![]() |
![]() |
![]() |
| |
![]() |
| |
![]() |
| |
![]() |
| |
![]() |
| |
![]() |
| |
![]() |
| |
![]() |
| |
![]() |
ひぐち和正が生まれ育った街・中野区の紹介です。

中野区は、23区の西部、武蔵野台地の一角に位置する区である。
東は新宿・豊島、西は杉並、南は渋谷、北は練馬の各区に隣接している。
面積は、15.59kuあり、東京都の総面積(2,187.09ku)の約0.71%、
区部面積(621.49ku)の約2.51%にあたり、23区中14番目の広さである。
区内には、荒川水系である神田川、妙正寺川、善福寺川、江古田川走り、
流域の市街化による、都市型水害が頻発している。
また、区内は南台、弥生町、本町、中央、東中野、中野、
新井、沼袋、松が丘、江原町、江古田、丸山、野方、大和町、
上高田、若宮、白鷺、鷺宮、上鷺宮の地域にわかれる。

中野区の総人口は、308,875人、世帯数は176,663世帯である。
(平成17年4月1日現在の住民基本台帳および外国人登録による)
これは、23区中では中位であるが、推計人口(平成15年4月1日現在)によると
人口過密度は1kuあたり20,014人で23区中1位である。
中野区は、昭和30年代以降、高度経済成長にともない、
人口の急激な増加、宅地化がすすんだ。
計画性の低い急激な開発がおこなわれたため、
自然緑地や農地が減少し、過密な市街地となっていった。
また、木造建築物の密集している地域もあるため、
火災発生時、非常に危険であることが指摘される。
現在では、住宅の狭小化、老朽化がすすみ、
また、建物の中高層化による日照、通風の問題など住生活をとりまく問題は多い。

区内の鉄道は、区中央部を東西に貫通するJR中央線、
これと平行して、南には営団地下鉄丸ノ内線、北には西武新宿線が走り、
営団地下鉄東西線も中野駅に相互乗り換えをしている。
また、都営地下鉄大江戸線の開通によって、新江古田駅が新設された。
バス路線は、京王、関東、都営、西武、国際興業の5社によって
運営されているものの、交通渋滞等の影響によって定時性が得られず、
交通機関としての信頼性が乏しく、利用者が減少している。
その結果、自転車やバイクの利用者が増加し、
駅前の放置自転車などの問題が発生している。
区内には、青梅街道、新青梅街道、大久保通り、早稲田通り、
環状6号線、環状7号線、中野通りなどの幹線道路があり、
区内の交通をになっている。
しかし、狭あいな生活道路が多く、幅員4.0m未満の道路が約6割を占め、
交通安全や防災の観点から危険が示唆される。

中野区は、戦前から住宅地として発展してきたため、
区内の産業を産業分類別に見ると、商業・サービス業などの
第三次産業が88.3%と非常に大きな割合を占めている。
建設業・製造業など第二産業が11.7%、
農業など第一次産業はごくわずかである。
区内の産業は、生活に密着した商業が中心となっている。
区内の商店数は4,913店、従業員数は31,511人であり、
1店あたりの平均従業者数は6.4人である。
また、大規模小売店は13店である。
鉄道駅周辺を中心に90の商店街があるが、
一部の商店街を除いて活気に乏しいのが現状であり、
地域との結びつき、消費者ニーズへの対応など商店街の活性化を図っている。

旧石器時代、すでに現在の区内にあたるところには人びとが住みついており、
縄文時代には、集落をなして竪穴式住居に住み、狩猟生活を営んでいた。
大化の改新後、中野を含む地方は武蔵国と呼ばれていた。
江戸城築城の際、江戸へ石灰を運ぶために、幕府は青梅街道を設立。
中野村はこの街道の宿場となり、往来も多くなり、
宿場として、みそ、しょう油、そば粉を扱う店などが盛んになった。

昭和55年度から教育内容の充実のために、40人学級化がすすめられ
小学校では60年度に、また中学校では昭和63年度に全校で実現した。
区内に、みどりやオープンスペースも少ないため、
子どもたちが自然に接し、体験学習することができるように、
福島県田村市と長野県軽井沢町に少年自然の家を設けた。
各学校では毎年移動教室や夏季学園に利用している。
障害児の学習については、一人ひとりの障害や発達の状態に応じて、
適切な教育を受けられるように相談体制の充実を図っている。
学校施設は、平成17年度に地震対策として、
小・中学校の体育館の窓ガラス飛散、懸垂物の落下防止の再点検、
飛散等虞のある施設には防止工事をおこない、施設の安全性をより確保した。
![]() |