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2.社会福祉法人あさひの歩み |
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生徒さんがたった一人ということもありました。
東京を中心にとか学院とかにこだわらず、横浜の地で「教室」と言う形で独立させました。
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昭和57年2月神奈川県保健婦部会長を10年間続けられた伊吹まささんをお迎えして、「体を拭く」介護技術実習のデモンストレーションを中区の洋服会館で行いました。
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昭和62年、ホームヘルパー認定のための初任者研修の厚生省基準は72時間から360時間となりましたが、いっこうに自治体も実行されようとはしませんでした。「女ならホームヘルパーは出来ますよ」とか「まあ2日か3日でよい」「やらないよりやった方がよい程度の研修」とか我が社会福祉界において学びの理解を得ることはとても難しかったのです。
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これは「ホームヘルプ活動を行う者」と「ホームヘルパーを養成・指導する者」とが一体でなく、上の人が下の人へ「やらせる」と云ったものでありました。これまであった「看護婦家政婦団体」を「ホームヘルパー」として、行政が委託を行いましたが、これは研修などほとんど不用とされたのが実体であったためでした。
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わがホ−ムヘルパー福祉協会は少しの月謝を戴きながら講師と受講者の「対話」の中から、家庭の中ですでに高齢者や障害者を見看った経験のある方々も現われて、当時、赤十字の家庭看護法を開発された青木文江先生を中心に「ホームナース」と云う言葉をとり入れて、独自のプログラムで勉強会はすすめられました。
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