君のいる場所1

夜半近く、自室の前の廊下を駆けていく足音が聞こえて来て、レイチェルは目を覚ました。
その音の軽さにレイチェルは最初は女官が駆け抜けたものと思ったが、その後も足音はあっちへこっちへ駆け回り、しかもヒールではなく軍靴のような高さで鳴っていた。
そうと気付けば、犯人はおのずと知れるというものだ。セキュリティチェックに引っ掛からずに奥殿に入り込める男性は只一人しかいない。
レイチェルは素早く着替えると、廊下へ飛び出した。すると、間もなく駆け去った方向から再び戻ってくるアリオスの姿が見とめられた。
「ちょっと、こんな夜中に何やってるわけ?」
滅茶苦茶不機嫌な顔で目の前に現れた補佐官に、アリオスは悪戯現場を発見された子供のような表情を一瞬だけ浮かべたが、すぐにいつもの無愛想な顔に戻った。
「あいつ、知らねぇか?」
「アンジェだったら、とっくに帰ったよ。」
女王の部屋はこの奥殿にあるが、せめて公務以外の時は普通の女の子に戻りたいと無理矢理周りを説き伏せて、アンジェは宮殿近くの家でアリオスと暮らしていた。もちろん、アンジェのそういう気持ちが一番の理由ではあったのだが、実は通い婚は御免だと思ったアリオスがアンジェをうまく誘導した成果である。女王が出勤制になることに周りは難色を示したが、奥殿は女性の居住場所という概念に捕われたが故にそこで奥殿にアリオスを住まわせてしまえばいいという方向に話をもって行けなかった以上、今さらどうすることも出来なかった。
「喧嘩して飛び出したってなら、ワタシは知らないよ。あの後、会ってないからね。」
からかうように言ったレイチェルを、アリオスは睨み付けた。
「そんなんだったら、こんなとこには来ねぇよ。」
喧嘩してアンジェが飛び出した場合は、簡単に行き先の検討がつく。何しろ、飛び出す時のアンジェの捨て台詞から、行き先はわかるのだから。
「凍えて死んじゃったら、アリオスの所為なんだからね!」と言った場合は森の湖方面に、「猛獣に食べられちゃったら(以下同文)」の場合は野原方面にという具合に、行き先を言い残して家出するのだ。要するに、反省して迎えに来いということであるが、そんなこと言われなくても居場所くらい簡単にわかる。
「帰ってこねぇんだよ。」
アリオスは、いらつく心を押さえ込むように息を吐いた。
これまでにも遅くなっても帰ってこないことは何度もあった。その度に、アリオスは女王執務室へ忍び込んで、執務机に突っ伏して眠り込んでいるアンジェを抱えて家へ連れ帰った。
ところが、今夜もまたいつものように執務室で眠っているのだろうと迎えに来たアリオスの目に、アンジェの姿は入ってこなかった。
「それって、一大事じゃない!もうっ、ぼさっとしてないでさっさと探さなきゃ。」
「てめぇが呼び止めたんだろがっ。どこか、寄り道するとか言ってなかったか?」
「何にも聞いてないよ。」
アンジェが「それじゃレイチェル、また明日ね」といつものように帰って行ったのは、遅めの夕食をとる前のこと。特に変わった様子もなく、どこかに寄るような台詞も言ってなかった。
「早いとこ見つけねぇと…ったく、いったい何処で寝てんだか。」
「どうしてそこで、寝てるって発想になるわけ?」
道に迷ってるとか、誰かにかどわかされたとか、何か事故にあったとか、そういう心配をするのが普通じゃないのかと、レイチェルは憤慨した。そりゃ確かに女王誘拐なんていう事件が起きるような場所じゃないとは言え、事故くらいは疑って然るべきだ。
「ふんっ、起きてりゃ何処にいるか一発でわかるぜ。」
レイチェルを莫迦にするように笑みを浮かべたアリオスは、また靴音を抑えて何処かへ駆け去っていった。
「強がっても、焦ってるのがバレバレだね。」
足音を完全に消し去ることが出来ないのがいい証拠である。
アリオスの後ろ姿を見送ってから、レイチェルは宮殿の中を見回りに出かけた。

