クオリティーGALスペシャル 作家/石原信一

「ガラスの靴」を手に入れたシンデレラのいま、”新しい物語”の序章−

「家に帰ると、普通の女の子に戻りそうでコワイ」−”スター”を自らに宿命づけた17歳の昨日、今日、明日

シンデレラとの一瞬の夢を託す”握手会”の長い列

有希子にとって後楽園ホールは思い出の場所だった。1983年3月30日「スター誕生!第46回決勝大会」に出場。『スローモーション』を歌った彼女はまだ本名の佐藤佳代だった。そしてチャンピオンに選ばれた瞬間からシンデレラの階段を上がりはじめたのだ。

少年達は汗ばんだ手でしっかり1枚のチケットを握りしめている。有希子の新曲『二人だけのセレモニー』を買ったときにもらった「握手券」だ。先陣を争って椅子席に着いた彼らから有希子コールが起こる。

ステージの中央に「岡田有希子85オープニングセレモニー・フライト・ラブ・YUKIKO新曲発表&握手会」のタイトルが掲げられている。

薄いピンクのコスチュームを着けて有希子が小走りに現われた。コールは絶叫に変わった。デビュー曲「ファースト・デイト」からいきなり歌い始めた。少年の顔が上気する。

30分後、ステージに向かって長蛇の列が生まれた、少年はひとりひとり階段を上がる。センターで小首をかしげてシンデレラが両手を差し伸べているのだ。おずおずと右手を差し出す少年。1秒あるかないかのこの瞬時の夢を見るために、彼らは遠く千葉、埼玉からもやってきたのだ。

シンデレラのぬくもりが少年の手のひらに伝わり、彼女の片方の白い指がその上に包み込むように添えられる。そのとき少年の血は夢に向かって甘い逆流をする。

「握手の仕方がちょっと変わったんです。まえは知らない人の手を掴んじゃ悪いと思って、そーっと触れるだけだったんですけど、いまは右手でしっかり握ってその上から左手を重ねるんです」

=1000人以上も握手して疲れないのかな。

「手はそうでもないんですよ。でも神経が疲れちゃう。途中でボーッとなるんです。握手のとき、みんな小さな声でなにかいってくれるんですよね。がんばって、とかね。なにいってるのかちゃんと聞いて返事しなきゃなんないでしょ。『○○高校受けるんです』を『○○高校入るんです』と間違って『おめでとう』なんていったら大変ですから」

=有希子ちゃんにとっては1000分の1の出来事でも、相手はたった1回の出会いだものね。

「左手出す人がいたり、あたしの手を引っ張っていっちゃう人がいたり。あっ、握手会のとき、引っ張るのだけはやめてくださいね。足が棒のようになっているから転んじゃうの」

=握手会というのは、よくやっているの。

「はい。デビューする前にも、やってたんですよね。仙台の時は大雪で、みんなびしょ濡れで…。こんなにまでして、どうしてみんな来てくれるんだろう。すごいなって感動しました。いまでも人が集まるのが不思議なんですよ。なんで、あたしなんかに…と思っちゃう」

=まだ自分がアイドルであることを掴みきれてないんだ。

「だって、そこらへんにいればふつうの女のコでしょ。それがいったいどうしてって。考えるとどんどん不思議になっちゃう。で、こういうふうに応援してくれる人たちには、どうして恩返ししたらいいんだろうと真剣に悩んじゃったんです。お歳暮でも持って行けばいいんだろうかとか、一軒ずつ電話でお礼をいおうかとか…。最近になって、元気で歌っているのが一番だと思うようになりました(笑い)」

有希子の手に触れた少年は瞬時の夢を見る。それは点にも似た短さだ。だが彼女もまた少年の手に触れた瞬間、夢を見るのではないだろうか。後楽園ホールだけでも1000を超す点の夢。握手会のキャンペーンはこの春まで続いたから彼女は何万、何十万の点の夢を見た。点は線に変わる。そしてその線がシンデレラという曲線を描く。

本気で歌手志望なんて人に知れると恥ずかしかった!

有希子がシンデレラの夢をはじめて見たのは名古屋の小学校4年生のときだ。『スタ誕』を見て、ふつうのコでもアイドル歌手になれるのだと知った。きらびやかな世界にあこがれた。だが思いは小さな胸にしまって、はじけるときを待った。

中学2年になって堰を切ったように各オーディション番組に応募した。10の番組を受けた。ことごとく地区予選で落ちた。最後のオーディションが中学3年の『スタ誕』だった。

=しかしよく受けたね。たいがい2〜3回落ちたらあきらめるもんだけど。

「なんとなくクセになっちゃったのかな、オーディション番組を見るとおもわず出したくなる。一種の病気ですね(笑い)」

=写真や履歴書を用意するだけでも大変だ。

「写真は撮り溜めているし、履歴書もまえから書いて準備しているんです。ハイッ、次はこれって(笑い)」

=クラスでも、オーディション受けるコは多かった?

