METAL ART MUSEUM HIKARINOTANI
 
国会議事堂扉製作70年記念特別展
 「津田信夫(つだしのぶ)展」
 会期 2002年1月6日〜6月30日


 平成14(2002)年は国会議事堂扉に刻された昭和7(1932)年から数えて70年に当たります。当館ではこれを記念し,国会議事堂扉制作70年記念展「津田信夫」展(会期2002/1/6〜6/30)を開催します。第1展示室に津田信夫の作品を,第2展示室には无形の作家たちの作品を,併せて40数点を展示し,ミュ−ジアムショップには国会議事堂正面玄関扉や刻まれた「津田信夫」の刻銘の写真を展示します。

津田信夫と国会議事堂の扉

 津田信夫は明治8年佐倉市に生まれ,東京美術学校鋳金科に進み,母校にて後身を指導,大正8年鋳金科教授に任命され,12年に欧米留学を命ぜられた。14年にパリで開催された万国現代装飾美術工芸博覧会の国際審査委員となり,西欧の工芸と日本の工芸に対する考え方の違いを見て帰朝し,各分野の工芸家に欧米の工芸の在り方を語り,日本の工芸界に革新を呼び掛けて,新しい工芸を標榜した「无形」という美術集団が発足し,このグル−プの作家は,昭和2年に参加した帝展工芸部で2年,3年,4年と特選を受賞した。
 信夫の郷里佐倉には「国会議事堂」の扉は信夫が制作した作品,という伝えが残されており,過日,岩瀬良三参議院議員のご配慮により千葉県立美術館の学芸員の方と議事堂正面玄関のブロンズ扉の調査を実現することができた。国会議事堂は,中央に正面玄関,左側衆議院議員玄関,右側参議院議員玄関となっており,正面玄関は,皇室の方とか外国の貴賓の方のほかは使用されることはなく締め切られ,通常は正面玄関内のロビ−には入る事ができない。
 参議院側より正面ロビ−に入るためロビ−横の扉を開けたところ,扉の側面に,
   『昭和七年三月三十一日  東京美術学校製作
          工事檐任  東京美術学校教授 津田信夫
                同     講師 鈴木 清』
の刻銘が刻まれていた。ロビ−内は開かれることが少なくブロンズ扉は製作された当時のままで,外部から見た青銅色とは違う輝きを残していた。撮影を終え,正面玄関のロビ−内から見て右側の扉を開けたところ,ここにも同じ刻銘が刻まれていた。
 刻銘に刻まれた鈴木清による東京美術学校々友会月報の報告によれば,国より議事堂ブロンズ扉の製作が美術学校に委嘱され,津田信夫が製作檐任に当り,1万貫(37.500kg)に及ぶブロンズの合金率の選定や工程の作成など当初から製作に関係し,信夫のアトリエを美術学校の鋳造工場として提供し,1日 300貫(1125kg)鋳造できるよう炉を改造して製作したと記され,信夫が昼夜を問わず制作に励んだものと考えられる。芸大に残された記録によれば,信夫に扉などの図案手当てとして2度にわたり支出されており,装飾の原案は大蔵省より示されたものの,鋳造による収縮率などを勘案した原型制作は津田信夫によるものと思われる。国会議事堂の正面玄関ブロンズ扉等は津田信夫が精魂をつぎ込んだモニュメントであろう。