放課後の理想郷

通学途中に新しく大きな本屋さんがオープンしたと聞いたアンジェは、放課後走ってその店に駆け込んだ。そして、以前から探していた本が棚に入っているのを見てパッと顔を輝かせた次の瞬間、横から伸びた手がその本を抜き取った。
「いや~っ!!」
辺りの人間が一斉にアンジェの方を見ると、そこには悲鳴を上げてから慌てて手で口を押さえて真っ赤になっている少女と、少女の方を見て目を丸くして硬直している美丈夫が立っていた。
「お客さま、どうかなさいましたか?」
「すすす、すいません。何でもないです~!!」
何事かと飛んで来た店員や注目している辺りの人々に慌てて謝るアンジェに、辺りはまた元の静けさを取り戻した。
だが、アンジェがホッと溜息をつくと、頭上から怒ったような声が振って来た。
「一体どういうつもりだよ。危うく、変質者と間違われるところだったじゃねぇか。」
アンジェが顔をあげると、先程の美丈夫がアンジェを睨み付けていた。まぁ、当然のことと言えるだろう。アンジェの悲鳴に視線を集中させた人々は、近くにいた彼が何かしたのではないかと疑ったらしく、アンジェが謝るまで彼のことを冷ややかな目で見ていたのだから。
「ご、ごめんなさい!! 悪気はなかったんですけど、えぇっと、あの…。とにかく、ごめんなさい~っ!!」
「わ~、泣くな! もう怒ってねぇから、大声出さないでくれ。」
ここでまた大声なんぞ上げられては堪らないとばかりに、彼は慌ててアンジェを宥めるような口調になった。
「あ、ごめんなさい。」
アンジェはもう一度小声で謝ると、上目遣いに彼の方を見た。よく整った容姿、やや濃いめに色の入ったレンズの奥に見える切れ長の瞳。黙って立っていれば、小説の世界から抜け出した王子様か何かのようだった。
「で、一体どうしてあんな声上げたんだ?」
「うっ、それは…。」
アンジェは言葉に詰まった。話せば笑われそうだ。いや、やっぱり怒られるかも知れない。
「俺には聞く権利があると思うぜ。何しろ、被害者なんだからな。」
「だから、さっきから謝ってるじゃないですかぁ。」
アンジェは、ちゃんと話さないと許してもらえそうにないと観念して、事情をポツポツ話した。
「……は?」
男は、呆れたように口をぽかんと開けた。
「だって、本当にずっと探してて、やっと見つけたと思ったのに…。」
ってことは、買う気なんだな、これ?」
男は自分が手にしている文庫本をアンジェに指し示し、アンジェが頷くと目の前に差し出した。
「だったら、早く言えよ。ったく、何事かと思ったじゃねぇか。」
「あの~、いいんですか? 譲ってもらっちゃって。」
口ではそう言いながらも手はしっかりと本を握りしめ、アンジェは相手の様子を伺った。
「構わないぜ。ただちょっと懐かしくて手に取っただけだからな。」
「懐かしい?」
「ああ。随分前の作品なのに棚にあったから、まだ並んでるんだなぁと思ってさ。」
確かに、初版が発行されたのはもう何年も前のことになる。人気シリーズの第一作めで、最近になってこの作品を知ったアンジェが入手に手こずっていた代物だった。ここ『アルカディア』のような大手の書店なら最新作が出た折に今までの分をまとめて入荷することもあるかも知れないが、これまでこの近隣にあった書店は小さくて、新刊が出るとそれだけが2~3冊棚に並べばラッキーという程度だったのだ。
「ほら、買うならさっさとレジに行けよ。ぐずぐずしてると横取りされるぜ。」
クスクスと笑われてちょっとムッとしながら、アンジェは急いでレジに向った。

その翌週、珍しくあのシリーズの番外編が雑誌に載ると知って探しに行ったアンジェは『アルカディア』の雑誌のコーナーで見知った顔に出会った。あの文庫本を譲ってくれた人である。
さすがにフロアが広いだけあって小説雑誌のようなものも置かれていたが、普段は縁のないアンジェは、簡単には目当てのものを探し出せなかった。そして、雑誌コーナーの山をなめるように視線と共に移動して行ったアンジェは、立ち読みをしていた彼とぶつかった。
「きゃっ、すいません。」
「何だ、お前か。」
見あげると、彼が立ち読みしているのは正にアンジェが買いに来た雑誌だった。
「あ、その雑誌どこら辺にありますか?」
「これが最後だ。買うなら、持ってけ。」
「いいんですか?」
「もう、目当てのページはざっと目を通した。」
いいのかなぁ、と思わないアンジェではなかったが、ここで引いたら文庫になるまで読めなくなるかと思うと、手は自然と彼の手から雑誌を受け取っていた。
それからも、アンジェは学校帰りに彼をよく見かけた。
場所は大抵、通り道の公園のベンチだった。そこで彼は、缶コーヒー片手に本を読んでいたり、何やら熱心にレポート用紙にいろいろ書き込んだりノートパソコンに文章を入力していたり、昼寝をしたりしていた。
そして彼がアンジェに気付いて手招きすると、ちょっとだけお喋りをしたり、時にはまだ入手してないあのシリーズを借りて行ったりと、いつしかアンジェは放課後のひとときを彼と過ごすのが日課のようになってしまった。