「一緒に受けた友達もいるけれど、あたしみたいに多いコはいなかったですね。それにそんなに一生懸命受けてることは内緒にしてたんです。本気で歌手になろうと思ってるなんて知られると恥ずかしいから」

有希子のオーディションは他のクラスメートとちがって本気だった。10回という数がそれを物語る。彼女は、それをクセというが、意地といったほうが正しいのだろう。一億総タレント時代に少女たちは安易にアイドルになれると思って応募する。あるいは一度テレビに出たいというひやかしで受ける。だが宝石の原石でも見分けるかのような厳しいメーカー、プロダクションの目は、そんな少女の甘い夢をみじんに打ち砕く。シンデレラの条件は、まずこのオーディションの厳しさに負けないことだった。有希子は10回のオーディションでもまれるうちに輝きをおびたのかもしれない。でないと、この宝石を見逃した過去9回の審査員たちがあまりにもみじめだ。

=両親はきみのオーディションをどう思っていたのかな。

「おっこちてるから安心してたんじゃないですか。ところが『スタ誕』で決戦大会に進むことになったから、急にあわてて猛反対したんです」

=それで両親から3つの条件をクリアしなければ、決戦大会に出場させないということになったんだね。@テストで学年1番A中部地区統一模試で5番以内B第一志望校に合格。かなり厳しい。タレントにさせたくないってのが、みえみえだ(笑い)。

「わざと無理な条件出したんですよ。あたし、それまでちゃんと勉強なんてしたことがなかったし、あきっぽい性格だから努力したこともなかったし。ところが勉強やり出したらどんどんわかるようになっておもしろいの。真剣にやっちゃった。それで親もちょっとは見直したんじゃないでしょうか」

有希子はとうてい無理かと思われた3つの条件を軽くクリアして第一志望の向陽高校に合格。少女の夢は親が想像する以上に熱く、芯のあるものだったのだ。このとき『スタ誕』のチャンピオンが約束されたといっても過言ではないだろう。

車は取材の写真だけ。終わると電車で帰されちゃうの

シンデレラへの階段は、少女の熱い夢だけでもその前まではたどりつける。だが一歩一歩踏みしめて上がるには、現実の芸能界の要求にそのつど答えていかなければならない。並外れた強さが必要だ。

マネージャー氏に聞いた有希子のデビュー前の話だ。明治神宮絵画館前で開かれた新人歌手フェアに、度胸だめしのために彼女を出演させた。有希子の出番ひとつ前の女の子はミニスカートのコスチュームをつけていた。そのコがステージに上がると風が舞いスカートがまくれあがった。

「有希子は私服のロングをはいてきてよかったね」というマネージャー氏に「でも、みんな喜ぶんじゃないですか」と彼女は答えた。デビュー前なのにニーズを把握している。ふつうの女のコではない。それがマネージャー氏の直感だった。

「あのときは他人事だったから、ああいえたんですよ。自分だったら絶対にいやだもん!」

=いや、ファンのニーズに答えられる自分を知っているのか、どうかという話しなんだ。たとえばいま写真を撮っていても、きみは自然に髪に手をやり、構図になっている。練習したの?

「最初は手の持ってき場に困ったりしたけど、2〜3か月で慣れました。写真撮られるの、好きなんですよね。それもただニコッて笑ってるのじゃなくて、自分の個性を出せるグラビアが好き。昔から鏡を見て、こっち側の顔のほうがよく見えるなんてやってましたから」

=それは自分を知っているんだよ。以前、山口百恵が芸能週刊誌と男性誌と同じ日の撮影になってね。最初に芸能誌を撮って、次に男性誌の番になったら表情がガラリとセクシーになった。媒体のニーズに彼女は答えたんだ。有希子ちゃんはこのあいだ水着の写真を撮ったよね。そのときどんな気持ちだった?

「撮ってるときは大丈夫。とくに外国に行ってまわりの人が水着だったりすると、どうにでもなれ!ってすっ飛んでる。でも人から写真見たよっていわれると急に恥ずかしくなりますけど(笑い)」

=露出度の少ないワンピースの水着じゃないといやだなんてことはないの。

「ワンピースはいやなんです。サイズが合わないの。ビキニとか、なんとなくかわいいのがいい。かわいくってのは意識してるみたいです」

17歳の自分を存分に輝き見せる才能を有希子は持っている。それは幼いときから鏡を見続けてきた習慣からかもしれない。かわいい少女は、攻撃的な少女でもあるのだ。シンデレラへの過激な挑戦の姿だった。

有希子はデビューして今日まで名古屋の実家に泊まったことは2度しかない。去年たった1日あったオフの日と今年の正月だけだ。

「家の近くで仕事があっても2時間ぐらい立ち寄るだけですね。泊まったりすると仕事したくなくなっちゃうそれが怖いんですよね。このあいだも名古屋で仕事で次の日お休みだったんだけど、ちょっと家に顔出しただけでホテルにもどりました。なんか家が遠く感じるな…」

彼女のなかですぐにも甘えたくなる家に、わざと距離感を作っているのだ。それは有希子の強さだ。

=すこし無理してるかな。実家に帰るとどんな話しをするの?

「やっぱり親は体のことを心配してくれますね。5〜6キロやせちゃったから。お姉さんとは今度の衣装がかわいいとか、よくないとかね。友だちの情報教えてくれるんです」

=友だちとは?

