食事に街にでる。王府井大街を少し離れた小道にあった屋台に決める。
満腹になり、通りをしばらく散歩。デパートなどが目につく。本当に共産主義国家?銀座とあまり変わらない。ネオンに飲み込まれながらもホテルへ帰る。シャワーを浴びる。
水でがまんする。東京より少し寒い。水はこたえる。0時頃就寝。
- 食材市を抜け、最初に訪れたのが北京大学旧校舎「紅楼」。
- かつて中国共産党の創設者李大釖や文学改革者胡適らが教授に立ち、毛沢東が図書館の係員として禄をはんでいた。
- 現在は文物局が使用。
故宮博物院
中華帝国の中枢部・紫禁城 元・明・清、三代王朝の皇居跡 かつての皇帝権力を彷彿させ、後宮の悲劇も今に伝え 四千年の中華文化の粋を集めた所蔵品を誇る
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太和殿 宝座
太和殿 御路 - 中央の一枚岩の竜のレリーフを彫った「御路」は皇帝専用の通路であり、皇帝以外の何人もここからの登城は許されなかった。
太和殿 - 軒には10種の仙人と動物をした瓦が置かれている。多くの建物に置かれたこの動物たちは、魔除けの意味があるのだが、この太和殿のように10種も置かれた例はない。
- 太和殿両側の塗金された銅罐には、1900年の義和団事変の際に侵入した8カ国連合軍の兵士が金メッキを削り取った生々しい跡が残っている。
- 九龍壁
- 長さ29.4m、高さ3.5mの瑠璃装飾の壁。九匹の龍が宝珠と戯れる様が描かれている。北海公園の九龍壁、山西省大同の九龍壁と合わせて中国三大九龍壁の一つ。
- 中央の白龍の腹部に、彫った木片がはめ込まれている。これは製作時に不注意で、この部分の瑠璃片を割ってしまったため、処罰を恐れた職人達が彫刻した木片に上手く塗装して乾隆帝の眼をごまかしたが、年月を経て塗装が剥げたものといわれている。
天安門広場 面積40万m2、世界最大 50万人を収容できる大集会場ともなる 明代永楽年間、広場形成 1919年5月4日 五四運動 1949年 中華人民共和国建国式典 1989年6月4日 天安門事件 ![]()
- 天安門に掲げられる初代首席毛沢東の肖像画
- 1949年10月1日、この門上で毛沢東は新中国成立の宣言を行った。
人民英雄紀念碑 - 新中国成立のために戦い殉死した人々を追悼する記念碑。1958年4月完成。
- 正面の文字「人民英雄永垂不朽」は毛沢東の、裏の台座の四面にはアヘン戦争以来100年以上に渡る革命の歴史を描いたレリーフがある。
毛主席紀念堂 - 1976年、毛沢東死去により後継の主席になった華国峰が建てさせた。水晶で作られた棺の中に中国国旗・五星紅旗にくるまれた毛主席の遺体が安置されている。
天安門広場にて
- 昼食は天安門広場に近い「前門大街」にある北京ダックの老舗「全聚徳火考鴨店」で北京ダック。やはり油っこい。すぐに満腹になる。粥がほしくなった。50元。
- 全聚徳火考鴨店
- 崇文区前門大街32号
- TEL.6511-2418
- 11:30-13:30 16:30-20:30
- 前門大街周辺をうろつく。上野のアメ横のような感じ。
- 午後地下鉄とバスを乗り継ぎ盧溝橋へ。
- 地下鉄は全線2元。バスは1.5元。天安門広場から1時間30分程。バスに乗って20分ほどすると農村地帯となる。
盧溝橋 日中戦争勃発の地
- 1192年完成。交通網強化のため建設される。下を流れるは永定河。
- 全長260.5m、幅7.5m、橋桁は11のアーチからなる。欄干の柱頭に石の獅子が彫られており、1つとして同じものはない。
- 元代に訪れたマルコ・ポーロも美しさに絶賛したため、俗にマルコ・ポーロ・ブリッジという。
- 1937年7月7日夜に起きた偶発的発砲事件が両軍の交戦に発展、日中戦争へとつながった。
1999年9月25日(土) - 昨日と同じくバイキング方式の朝食をとった後、毛主席紀念堂へ。
- その後、人民大会堂へ。
人民大会堂 - 1959年9月落成。正門玄関の上方に中国国章が掛けられている。
- 全体の面積は17万m2で。中央部・北部宴会庁・南部全国人民代表大会事務楼の3つに分かれている。
- 1万人を収容できる「万人礼堂」。ここでは最高国家権力機関である全国人民代表大会の他、党や政府の重要な会議が開かれる。
北京庁の会議室。 後方は「万里の長城」の装飾画。
4時ホテル出発。1時間程歩きホテル「北京国際飯店」の脇にあるリムジンバス乗り場へ。行きのバスの中で知り合いになった日本人と会う。5時30分発。途中太極拳をやっている人達をみかける。6時30分空港着。それにしてもごったがえしている。出国審査に1時間程並ぶ。
北京発10:35 UA852便 成田着14:55 定刻通りのフライト。