新生

世界とトエイが光を取り戻し、十二神徒達はまたそれぞれの住む場所へ散っていった。
エニクイとリョウスイはケンブ達と共に浮遊岩盤に戻ったが、殆どの者はタランダ達のように地上での生活を続けていた。

「おじいさま、少しは落ち着いたら如何ですの?」
延々と中扉の前を行ったり来たりし続けるホクロクに、マユコダは溜息をつきながらお茶をすすった。
「タランダとトエイが付いてるんだ。心配ねぇよ。」
「そう仰る父様も、貧乏揺すりが目障りですわ。」
落ち着きのない身内に対して、マユコダは容赦がなかった。
しかし、2人を攻撃するマユコダ自身も不安に押しつぶされそうなのだ。先程から、普段以上に言葉がきつくなっているのもその所為である。
「お茶ちょうだい。」
マユコダがグイっと差し出したカップを受け取って、エニクイはキッチンへ向うと全員分のお茶を煎れて戻って来た。
「マユコダよぉ……。」
「何ですの?」
「……茶くらい、自分で煎れたらどうだ?一応、エニクイは客だろ。」
ここはタランダの家である。
トエイの力が借りたいとの連絡を受けて、エニクイは父母共々地上に降りて来たのだ。しかし、トエイがタランダと共に奥の部屋へ隠った後、何故かエニクイは手前の部屋に集まった面々にお茶を煎れ、食事を作り、果ては家中の掃除まで頼まれる始末。
「おめぇも大人しくマユコダの言いなりになってないで、ちっとは……。」
「でも、何かしてた方が気が紛れますから。」
一緒には来たものの何が出来る訳でもなく、ただ部屋の前で待ち続けているのは手持ち無沙汰で仕方がなかった。幼い頃からリョウスイと共に暮らして来ただけあって家事は得意だし、この家にはよく遊びに来ていたから勝手も知っている。
「落ち着いてるのはケンブだけか。」
トエイを奥の部屋へ見送って以来、ケンブはソファーでくつろいでいた。エニクイが煎れたお茶を飲みながら手近なところにあった雑誌を読み、今など静かに目を閉じている。
「まぁ、ケンブおじさまが心乱すような義理はありませんものね。」
部屋の中で行われているのは、マトラの出産である。知り合いではあるが、身内ではないケンブが落ち着き払っていても何ら不思議はない。実はエニクイも、中で起きてることが心配で落ち着かないというよりも、ホクロク達3人の醸し出す空気に居心地の悪さを感じているのである。
「こいつ、エニクイん時もこんなだったぜ。」
「それって、やっぱり僕がマリエーン様の子供だからでしょうか?」
自分達の子供じゃないから、あるいはマリエーン様が産ませる以上絶対に無事に生まれるに決まってるから、だから落ち着いていられたんだろうか。
「さぁな。そのうちわかるんじゃねぇか。」
現在、トエイのお腹の中にケンブとトエイの本当の子供がいる。浮遊岩盤で暮らしているため、地上に居たマトラと違って臨月を迎えるのは遥かに先のこととなるが、その時ケンブがどうなるか、それを見れば少しは答えが見えてくるのではないだろうか。
「それにしても、わからないなぁ。」
エニクイは、ボソッと呟いた。
「どうして、ホクロクさんはそんなにウロウロしてるんですか?」
「これが落ち着いてなんか居られるか!?」
マトラの子供の父親は、ホクロクである。確かに、一番落ち着きをなくしても不思議ではない。しかし……。
「だって、初めてじゃないんでしょ?」
確かに、初めてではない。
まだ地下世界で暮らしていた頃、巳族の女性との間にタランダが生まれた時も、ホクロクは壁1枚隔たっただけの場所に居た。
「初めてじゃねぇから余計心配なんだ。マトラが、あいつみてぇになっちまったらと思うと……。」

