2006年10月21日(土)〜11月19日(日)

西澤利高展「ぎりぎりのかたち」

■ 会期
 2006年10月21日(土)〜11月19日(日)

■ 作家名
 
西澤利高(にしざわ としたか/ Toshitaka Nishizawa)

■ 作家紹介
 私の彫刻の制作意図は、閉じられた内空間とそれをとりまく外空間の二項を同化させながらも、なおかつその場に存在させること。たとえば、ヒトが物を食べるという行為において、ヒトの口から取り入れられた食物が、体内で消化され体外へ排出され、さらに再生され再び食物となって人体の内側を通過するといった循環構造を再構築することで、人体の内臓内側を空間とする彫刻を発表してきた。それ以外では、人体をモチ−フにすることなく、捻った銅の帯板で内と外の空間をさらに捻る彫刻を制作し、さらにこの彫刻に銀メッキを施して視覚的にも空間分断同化を試みた作品「LOOP」の連作を発表した。
 前作では、鉄パイプの表面を捻り、人体の形態を表した作品「私は管(くだ)だと思うのである」を制作し、詩人の八木幹夫氏との共同の展示を行った。これは、八木氏によって「人体を一本のパイプとする」概念を言葉で語られたものを、私が彫刻で表象を示したもの。ここでは、実際に鉄パイプの表皮を捻り人体の形態を模写し、人体形態の内外空間を曖昧にするモノを制作した。

■ 作品
 
内容:彫 刻
 素材:鉄・銀メッキされた銅・磁器

■ 制作意図
 今回の展示では、前回の詩人・八木幹夫氏との共同展「私は管(くだ)だと思うのである」と同じく、人体を一本のパイプとしたうえで、さらにそのパイプの表皮を捻り、ぎりぎりのかたちとして彫刻表現を行うことを制作概念とする。
 ここでいう「ぎりぎりのかたち」とは、表皮の外側と内側を交差させ、さらにモノとして存在するその境目のこと。これまでの作品では、人体をヒトの口から肛門までを内側とする管としてその外側と内側という捉えで作品化してきたが、ここでは人体の表皮形態をモチ−フとして、その表皮形態を境とする外側と内側という空間設定を前提とする。これは、人体の機能面を可視化してきた近作において、完全に精神と肉体を切り離した発想で構築してきた作品概念を、新たに(正確には前作の「私は管(くだ)だと思うのである」から)人体の表皮形態と精神を区別することなく人体を再構築していくことに繋がる。つまり無機質な鉄パイプと人体の表皮形態の共通項を探っていく作業は、人体が食べて排泄する管であることを表現する以上に、一度肉体と精神を分離した経験から導き出した私にとっての表皮形態が彫刻化されるべき方法論でもある。前回と今回の作品では、肛門の部分をあえて閉じた表現を行っている。排泄のための穴を塞ぎそれ以外の部分を開いていくことが、私にとって一番興味深い行為である。

■ 略歴
1965 岐阜県生まれ
1992 東京芸術大学大学院美術研修科彫刻終了
【個展】
1994 ギャラリ−スペ−ス游/神奈川
1996 ときわ画廊/東京
2001 Galerie DECO/東京
2003 Gallery APPEL/東京、 
    HIGURE 17-15 CAS(ASAHI Art Festival 2003)/東京
2005 ギャラリ−オカベ/東京
2006 ギャラリ−スペ−ス游/神奈川(詩人:八木幹夫との展覧会)
    METAL ART MUSEUM HIKARINOTANI/千葉・印旛沼湖畔
【グル−プ展】
2002 白川郷芸術祭 2002/岐阜
2004 とよたトリエンナ−レ2004/豊田市美術館、 
    INTER SPACE Korea-Japan/Daegu, Korea
    Busan Intrnational Pnint Art Festival/Busan,Korea
2005 日本金属造形作家展2005/神奈川県民ホ−ルギャラリ−、大谷石資料館/栃木県
    古今伝授の里フィ−ルドミュ−ジアム/岐阜、 
    ア−トコテ−ジぱぴるす/神奈川
    Japan-Korea Modern Art Exhibition [KAN-RYU] Gallery SP/Seoul, Korea