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広報11/1号「三芳の文化財」F
 元禄七年秣場(まぐさば)争論裁許状

 江戸時代以前の武蔵野(むさしの)は、見渡す限りの萱原(かやはら)が広がっていました。周辺の村々にとっては、肥料や飼料、屋根葺きの萱、燃料としての薪などを採取するための「秣場(まぐさば)」であり、共益の場所−入会地(いりあいち)−として利用されてきました。
 ところが、江戸時代に入ると、新たに耕作地を拡大して年貢を増やすため、幕府や藩による新田開発が各地で進められます。北武蔵野にあたる三芳近辺にも開発は及び、秣場の範囲が狭められていった結果、秣場をめぐる争い−秣場争論(まぐさばそうろん)−がたびたび起こりました。
 三芳近辺の秣場をめぐる争いは、元禄(げんろく)七年(1694)に下された、幕府評定所(ひょうじょうしょ:裁判を司る機関)の裁許をもって終結を迎えます。この時の裁許の内容を記したのが、「元禄七年秣場争論裁許状(まぐさば そうろん さいきょじょう)」です。 この争論では、川越藩領外の十六ヵ村が、秣場の管理を司る野守(のもり)を相手に、評定所へ訴え出ました。
 裁許状によれば、境塚(さかいづか)−境界を示す塚−の有無やこれまでの新開地の検地実施などから、川越藩による武蔵野新田(新開地)と立野(たての)-入会秣場−の領有を妥当なものとし、村々の訴えを退けました。
  写真の絵図は裁許状の裏面に描かれたもので、元禄七年の裁許で川越藩領とされた範囲が示されています。絵図中央の濃い色の部分が立野として領有が認められた所であり、ここが後に「三富(さんとめ)」として開拓される範囲にあたります。この元禄七年の裁許を受けて、当時の川越藩主であった柳沢吉保(やなぎさわ よしやす)は三富の開拓を推し進めていくことになります。  
 
元禄七年秣場(まぐさば)争論裁許状
元禄七年秣場(まぐさば)争論裁許状
− 2007年11月 撮影 −

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2007年度「広報みよし」連載
目    次
5月号 端午の節句 10月号 須恵器
6月号 麦刈り/年中行事 11月号 秣場争論裁許状
7月号 お囃子 12月号 昔の正月準備
8月号 里神楽神楽面 1月 小正月のまゆ玉
9月号 板石塔婆

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