伝統とテクノロジーの狭間で

時報(土居町文化協会会報)に寄せて



 インターネット全盛ですね。私の土居の実家でもADSLを引きました。81歳になる親父のボケ防止にと、私と私の姉が説得して引かせたものです。親父は趣味の碁の相手をインターネットで探すつもりらしい、インターネットの向こう側の全く知らない人とリアルタイムで囲碁を打つ、こんな事ができる時代になりました。


 昨年10月にロシアに演奏旅行に行きました。私は、ロシアでもメールのチェックをしたり、コンサートのチラシのデザインをチェックしたりできるように、事前にロシアのインターネット状況を調べて、日本にいるのとほとんど変わらない仕事をこなしましたが、ロシアは広いです。人間はインターネットでは運べないですから。バイカル湖の西側のイルクーツクから東側のウランウデまで500キロの道のりを、行きはマイクロバスで9時間半、帰りはシベリア鉄道の夜行列車で8時間半の旅をしました。まだ10月だというのに山間部では雪が降り積もっていました。バイカル湖は湖というより海という印象でした。世界の淡水湖の1/5の水量がバイカル湖にあるのです。冬は湖が凍るので同じ道のりを5時間で着くと言います、広さも寒さもスケールが違います。


 最近はコンサートでもコンピュータを使った作品を取り上げています。いろんな作品が産まれていますが、だからといって、伝統のあるものや古いものに価値がないと思っているわけではありません。というより伝統を大切にしたいと思っています。硬派のコンサートには「伝統とテクノロジーの狭間で」というタイトルを好んで使っています。しかし、私が伝統から学び取ろうと思っているものは、生意気を言うようですが、その概念だとか精神です。形だけうまくコピーできたとしても、絶対に本場の人間には敵わないと思います。伝統的(保守的)であるとか先進的(革新的)であるとかよりも、上質であるかどうかの方が、芸術には大切なことだと思います。そしてこのような伝統によって育まれた心のあり方こそ私たちの文化と呼ぶべきものではないでしょうか。


 ところで、文化って何でしょう?この原稿を依頼されて以来、改めて文化の意味を考えています。日本には、短歌や俳句などの文学的な文化や、華道・茶道などの生活文化があり、土居町にもその愛好家の方は多くいらっしゃることと思います。私にはあいにくその素養はありませんが、俳句や短歌を詠んだり、花を生けてみたり、お茶を点てたりすれば、なんとなく生活が豊かになった気がするのは容易に想像できます。書道などもそうでしょうね。墨を摺り、心落ち着けて、紙に向かって筆を取る、豊かな時間が流れて行くような気がします。かつて日本人は「〜道」というように、何事においても、道を究めようとしました。インターネットを誰もが日常的に使うようになった21世紀には「パソコン道」や「インターネット道」なんてものが生まれてくるのでしょうか?これもまたひとつの文化であるはずです。


 一方、今までの私たちを振り返ってみると、それはテレビによって大きく影響を受けた文化だったと言えるのではないでしょうか?確かに、日本人の多くは情報の入り口をテレビに依存しているんだと思います。朝起きてから夜寝るまで、テレビは付けっぱなしに近い状態の家庭が多いのではないでしょうか?私は最近余りテレビを見なくなりました。見るのはニュース番組と気に入った特集番組くらいかな。まあ、ひねくれているとか、歳といわれればそうかもしれませんが、どうも下品でいけません。チャンネルを代えられたくないために、制作者はテレビの番組を作るに当たって3分に1つ位の割合で「驚き」を仕込む、最近のテレビは日本語なのに「字幕」が出たりする、私はそれをおもしろいと思えない、ちっとも受けないんですね。『テレビ文化』なんていう言葉を聞くと、なんだかなあと思ってしまいます。それは様々なものやことをただ受けとめるだけで、自ら問いかけたり吟味したりすることを放棄してしまうような姿勢を私たちに植え付けてしまったようにも思えるのです。


 私のコンサートは「むつかしい」とか「わからない」とか言われることがあります。まあ難しく考えれば難しいし、解ろうとすると解らないとしか答えようがないのですが、聴いていただいて今まで動かなかった心の中の感性の一部分でも動いて下されば、それで良しと思っています。居直るわけではないですが、世の中に存在する価値のあるもので、直ぐに解るものが一体あるでしょうか?


