍っていたらしい。充分あると思っていたものが、作り始めてみると全然足りそうにないことに気付いた。
「確か、裏の森に自生してたはずよね。」
誰にともなく呟くと、アンジェはエプロンを外してこっそり厨房を抜け出した。
邪魔をしないようにと人払いしていたこともあって、抜け出すのは簡単だった。何かとアンジェの行動に目を光らせているレイチェルも、今はアンジェがお菓子作りをする時間を作るために補佐官として女王の執務を代行している。アンジェを止める者は誰一人存在しなかった。
目についた篭を抱えて森に入ったアンジェは、間もなく群生しているハーブを見つけた。嬉々としてそれらを摘み、必要量を確保すると更に奥へと向った。
甘酸っぱい香が漂う一角には、ベリー系の木の実がふんだんに実っていた。
「よしっ、ケーキの中身はこれに変更しちゃいましょう!」
用意していたものとは違うが、同じものは見つかりそうにないしこれはこれで美味しそうだしと撓わに実る木の実を取りながら、アンジェは更に奥へと進み入った。
夢中になってベリーを摘み、ふと顔をあげると、木の枝に見なれたものが引っ掛かっているのが目に入った。
そっと髪に手をやると、そこにあるはずのリボンが無くなっていた。低い枝にでも引っ掛けてほどけてしまったのだろう。その後、風でさらに高みへ飛ばされたと思われる。
「どうしよう~。」
泣きそうになって呟いてみても、助けてくれる者は居なかった。かと言ってこのまま帰れば絶対に不審に思われる。
「結構しっかりした枝みたいだし、木登りは割と得意だし…大丈夫よね。」
アンジェは自分に言い聞かせると、意を決して靴を脱ぎ捨て木登りを始めた。
そして、あと少しで手が届くという時、お約束のように足を滑らせたのであった。

調査の名目で追い出されたアリオスは、アンジェ達の目的が他にあると知りつつもひとまず真面目に調査をすることにした。
「見渡す限り草木ばっかり…と。でも、雰囲気は良いな。」
この惑星にはこのまま人類が誕生しない方がいいんじゃないか、と思えるくらい豊かな自然が気持ち良かった。
「おっ、小動物発見!」
リスだかウサギだかよくわからないような、ほこほこした小さな固まりがアリオスの視界を横切っていった。
「あ~あ、ったく、何やってんだかなぁ。」
「お昼くらいには…」ということはそれまで帰って来るなということだな、とアリオスは溜息をつきながら深い森の中で一人佇み、辺りを眺めていた。ハッキリ言って、他の惑星で研究員達がやっているように人の話に聞き耳を立てるということが出来ない以上、わざわざここまで来てやれることと言えば観光くらいである。折角来たのだからと土壌サンプルと草木の葉を数種類採取してみたが、後は適当に歩きながら辺りの雰囲気を肌で感じるくらいしかやることはなかった。
惑星間転移の魔導は瞬間移動とは違うが、向こうとこちらでは時間の流れが違う。アリオス自身の時間は向こうの時間に合わさっているから早く歳を取るようなことはないが、せめてこちらで5日くらいは潰していかないと早く戻り過ぎてしまう。
歳取らなくても体感感覚が短くなるわけじゃないんだぞ、とブツクサ言いながら、アリオスは小さな惑星内を転々と移動しながらあまり興味を感じないサンプル採取に励んでいた。
「これ以上アンジェと離れてこんなことやってられっか!!」
とうとうアリオスは音を上げた。
要は昼までアンジェ達の前に出なければいいんだろうと言い訳を考え付いたのはそれから数瞬後。アリオスが我慢を重ねた結果、聖地に戻りついた時は日がだいぶ高くなっていた。これなら、そう長く身を潜めることもなく堂々とアンジェの顔を見られるだろう。
しかし、肝心のアンジェの気配は感じ取れなかった。
昼間から居眠りでもしているのかとこっそり執務室の様子を探ったが、そこにあるのはレイチェルのみで奥の部屋にもアンジェの姿は見受けられなかった。
まさか家で寝倒してるんじゃ、と自宅に戻って確認したが、それでもアンジェが見当たらないと分かってアリオスはアンジェを探しに走り出した。