それからしばらくして、友人達と一緒にオープンテラスに寄ったアンジェは、そこでまたしても彼と遭遇した。
目が合ってしまったので無視する訳にも行かず軽く会釈だけして離れた席へ行こうとしたアンジェだったが、こんな美丈夫とアンジェが知り合いだと知って友人達が彼等を放っておく訳がない。
「え~っ、それじゃアンジェに変質者と間違われたのが馴れ初めですかぁ?」
「いや、こいつは素頓狂な悲鳴を上げただけで、間違えたのは周りの奴らだ。でも、おかげで越して来た早々に、この町を出なきゃいけなくなるかと思ったぜ。」
強引にアンジェを連れて自分のテーブルに相席して来た女子高生達に、彼は平然と答えながらノートパソコンを片付けていった。
「あはは、アンジェらしいね。」
「お前、アンジェっていうのか。」
アンジェの方を見ながらニヤリと笑った彼に、彼女達は目を丸くした。
「やだぁ、自己紹介もまだだったワケ?」
「だから、知り合いって言っても本当にただの顔見知りみたいなものなんだってば! 大体、私だってこの人の名前知らないのよ。それなのに貴女達ったら無理矢理相席しちゃって…。」
アンジェはその場を逃げ出そうとしながら友人達に取り押さえられてじたばたした。その様子を見て、相席くらい構わないと笑った後、彼はちょっと考え込んだような素振りを見せてから言った。
「アリオスだ。」
「えっ?」
「俺の名前だよ。」
名前を教えてもらったアンジェ達は、改めて自己紹介するとそれからしばらく彼にいろいろ質問をぶつけた。年令、職業、住所に電話番号、恋人の有無や好みの女性のタイプ、趣味に嗜好。それらを全てのらりくらりと躱すと、今度はアリオスがアンジェに質問をぶつける番となった。
「お前って、本当にこのシリーズ好きだよな。」
「うん。知ったのはアリオスと初めてあった時から3~4ヶ月くらい前なんだけど、その時の最新刊を読んでハマっちゃって、それから前の巻を探し回ってるの。でも、なかなか見つからなくて…。」
絶版になっている訳ではないので取り寄せ注文という手もあるのだが、もしも入荷連絡の時に電話に出た親にタイトルを告げられると恥ずかしいので、アンジェは店頭に勝負をかけていた。
「どこがそんなに気に入ってるんだ?」
「そうねぇ、ストーリーもいいけど、やっぱりキャラクターの魅力が大きいかなぁ。」
「例えば?」
「そりゃ、何て言ったって主人公の異眼の魔導剣士よ!!」
格好良くって大好き、とはしゃぐアンジェに、アリオスは含み笑いをしながら「そうか」と答えた。
「あっ、何よ~、そのひとを莫迦にしたような態度は。あなただって、ファンなんでしょ?」
懐かしさ故に手に取ってみたり、雑誌を立ち読みしたり、今もテーブルの脇に退かされたノートパソコンの横にあのシリーズの研究資料らしきものが置いてあったりしているのだ。これは、かなりディープなファンのように見受けられる。
「ファン、ね。まぁ、確かに好きな作品ではあるな。」
そう言って笑った後、アリオスは急に表情を強張らせた。そして、慌てたように荷物を鞄にしまうと、一気に自分のコーヒーを飲み干して席を立った。
「どうしたの、いきなり?」
「俺は逃げる。誰かに俺のこと聞かれたら、適当に誤魔化しておいてくれ。」
「逃げるって、どういうことよ!?」
「縁があったら、来月『アルカディア』で会おうぜ。」
それだけ言うと、アリオスは本当に逃げるようにしてその場から去った。慌てている割には、ちゃんと空の紙コップをゴミ箱に放り込んで…。

アリオスが逃げて行って間もなく、きつい目つきの男がアンジェ達に近付いて来た。
「失礼ですが、先程こちらで銀髪の男性と一緒にいらっしゃいましたよね?」
誤魔化しておくように言われても、目撃されてしまっていることに対して白を切ることは出来ず、アンジェ達は互いに視線を交わし合うと一斉に黙って頷いた。
「私はカインと申しますが、あの方がどちらへ行かれたか御存じありませんか?」
今度は、正直に全員が首を横に振った。
「また、逃げられましたか。」
「はぁ、「俺は逃げる」と言って出て行きましたが…。」
これまた正直に、アンジェは答えた。
「そうですか。他には、何か仰ってましたか?」
「他に、ですか?えぇっと…、あっ、いっけな~い。聞かれたら適当に誤魔化すように言われてたんだ~。やだぁ、どうしよう!?」
今更気付いても手遅れである。オロオロするアンジェを見ながら、必死に笑いを堪えて、男は更に問いかけた。
「それで、他には?」
こうなったら今更誤魔化しても仕方がない。アンジェはアリオスの最後の台詞を白状した。
「そうですか。そのようなことを…。解りました。どうもありがとうございます。」
アンジェ達に深々と頭を下げると、男は立ち去って行った。
「何だったのかなぁ、今の人。」
「随分と丁寧な言葉遣いだったよね。」
「うん。あたし達だけじゃなく、アリオスさんに対してもね。」
アンジェ達はさんざん首を捻った後、気を取り直して放課後のティータイムを再会した。