アリオスの言った通り、アンジェは眠っていた。
家へ帰る途中の道を外れて暫く行ったところで、道が違うことに気づいたはいいが、その後も睡魔にやられて元の道へ戻ることなくそのうちに地面に座り込んで眠ってしまった。
アンジェは、宇宙を救う旅をしていた時の夢を見ていた。
「倒れたら抱えていってやるよ。」
……嘘つきね。今、あなたはいないじゃないの。
夢と現実をごっちゃにしながら、アンジェは呟いた。
「アリオスの莫迦。」
「誰が莫迦だって?」
上から降って来た返事に、アンジェの意識は一気に覚醒した。
「……ア…リオ…ス?」
自分を覗き込む金と緑の瞳に、アンジェは驚きを隠せなかった。
「言ってみろよ。誰が莫迦だって?」
アンジェの腕を掴んで立たせながら、アリオスはもう一度同じ言葉を繰り返した。
「……私。」
怒りを含んだようなアリオスの言葉に、アンジェは小声で答えた。
「聞こえねぇな。」
「うっ……、だから、莫迦は私です。」
上目遣いにアリオスの機嫌を窺うようにしながら、アンジェはもう一度答えた。
そんなアンジェをアリオスはしばらく冷ややかに見つめていたが、突如喉奥で笑うと破顔した。
「わかってるなら、二度とこんな真似すんなよ。」
やろうと思ってしたことではないので「するな」と言われても困るのだが、アンジェは大人しく頷いた。
それを見届けて、アリオスはアンジェを抱え上げた。
「ちょっと、アリオス……。」
いきなり花嫁さんだっこされてしまったアンジェは慌てたが、アリオスは楽しそうに囁いた。
「言っただろ。倒れたら抱えていってやるって。」
その言葉にアンジェは、いったい自分はどれだけ寝言を言ったのだろうと思って真っ赤になった。

翌日、アンジェは昨夜の出来事の一部始終を聞いたレイチェルに叱られた。さして遠くない道で迷子になった挙げ句に寝入ってしまったという事実に対してのみならず、そこまで無理をしているのに黙っているなんてワタシはそんなに頼り無いのかと言うのである。
「もちろん、レイチェルは頼りにしているわ。でも、ほら、レイチェルだって大変だし、疲れたなんて言ってられる状態じゃないし……。」
それに、下手に疲れたなんて言うと皆して勘ぐるし……。
そして勘ぐった人達はアリオスの陰口をたたくのだ。面と向かって嫌みを言うような怖いもの知らずはいないようだが、絶対アリオスの耳に入っているだろう。アンジェが「疲れた」とか「眠い」とか漏らした日は、アリオスの機嫌が良くない。
「アリオスの所為で疲れてるわけじゃないんだけどなぁ。」
「そうかしら?」
あの熱々ぶりを見る限りそうは思えないけど、と呟くレイチェルの背後から反論が聞こえて来た。
「お休み3秒のやつ相手に、何かできると思うか?」
振り向くと、仏頂面してアリオスが立っていた。
「お休み3秒って…アンタ達…。」
「ま、宇宙が安定期に入るまでもうしばらく我慢してやるさ。」
寝込みを襲ったり、気持ち良さそうに眠っているのを叩き起こして求めるなんざ俺の趣味じゃねぇんだよ、と不満そうに呟くアリオスに、アンジェは恥ずかしそうに俯いた。その様子にレイチェルは、どうやらアリオスの言うことは本当らしいと納得した。
「ところで、どうしてアンタがここに居るわけ?」
「忘れもんだぜ。」
アリオスはレイチェルに直接答えず、つかつかと歩み寄るとアンジェに包みを手渡し、急ぎ足で宮殿を去っていった。
「何、それ?」
「お弁当。」
「そんなの作ってる暇があったら、その分寝てた方がいいんじゃない?」
「あの……作ってるのはアリオスなの。」
お弁当のみならず、毎日クタクタになって帰るアンジェのために栄養バランスよく食べやすく食事を作ってくれる。休みの日には、お弁当を持ってアンジェの好みそうな場所へ連れ出して、ちょっとしたピクニック気分を味あわせてくれたりもする。恐縮しながら喜ぶアンジェに、「俺は暇だからな」と複雑な笑みを浮かべながら、またどこか良い場所を探しておくと言ってくれる。
「はいはい、惚気はそんなところでやめてよね。あ~あ、それにしても、こんなに忙しい時に一人暇だなんて羨ま…。」
暇だなんて羨ましい、と言いかけてレイチェルはふと閃いて、アンジェから根掘り葉掘り情報を引き出すと、どこかへ走り去りまた走って戻って来た。
そして、その日の午後からアリオスはアンジェの仕事を大量に手伝わされることとなった。
最初は渋った2人だったが、「アンジェの負担を減らしたいよね?」「アリオスと一緒に多くの時間を過ごしたいでしょ?」というレイチェルの言葉に頷いたところで話は成立してしまった。
「ごめんなさい、私の所為で……。」
手伝いとは名ばかりでアリオスの受け持ち分の方がアンジェより遥かに多いことに、アンジェは申し訳なさでいっぱいだった。レイチェルに聞かれるままに、つい嬉しそうにアリオスの優秀さを語ってしまったことも、この状況に一役かってることは間違いない。事務処理能力に限らず、活動中のアンジェの居場所を正確に当てられる理由についてまでうっかり喋ってしまったために、アリオスがアンジェ達と似たサクリアの持ち主であることまでバレてしまったから、「アンジェの負担を減らすため」と言う一言で育成にまで駆り出される羽目になってしまった。
「バ~カ、んなこと気にしてんじゃねぇよ。お前の所為で起きたことなら、俺はいくらでも始末つけてやるさ。」
溜息混じりに書類を捌き、研究院から送られてくる大量の報告書に目を通しながら、アリオスは公認で昼夜を問わずアンジェと一緒に居られる今の状況を楽しんでいた。

-了-

indexへ戻る