METAL ART MUSEUM HIKARINOTANI
1998年
7月4日
 〜12月23日

没後10年
香取正彦展

香取 正彦(かとり まさひこ)
1899(明治32)年〜1988(昭和63)年


 当館所蔵の「苺唐草文花器」


 芥川龍之介の依頼で作られた
  龍の杖の頭(同型品)

 香取秀真(ほつま)と佐倉生まれの母たまの長男として東京小石川に生まれる。小学校までを佐倉の祖父に養育され,12歳で父の元に戻る。
 大正14年東京美術学校鋳造科を卒業し,同年パリ万国装飾美術工芸博覧会(アールデコ万博)に「苺唐草文花器」を出品し銅牌を受賞する。第8回帝国美術院展覧会より工芸部門が新設されると,父の作風を越えた伝統的な香りの上に新感覚を加えた作品を発表し,昭和5,6,7年と続けて特選を受賞し帝展無鑑査となる。
 終戦後は戦争中に供出された仏具の復元に励み,昭和25年より秀真とともに父子共銘の「平和・喜の鐘」制作の実現にあたる。29年香取秀真死去,これにより「平和・喜の鐘」の制作は23号で終わり,以後「平和・余韻の鐘」として制作を続け,152の梵鐘を制作する。昭和29年より日本伝統工芸展が開かれ,第3回展から審査委員を委嘱され,伝統工芸の中心作家となった。昭和52年重要無形文化財保持者として「人間国宝」に指定され,62年には日本芸術院会員に推挙された。
 成田山新勝寺の山門を上ったところにある大きな香炉,梵鐘。宗吾霊堂の金剛仁王像は香取正彦の作品であリ,梵鐘は父子共銘のものである。