josetu1 of Metal Art Museum

常設展

「香取秀真・津田信夫」二人の巨匠と周辺の作家たち展

 千葉県の北総地方の出身であり生まれた年もほぼ一緒でありながら,伝統を重んじた『香取秀真(かとり ほつま)』と,革新を唱えた『津田信夫(つだ しのぶ)』の対照的な作家活動をした2人の鋳金作家の作品と,大正から昭和にかけての金属工芸作家の作品を,3か月ごとに替えながら1階の2つの展示室にて常設展示いたします。

IMG_6250.jpg常設展示室

香取 秀真(かとり ほつま / Hotsuma Katori)

1874(明治7)年〜1954(昭和29)年

 千葉県印旛郡船穂村(印西市)に生まれる。本名,秀治郎。7歳の時,佐倉麻賀多神社の宮司である郡司家の養子となる。明治30年東京美術学校鋳金科卒業。日本美術協会,東京彫工会,東京鋳金会で活躍し,その後帝展の工芸部設置に尽力する。昭和4年帝国美術員会員,10年には帝国芸術院会員に挙げられた。その作風は,豊かな技術を駆使した古典的で格調高いものであった。また早くから東洋金工史の研究に着手し,母校で鋳金史,彫金史などを講じ,昭和8年教授となり,著書には「日本金工史」「金工史談」「日本鋳工史」などがある。さらに文化財保護にも携わり,重要美術品等調査委員会委員,国宝保存会常務委員会常務委員,文化財専門審議会専門委員を歴任。昭和28年多方面の功績により文化勲章を受賞した。また,正岡子規門下の歌人としても著名で,宮中新年歌会召人をつとめた。

IMG_6223.jpg香取秀真katori-b.jpg多豆釜(たづがま)

津田 信夫(つだ しのぶ / Shinobu Tuda)

1875(明治8)年〜1946(昭和21)年

 千葉県印旛郡佐倉町藤沢(佐倉市)に生まれる。号,大寿。明治33年東京美術学校鋳金科卒業。35年母校の助教授,大正8年には教授となる。大正12年から14年まで,文部省の命を受け鋳金術および金工術研究のためアメリカ,フランス,イタリア,ドイツ,イギリスなど各国を歴遊した。その間,パリで開催された万国装飾美術工芸博覧会で審査委員を務める。この留学により,ヨ−ロッパの新しい工芸動向に刺激され,おおいに啓蒙されて帰国。その後は,ヨ−ロッパの新思潮の影響を受けた斬新な作品を発表し,日本の工芸運動の大きな流れの一つである新傾向の工芸を促進させる端緒を担った。また昭和2年の帝展工芸部の設置に尽力するなど,工芸の位置高揚と発展のため多大な功績を残した。昭和10 年に帝国美術院会員,12年には帝国芸術院会員となった。

IMG_6226.jpg津田信夫tuda07.jpgアラヒヤ文華瓶