フォーラム

古典とは、
ひとから聞いたり、それについて読んだりして
知りつくしているつもりでも、
いざ自分で読んでみると、
新しい、予期しなかった、
それまで誰にも読まれたことのない
作品に見える本である。
カルヴィーノ
『なぜ古典を読むのか』
<若者たちの心に残った作家のことば>
「モリエールは絶えず可笑しみに沿って歩いていくが、
可笑しみに足をすくわれることは決してない。」
ゲーテ
「ひとは女に生まれるのではない。女になるのだ。」
シモーヌ・ド・ボーヴォワール:『第二の性』
「不愉快な考えごとは頭からはやく追っ払った。
そんな気苦労のために肝心のエマのことを忘れてはならないと思った。
自分の考えは妻のためのもので、たえずそれを念頭においていないのは、
なにか妻から奪いとっているのだとでもいうふうに」
ギュスターヴ・フロベール:『ボヴァリー夫人』
シャルルの妻への思いの深さに心が癒された。
(学生の独白)
「頬が焼けるようだった。眉毛に汗の滴がたまるのを感じた。
それはママンを埋葬した日と同じ太陽だった。
あのときのように、特に額に痛みを感じ、
ありとある血管が、皮膚のしたで、一どきに脈打っていた。」
アルベール・カミュ:『異邦人』
「わたしは死ぬのに、あなたは生きている。
それを思うと目が醒める!
そんな恐怖が他にあるだろうか。」
ジャン・コクトー『平曲調』詩集より
(ひとりで夢の世界に行く淋しさに耐えられずおもいきり目を醒ますというのは、
『恐るべき子供たち』を読んだからこそいたく感じられたのかもしれません)
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