放課後の理想郷・お誕生日すぺしゃる

秋も終わろうとするある日、アンジェは彼のマンションまでやってきた。
付き合い始めて半年弱。場所を教えてもらってからもほぼ同じ時間が流れているが、これまでアンジェは1度も来ることはなかった。
理由は簡単である。ここまで来なくても、学校帰りにしょっちゅう顔を合わせるからだ。おかげでアンジェは、本当にこれがあのレヴィアスと同一人物なのか疑いたくもなってしまう程だ。何しろ、仕事してるように見えないのだから。
ところが、ここへ来てアンジェは放課後に彼の姿を見掛けなくなった。寒くなってきたので外で待ち伏せる回数を減らしたのかと思いきや、ついには連絡すら取れなくなってしまったのだ。
「風邪でもひいたのかしら?」
それならお見舞いにいこうか、と思う反面、訪ねて行ったら気を遣わせてしまうとも思う。そうして躊躇することを繰り返した結果、ついにアンジェは意を決してアリオスのマンションを訪ねて行ったのだった。
辺りに人影が無いかどうか気を付けながら、アンジェはアリオスの住むマンションの扉をくぐった。暗証番号は教えてもらってあるので部屋の前までフリーパスだ。そしてアンジェは、居ないかもしれないという不安にかられながら、部屋の扉に手を掛けた。
あっさり開いた扉をくぐり、アンジェが中に向かって声を掛けると、アリオスが飛び出してきた。否、仕事中なのだからレヴィアスと呼ぶべきか。その背後に、カインが続く。
「アンジェっ!!」
嬉しそうに飛びついてきたレヴィアスは、すかさずカインによって引き剥がされた。
「そこまでです、レヴィアス様。さっさと仕事にお戻りください。」
引き剥がされ立ち位置を逆にされ不満そうな顔をしたレヴィアスは、そのままズルズルと奥の部屋へと連れ戻されていく。
「ア、アリオス?」
慌てて後を追ったアンジェは、奥の部屋の前でカインにブロックされて立ち入りを阻まれた。
「ただいま立て込んでおりますので…。ご用件は私が代わりに伺います。」
静かに、しかし有無を言わさぬ迫力で言われたアンジェは、自分がここに来た理由をポツポツと話した。
「なるほど。そのお気持ちはわからなくもありませんね。」
お見舞いがてら誕生日を共に過ごしたいと言うアンジェに、カインは一応の同情はしてくれたようだった。だが、奥で聞いていたレヴィアスが手を休めて出てこようとすると、ピシャリと扉を閉めてしまった。
「カイン、邪魔をするな!!」
「いいえ、邪魔させていただきます。」
扉の向こうから、2人の言い争う声が聞こえてくる。
「原稿が上がるまでは逃しませんよ。」
「誕生日に恋人がわざわざ訪ねてきたのだぞ。少々の時間くらいは一緒に過ごしても…。」
「誕生日ごときで何ですか。親の葬式だろうが、ご自分の結婚式だろうが、ダメなものはダメです。ご自分の葬式以外は原稿を仕上げてからにして下さい。」
アンジェもレヴィアスも「なんて無茶苦茶な…」と思いながら、ズルズルとへたり込んだ。考えてみれば、今までにこういう事態が無かったことの方がおかしいのだ。
「アンジェリーク様と過ごしたかったら、原稿を仕上げることです。簡単でしょう?」
「簡単に仕上がるくらいなら、我は今ごろアンジェと何処かのレストランで食事をしておるわ。」
どんなに嘆いてみても仕方が無い。執筆中の原稿を仕上げることでしか、カインを引き下がらせることは出来ないのだ。
「アンジェに茶を…。」
「かしこまりました。」
観念してパソコンの前に戻るレヴィアスに、カインは恭しく拝礼して部屋から出てきた。
「何だか、まずい時に来ちゃったでしょうか?」
アンジェは居心地悪そうに、カインに訊ねた。しかしカインは僅かながら笑みを浮かべると、隣の部屋に聞こえないように答えた。
「いいえ、助かりましたよ。貴方のお顔を拝見したことで、レヴィアス様の執筆速度は上がることでしょう。」
すぐ隣の部屋で天使が自分を待っているとなれば、尚更のこと。
「スランプ、だったんですか?」
「少し違いますね。」
カインは、そっとアンジェの向かいの椅子に腰を下ろした。
「貴方を想うあまり…、と申し上げるべきかも知れません。」
「私?」
アンジェは自分の所為でアリオスがこんなことになったのかと思うと、胸が痛かった。
それが表情にもありありと表れたのだろう。カインは声を潜めて優しく答えた。
「勘違いなさらないで下さい。悪いのはレヴィアス様ですから。」
アンジェはきょとんとした顔で、カインを見た。
「貴方は、放課後にレヴィアス様とお会いしてしばらく過ごせるだけで満足でしょう?」
「はい。」
仕事の邪魔しちゃ悪いし、人目も気になる。いつ何処でスキャンダルのネタにされるかわからないし、とにかく迷惑は掛けたくない。
「でも、あの方はそれでは満足できなくなってしまわれたんですよ。」
「えっ!?」
「何しろ、貴方よりもかなり年上ですからね。」
見た目はもう少し若く見えるが、今日で28。いつまでも、お子様のような逢瀬で満足してはいられない。
このままではいつか歯止めが利かなくなる。けれど、会わずにいても想いは募り、原稿が手に付かなくなってしまった。その結果、締め切り目前になっても遅々として執筆が進まず、カインによって缶詰状態にされてしまったのだった。
「言ってくれれば良かったのに…。」
アンジェの呟きに、カインは目を丸くした。
「言えばどうにかなったとでも?」
「ええ。今日は、そのつもりで来ましたから。」
平然と答えるアンジェに、カインは、今の台詞は聞かなかったことにした方がいいのだろうかと真剣に悩んだ。