そして翌月。『アルカディア』であの"異眼の魔導剣士"シリーズの作者レヴィアスの初のサイン会が開かれた。
その日発売の最新刊を買った人だけに整理券が配られたのだが、初の作者来店とあって本は飛ぶように売れサイン会は長蛇の列となった。そして、アンジェが行った時には本は売り切れでサイン会はもう終わろうとしていた。
サインはともかく最新刊が入手出来なかったアンジェは落胆した。最新刊の売り切れた空きスペースを前にアンジェが硬直していると、あの時オープンテラスでアリオスのことを聞いて来た男が声をかけて来た。
「アンジェリーク・コレット様ですね?」
アンジェが頷くと、彼はアンジェをサイン会の列へと案内した。
すでに残り人数は僅かで、前方で黙々とサインをしているレヴィアスの姿が見える。だが、真っ黒なサングラスに隠されて、顔は全く解らなかった。本のカバーにも写真を載せない謎の作者の顔を見られると喜んだ読者達は、さぞやがっかりしたことだろう。
状況がちゃんと把握出来ないままにサインの順番が回って来たアンジェは焦った。整理券どころかサインしてもらうための本もないのだ。
そんなアンジェの前に、サイン済みの最新刊が差し出された。
「買うなら、持ってけ。今なら、作者直売だ。」
顔がサングラスで隠されていようと、髪の色や服装のタイプが違おうと、そんなことは関係なかった。この声と口調は間違いようがない。
「アリオス…!?」
「縁があったみたいだな。」
辺りに他のファン達が居なくなったことを確認して、彼はサングラスをちょっとだけずらして軽くウインクして見せた。
「そうみたいね。でも、狡いわ。」
「何が?」
「こんな特別扱い…。」
正体を隠していたことより、サイン本のことの方が気になっているアンジェに、レヴィアス達は一瞬呆然としてから顔を見合わせて笑った。
「じゃ、買うのやめるか?」
「買うわよ! いくら?」
「天使の微笑み一つ。」
今度はアンジェが呆然とする番だった。
「一目惚れだった、って言ったら信じるか?」
本を差し出すのと反対の腕で軽く頬杖を付きながらアンジェを見上げる彼に、アンジェは満面の笑顔で応えたのだった。

-了-

《あとがき》
こんなところまで読んでいただいて、どうもありがとうございます。

本作は現代風パラレル創作で、最後で明らかになりましたが、アリオスの職業は小説家です。
アンジェの暮らしている町に引っ越して来て、辺りの店をチェックしていてアンジェと運命の出会いをしました。
アンジェは公園でしか気付いてませんけど、アリオスはあれから殆ど毎日アンジェの通学路のあちこちに出没してます(笑)時々担当者のカインに捕まって部屋に連れ戻されてるみたいですけどね。でも、出先でも原稿書いてるし締切には遅れてないから大目に見てもらえてるようです。
決してストーカーではありません。アンジェの顔を見ると創作意欲が湧くので見に行ってるだけです。そのついでに、本屋でアンジェの為に新刊や雑誌を確保してたりして…(^^;)
カインに言えば、アンジェの分の雑誌や本くらいすぐに手に入りそうなんですけどね、それじゃ正体がばバレちゃうし、アンジェがあまり喜びそうにないので、彼は店頭で本を抱えて待ち伏せしてました。

ところで、本屋で取り寄せ注文をしたら入荷連絡で書名を言われるかも知れない、とアンジェが不安に思っていますが、実際に言われてしまうことがあります。
大抵は「御注文の本が入荷しました」って言ってくれるんだけど、時々書名を言っちゃう人がいるんですよね。
会社から帰るなり、
「本屋さんから電話があったよ。『ちほうとくさんやみのたたかい』って聞こえたんだけど…。」
と言われた日にゃ…。お母さん、あなたの耳は間違っていません(--;)私が注文した本は本当に『地方特産!闇の戦い』というタイトルだったんです。
他にも、『肉体泥棒の罠』とかCD-BOOK『カタルシス・スペル』とか…。
何故、そういうものの時ばかり書名を言う店員に当たるんだ!?
言っても良さげなタイトルの本の時は「御注文の本」って言われるんですけどねぇ。

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