地下世界に居た頃、ホクロクは旅先で一人の女と出逢った。
外の世界を見てみたくて村を飛び出したその女はホクロクに付きまとい、しばらく一緒に旅をした。そして、その女がホクロクに夢中になるまでは時間の問題だった。
ホクロクの方はと言うと、特別な感情を持っていたわけではなかった。
最初は付きまとわれて邪魔だと思っていたし、それでいていろいろと世話を焼かれるのは便利だと思っていた。
彼女の誘いに応じた時も、本気ではなかった。
四天孔同士の交わりは即座に双方の死を招くが獣族相手なら問題ないだろうという、ちょっとした実験のつもりだった。子孫を残すことが出来るなら異種族間交配も悪くない。最悪の結果となったとしても、それで終わるような人生ならそれまでだという投げやりな気分だった。道連れになるのが最愛の相手でないのがせめてもの救いかも知れないなどと、皮肉な笑いまで込み上げていた。
そして結果は……双方生き残った。
そんなこんなで女の腹に子が宿ったと聞かされた時には、四天孔同士でなければ何の問題もないのだと思った。
しかし出産直後、女は死んだ。
体力を使い果たしたわけでもなく、出血が酷すぎたわけでもなく、苦痛でショック死したわけでもなく。中毒の一種と言っても良かったかも知れないが、胎児によって多少は中和されていた四天孔の特殊な遺伝子情報が出産後に女の身体を崩壊させた。

「ショックだったぜ、あれは。」
なんとも思ってなかったはずなのに、激しい喪失感を感じた。
「俺はあいつの名前すら覚えてなかったってのに……。」
その程度の興味だったのだ。最初に出会った時、名前くらい聞いたはずだが覚えていない。その後も軽く声をかけるだけで用が足りたから、そのままになっていた。
「それ、母様の前で言ったら絞め殺されても文句言えませんわよ。」
「そうだな。」
語るうちにウロウロするのをやめて壁に凭れ掛かっていたホクロクは軽く前髪を掻き揚げると、マユコダの言葉に自嘲するような笑みを浮かべて応じた。
「アマネスがそうしたけりゃ、構わねぇよ。そんなことで罪滅ぼしできるんなら……。」
父親だなどと言えるようなことは何一つしていない。巳族の村の入り口に捨てて、その上、記憶を失っていた時には敵対して怪我まで負わせた。更には、知らなかったとは言え、今は娘の夫の妹に子供を産ませようとしているのである。これで「お前の母親は名も知らぬ行きずりの女だ」などという話を聞かせたら、今度こそ怒るかも知れない。
「もっとも、絞め殺す程度であいつの気が済むなら、俺は今頃生きてやしねぇだろうけどな。」
今更、絞め殺すなんて可愛い真似で済むものかと喉奥で笑いながらずるずるとしゃがみ込むと、ホクロクは髪にやっていた指先を額に付け、苦し気に呟いた。
「チクショー、こんな時になって思い出すなんて……。」
「マトラさんなら、大丈夫ですよ。」
突然、落ち着き払った声が掛けられた。
「父さん、起きてたんですか?」
てっきり眠っていると思われていたケンブだったが、話はしっかり耳に入っていたようだった。
「シャッコから聞いてませんか?ヒカリちゃんの話。」
「ヒカリ……?」
「ナンゴウさんとセイロンさんの娘さんです。」
ホクロクには初耳だった。
相思相愛でありながら決して触れあうことを許されなかったあの2人に、娘?
「遺伝子異常の問題はなくなったんですよ。」
ニコニコしながら告げるケンブに、ホクロクは少しだけ気を楽にしたがそれでも出産は重労働であることに変わりないのでやはり心配で堪らなかった。
そんなホクロクがまたウロウロし始めようとした頃、部屋の中から赤ん坊の泣き声が響き、間もなく扉が開かれた。
「アマネスっ、マトラは無事か!?」
扉を開けるなり詰め寄られてタランダは面喰らったが、からかうような笑みを浮かべると、部屋の奥を指差した。
「さぁてね。自分で確かめたらどうです?」
言われて奥へと駆け込み、赤ん坊を抱いたマトラの傍で脱力しているホクロクを後目に部屋を出たタランダとトエイは、その部屋の光景を見て苦笑した。
部分的に踏み固められた絨毯。マユコダが食い散らかした菓子の包装の山。随分と丁寧に磨き上げられた窓ガラス。そして、1名を除いて疲れた顔をしている面々。
「アンタは落ち着いてたみたいだね。」
「まぁね。」
感心したように言うタランダに対してゆとりを感じさせる笑顔を返すその姿に、トエイはカップを持つケンブの手が普段と逆になっているのを見なかったことにした。

-了-

indexへ戻る