カインがアンジェの話し相手になっている間に、レヴィアスは原稿を仕上げた。
「これで文句無かろう?」
プリントアウトされた原稿にカインが目を通している間に、レヴィアスはシャワーを浴びて着替え、アリオスとしてアンジェの前に現れた。
「悪い。随分と待たせちまったな。」
「ううん。立て込んでるところに押しかけて来ちゃったんだもの、仕方ないわ。でもお仕事終わって良かったわね。」
自分の葬式以外は二の次、とまで言われていたようだったが、無事に終わったようなのでアンジェはホッとした。
「誕生日を喜べるなんて初めてかもな。」
別に、自分が生まれてきた日だからって何とも思わなかった。趣味の悪いファンからのプレゼントの始末にカインが頭を悩ませる日くらいにしか思っていない。だが、アンジェがここまで来てくれたのが自分の誕生日を祝うためとなれば、心からこの日を喜ぶことが出来る。
「あのね、出来あいのものばかりになっちゃったけど、お祝いのお料理持ってきたの。すぐに暖めるわね。」
そう言って、てきぱきとパーティーの準備をするアンジェを見ながら、アリオスはいつの間にか座ったままの体勢で眠り込んでしまった。
料理を暖め終えたアンジェはアリオスを軽く揺すったが、簡単には目を覚まさなかった。そんなアリオスをしばらく見つめた後、アンジェは小さくファイティングポーズをして自分に気合いを入れるようにした後、そっとアリオスの傍に屈み込んだ。
何かが唇に押し当てられるような感覚に、アリオスは目を覚ました。そっと目をあけると、目の前に何かが居る。離れていく姿を見送ると、それはアンジェの顔だった。
「目が覚めた?」
「…立場が逆じゃねぇか。」
キスで目を覚ますのはお姫様の役どころだろうが、と呟きながら、アリオスはしっかりと目を覚ました。
「あの、お誕生日のプレゼントのつもりだったんだけど、気に入らなかった?」
最初からそのつもりだったとは言え少々ためらいも覚えていたアンジェは、この隙にとばかりにプレゼントを贈ったのだが、やはりこういうのはちゃんと起きてる時にしなきゃいけなかったのだろうか。
「バ~カ。気に入らねぇ訳ないだろ。」
アリオスは喉奥でクッと笑うと、アンジェの髪をクシャクシャと弄んだ。
「良かった。それじゃ、そろそろ門限だから帰るわね。」
「えっ?」
「お料理、冷めないうちに食べてね♪」
目を丸くしているアリオスの前で、アンジェは急いでコートを手にすると慌ただしく彼のマンションを後にした。
「…どういうことだよ、これは?」
去っていくアンジェを呆然と見送ったアリオスが力無く呟くと、原稿をチェックし終えて声を掛けるタイミングを計っていたカインが返事ともつかない声を漏らした。
「そのつもり、というのはアレのことですか。」
まぁ、所詮はそんなもんだろう。やはり、年齢における差というものは簡単なものではないらしい。
カインは、さてどのようにお慰めしたらよいものか、と頭を悩ませ、溜息混じりにこう言った。
「続きはクリスマスにでも期待されては如何ですか?」
この大して慰めにもなっていないカインの言葉に一縷の望みを掛けて、彼は再び書斎に篭ると、クリスマスの休みを得るために次回作の原稿を書きまくったのだった。

-了-

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