「名古屋に帰ると会いますけど、話しがちょっと合わなくなったな。幼く見えたりする。住んでるところが東京に替わったせいかもしれないけど。でもあたしが変わったと思われたくないから無理して合わせてる。耳年増になったのかな。変な気持ち」

シンデレラになるのはやはり特殊なことだ。いままで身近にいた家族や友達を振り返るよりも、ひとつでも多くの階段を上がらなければならない。

=あこがれていた芸能界と現実とのギャップを感じたことはなかった?

「去年の12月まで電車で仕事に行っていたんです。同じデビューのコがみんな車で来るのに、なんでだろうって、思いました(所属プロ、サンミュージックの新人養成の手段である)。一度雑誌の取材で、帰りのタクシーに乗るところって撮られたんですけど、終わったら車が帰っちゃってやっぱり電車。がっかりしました(笑い)。いまは新宿音楽祭でいただいた車にやっと乗れるようになりました」

有希子はひたむきにのぼり続けたシンデレラの階段を、あくまでくったくなく笑顔で話す。そのさわやかさが武器だということまでは彼女は知らないだろう。

たまの学校に、転校生みたいにドキドキするんです

デビューして10カ月。いま目の前にいる有希子はまぎれもなくシンデレラだ。昨年のレコード大賞最優秀新人賞をはじめ、各音楽祭を総なめにした結果がそれを証明している。そして有希子自身に、このシンデレラ現象はなにをもたらしたのか?

「新人賞は、デビュー前のほうがもっと欲しかったように思います。いまはそれよりも1回ごと自分が気に入るよう歌うことが大切になりました。それにみんながこんなに応援してくれているんだって、わかった感動が一番大きいですよ」

=でも、ただひとりのシンデレラになれたという喜びはないの?

「一緒にデビューした人に、新人賞とかなんかで差をつけたくないんです。同じように一生懸命やったんだし、あたしよりがんばった人だっていただろうし、『よくがんばったね』とかいわれて、うれしいけど変な気持ちなんです」

=金銭感覚が変わったということはあるのかな。

「どうかな。あたし中学までおこずかい1000円で、高校に入って2000円だったんですよ。それが銀行振り込みでお給料(推定7万円)が入るようになったけど、ぱっとはまだ使えない。一番高い買い物でジャンパーかな」

=学校は?

「ドキッ(笑い)。デビューの前は毎日行ってたんですよ。でも堀越の芸能コースだから、お休みする人がたくさんいるでしょ。なんか寂しくって休みたかったな、早く仕事をはじめて、みんなみたいに早退したいななんて思ってた。

それがいまは行きたいな、になっちゃった。たまにしか行けないから転校生みたいにドキドキするんです(笑い)。でもね、こんなふうに満足に通えないで卒業の肩書きだけもらっても、役に立たないんじゃないかって少し思うんです。両立はむずかしいですね。中途はんぱっていや。だから大学は考えてません」

=恋愛はどうなのかな。

「デビュー前のほうがいろいろ恋愛のことだって自由に考えられましたね。いま、自由がない、全然ない!なんて(笑い)。わりと恋愛あきらめているところあるみたい。自然にまかせてます」

=かなり年上好みと聞いているけど。

「あっ、いまのあたしたちの年齢って上の人にあこがれてるコが多いんですよ。藤竜也さんとか、三田村邦彦さんとか、舘ひろしさんとか。でもみんな子持ちで…。あれ、あたしなにいってんだろ。やっぱり変わってるのかな。年上が好きなんじゃなくて、頼れたり、甘えたりできる人がたまたまそういう人だったということですけど」

まだシンデレラの王子様は遠い。それよりもシンデレラというのは、そんなに長くは続かない魔法ということだ。

「いままでのことがみんな魔法で、ある日突然目覚めて、みんなから『きらいだよ!』っていわれたらどうしようと思います、だっていまのあたし不思議なんだもの。みんな、あたしのどこがよくって集まってくれるのか、かわらないんだもの」

=これからの不安はある?

「はい。3月25日から全国7か所でスプリングコンサートのツアーがあるんです。一緒にデビューした女のコでは初めてなんです。1日2回のステージで、声が出なくなるんじゃないかとか、呼びかけても返事してくれなかったらどうしようとか。そんなのってデビューのときは思わなかったことですから」

=でもその不安は期待かもしれない。自分が本当に愛されているかどうか、まのあたりに試されるときでしょう。それはどんなに怖くても実感したほうがいいと思うよ。

「この世界に入らなきゃ、絶対に得られなかった感動って、やっぱり欲しい!」

シンデレラはガラスの靴をはくまでのプロセスだ。ガラスの靴をはいてどのように歌い続けてゆくかは、有希子自身が決めるストーリーである。

有希子は少年たちとシンデレラという夢をたずさえて生きてきた。ひとつの夢が成就したいま、2年目の有希子は、永遠のアイドルへ飛翔するときを迎えた。絵本にない物語を彼女はこれから綴りはじめる。

「GORO」(小学館)85年3月28日号