桜ヶ丘住宅改造博覧会の現在


阪急箕面線桜井駅を降りて真っ直ぐに北に進むとしばらくして坂を上った辺りに、同心円状に弧を描く道路に沿ってモダンな洋風住宅の建ち並ぶ一角があります。ここが大正時代に住宅改造博覧会が開催された跡地です。当時博覧会に出品された25棟の住宅のうち9棟が現存し、また博覧会の後にこれらの住まいに習って建てられた洋風のモダン住宅も辺りには点在して、独特の美しい景観を形作っています。

さっそく博覧会跡地を、散策してみましょう。当時の博覧会の地図のうち現在も残っている出品住宅はオレンジ色の建物です。ご覧になりたい建物をクリックしてみてください。

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大正時代、一般市民の生活の向上を目指して様々な生活改善展覧会が催されました。建築界においても国家の建物や貴族の館から一般市民の住まいに目を向けられるようになり、その近代化を図るため様々な住宅改良運動が試みられています。一方、富国強兵策による産業推進から工業都市大阪の環境は著しく悪化し、より良い住環境を求め市民の目は郊外に向けられるようになりました。その背景には産業の変化による職住の分離、発達してきた私鉄による沿線郊外宅地の開発、そして当時盛んとなったユートピズムにもとづく田園都市への憧れなどがあげられます。

こうして明治30年代以降の生活改善、住宅改良の成果を示す一大イベントとして、日本建築協会主催により箕面桜ヶ丘の地に大正11年9月21日より11月26日まで住宅改造博覧会が催されたのでした。箕面の辺りは箕面有馬電気軌道(後の阪急電鉄)が明治後期より郊外住宅地として積極的に開発分譲を進めていた地域です。博覧会には25棟の住宅、家具、建築設備、材料・部品、図面などが展示され2ヶ月の会期中に約7万の人が訪れました。博覧会に出品された住宅は終了後分譲され、それから約78年の歳月を経た今も私たちに当時の息吹きを伝えています。

これらの住まいはいずれも洋風を主体とした住まいですが、日本の一般中流階級のモデルとして、また、住宅改良運動を通して生活様式から表現・工法に至る和式洋式の折衷などが推し進められた成果として建設されたため、明治期の洋館のように厳格な様式を持って和と対置されていたり、あるいは神戸の異人館のようにあからさまに異国情緒が漂うものではなく、日本の郊外住宅地の景観に溶け込むように、しかし、夢を与えるようにたたずんでいます。

この博覧会とほぼ同時期、大正11年3〜7月には東京上野でも「平和記念博覧会」が催され、「文化村」と名付けられた会場に14棟の実物の住宅が展示されました。しかし、この博覧会では今日の住宅展示場の如くいかにも陳列されたかのような構成でした。また、会期後撤去が前提とされていたため実物とは言えどうしても仮設的な物とならざるを得なかったのではないでしょうか。それに対して桜ヶ丘住宅改造博覧会では、会期終了後敷地と共にそのまま分譲が予定されており、街路割をはじめ、庭園や生け垣など街全体としての一体的な計画がなされていました。これは住宅改良には単に住宅の建物のみならず住宅地の改良(都市施設の整備)も重要であると考えられたためです。当時の住宅改善の主要な問題として、上水道の供給・便所の汚水の処理・暖房などの設備の充実があげられており、これらの実現を含めてこそ展示が意味を持ち、またその後の分譲が可能であったのでしょう。また、この街区計画には、当時英国より紹介されていました田園都市の影響が見られ、同心円と放射状に伸びる街路の設計がされています。これは東京の田園調布に先立つ先駆的な実例です。



当時最先端の思想と技術によるこれらの住宅も、今日のライフスタイルと特に住宅内での目覚しい設備機器の発展からは立ち後れた面もあり生活上の不自由さを住み手に強いる所もあろうと思います。しかしながら住まう事に対する根底をかたちづくる豊かさにおいてこれらの住まいは今日の住まいに勝るとも劣らぬでありましょう。今日の住まいが利便性の追求や個々人の表面的な嗜好の表出に走り、あるいは溢れんばかりの物の収納場所と化したかの有り様の中で、これらの住まいは、新たな生活を創り出していく気概にあふれ“文化としての住まい”のありようを私達に知らしめてくれる優れた建物達です。1988年刊行の“大正「住宅改造博覧会」の夢”のブックレットには、当時は13棟現存し、その調査記には「5年前には15戸であった」と記されています。住まいは生活と共に生きているものであり、その過程で様々に姿を変え、あるいは役目を終え消えていく事は止むを得ません。それでもなお、現代の生活・現代の技術とこれらの住宅の思想・表現との調和を試みて、街の宝物として、人々の心に宿る夢として、そして何よりも現役の生き続ける住まいとしてこれらの建物がこれからも愛されていく事を願っています。


参考文献
大正「住宅改造博覧会」の夢 箕面・桜ヶ丘をめぐって  INAX BOOKLET
郊外住宅の形成 大阪−田園都市の夢と現実 安田孝 INAX ALBUM 10
住宅近代化への歩みと日本建築協会 社団法人日本建築協会


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