木から落ちたアンジェは、そのまま気を失って根元に倒れていた。
「あれ?」
しばらくして意識を取り戻したアンジェは、起き上がりながらまずいことに気付いた。服や髪にはべったりと土がついてるし、あちこち擦りむいてしまっている。
「どうしよう~。」
これではレイチェル達に怒られてしまう。それに、日もだいぶ高く上がってるからいつアリオスが戻って来るかも知れない。こんな格好、みっともなくてアリオスには見せられない。
急いで家へ帰ってこっそりシャワーを浴びて着替えて来ようとアンジェが立ち上がった時、茂みの向こうから誰かが近付いてくる音がした。
誰であろうとこんな姿を見られてはまずい、とアンジェは慌てて木の影に隠れて座り込んだがそんな努力も無駄な足掻きと言うものだった。
「何やってんだ、お前?」
よりにもよって、今一番この姿を見られたくない人に見つかってしまったアンジェは、泣きそうな顔でアリオスを見上げた。
アリオスは傍に転がっていた篭をアンジェの膝に乗せ、先程枝から取り外したリボンを握らせると、無言でアンジェを抱え上げた。そのまま何も言わずにスタスタと自宅へ向うアリオスに、アンジェは首を竦めるように縮こまりながらちらちらとアリオスの顔色を窺った。
「アリオス、怒ってる?」
おずおずと聞いたアンジェに対して、返事は返って来なかった。
そのまま家まで運ばれてバスルームに放り込まれ、汚れをすべて落としてびくびくしながら出て来ると、廊下で待っていたアリオスは未だに不機嫌そうな顏をしていた。
「…ねぇ、何か言ってよ。」
落ち着かなくてもじもじしながらか細い声で言うアンジェに、しばしの間の後やっと答えが返って来た。
「俺は、お前の何だ?」
「えっ?」
「見え透いた嘘までついて俺を遠ざけた結果がこれとは…。」
只でさえまずいところを見られたと思っていたアンジェは、更に騙していたことがばれて心がチクチクと痛んだ。
「怒ってる?」
「傍に居られなかった自分に腹が立つ。」
アンジェ達が何を企もうと離れるべきじゃなかった。素直に昼まで帰って来ないでいるんじゃなかった。アンジェがこんなことになった時、すぐに駆け付けることが出来なかったことが悔しかった。
「俺の誕生日を祝うつもりなら、ただ傍に居て一言祝福の言葉を掛けてくれればそれで良かったんだ。」
「やだ、知ってたの?」
「お前を捜しまわってるうちに会場を見つけちまったからな。」
アンジェは俯いて固まってしまった。これでは何のために寂しいのを我慢して、良心の呵責に押しつぶされそうになりながらアリオスを遠ざけたのかわからない。
「それより、さっきの答えがまだだぜ。」
アンジェの顎に手を掛けて自分の方を向かせながら、アリオスは先程の問いを繰り返した。
「あなたは…女王の私にとってはパートナーの皇帝で、個人的には私の…夫?」
婚礼は挙げたものの未だに夫婦関係にはないから個人的関係については疑問符がついてしまう。それでも赤面しながら言ってみるアンジェに、アリオスの莫迦にしたような声が返って来た。
「その肩書きはどっちもレヴィアスのもんじゃねぇか。」
「じゃぁ、アリオスは違うの?」
アンジェは、どちらの姿をしていてもどんな立居振舞いをしても自分にとってはアリオスなのにと複雑な顔をした。
「俺は、お前と共に或る者だ。」
それ以外の、他人が付与するような肩書きなんて要らない。だから…。
「ずっと俺の傍に居ろ。」
真剣に紡がれた言葉を心の中で反芻しながらアンジェは頷いた。そして、まっすぐにアリオスの瞳を見つめて答える。
「約束するわ。」
「それこそ、最高のプレゼントってやつだな。」

-了-

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