 聴く側の体勢というものも影響するでしょう。どんな本でも、自分で読み進まなければ意味はわからないように、音楽に対して「受け身」であってはおもしろくならないのではないか。常にアグレッシブであれというのではないですが。


 森に入っていろんな音に耳を傾けてみます。木々の葉のこすれる音、小川のせせらぎ、小鳥の鳴く声、いろんな音が聞こえて来ますが、不思議と落ち着くものでしょう?うるさいと思う人は余りいらっしゃらないと思います。しかし、木の葉や小川の水は、私を癒してやろうと思って音を立てているのではないですね。私たちが、それらの音の中から「ファンタジー」を聴き取っているのです。海に行って波の音や遠い船の汽笛に耳を預ける、たき火やろうそくの炎をしばらく眺めてみる、何かほっとするものはないでしょうか?そのように私たちが自然に心の中に湧き上がらせるものが音楽なのではないか?芸術とはそのようなものではないか?


 解らないままで、家に帰り、あれは何だったんだろうと疑問を持ったままでいるのは疲れる事かもしれません。だとしても、しばらくそれについて考える事がちゃんと理解するための能力を育ててくれるんじゃないかなと思います。将棋の米長さんがおっしゃっていたことですが、「たくさん考えて『よしこの一手!』と思って指して、駒から指を放した途端に『悪手』と解る時がある。」のだそうです。でもそれは指してみないと気づかないんだそうです。その試合は負けてしまったとしても、それがその人の財産になるのだと。


 初めて体験することに接して、「おもしろい」と思えるか、「むつかしい」「わからない」と拒否するか、それが自分の脳味噌の硬直度を計るバロメーターなのではないかなと思います。現代詩や現代美術は音楽より遙か先を行っていると思いますが、言葉や色・形が無い分、音楽は前衛に向かい難いのかもしれません。


 ジョン・ケージという作曲家をご存じでしょうか?12音技法に始まり、ピアノの弦にいろんな物を挟み込んで音色を変えるプリペアドピアノ、音楽が次にどう進むか易(えき)で決めるチャンス・オペレーションの技法や、禅の教えから発想してピアニストが1音も打鍵しない「4分33秒」という作品を発表するなど、音楽の概念を大きく変えた20世紀の大作曲家です。ピアニストはピアノを弾かなくても会場内に音は聞こえる、その音達が、自分が森の中で体験した音のように「ファンタジー」を生み出すのです。


 19世紀までの西洋音楽は常にクライマックスに向かっていました。これが20世紀に入って行き詰まりを迎え、12音技法が誕生し、いわゆる現代音楽といわれる音楽が始まるのですが、日本古来の音楽はどうでしょう?雅楽などに代表されるように、どこに向かうでもない時間が実にまったりと流れて行きますね。つまり日本と西洋では時間の概念が違うのです。ケージは、音楽は演奏する側にあるのではなく、聴取する側にあるのだと言いたかったのでしょう。その意味では、ケージの音楽は、東洋の概念に近いと思います。


 「癒しの音楽」が流行しています。「音楽療法」という学科が大学にもあるくらいです。もちろん病人には治療は必要です。静かな音楽を聴いていると、魂が安らぐ事もあるでしょう。しかし「癒しの音楽」は音楽の側面の一つにしか過ぎません。「過保護」という言葉もあります。少々の擦り傷や切り傷は、自然治癒するものです。それが身体の抵抗力をつけてゆき、逞しくなるのです。現代人はいつの間にこんなに弱々しくなったのでしょうか?


 先日、高校の先生をしている友人に聞いた話ですが、「くれない症候群」というのがあるのだそうですね。「先生は〜してくれない。」「親は〜してくれない。」という子供が多いと聞きました。自分から何かをやってゆこうとか、どうして周りの人は私に何もしてくれないのか?とか考える事をしない、ただ人がやってくれるのを待っている、無気力とでも言えば良いんでしょうか?極論になりますが、これってテレビ依存症の一つの症状のような気がします。


 話は戻りますが「直ぐに解る」のはテレビの番組くらいのものでしょう。そういえば、昔、教科書ガイドという参考書がありましたね。赤色で答えが書いてある。あれを眺めていると、その時はなんだか解った気になるのですが、本当はちっとも解っていない。テレビはドラマの途中で電話があったり、他の用事を済ませたりしながらでも、終わりだけ見れば、なんとか筋は見える。それで解ったというのは、なんだか情けない話じゃないでしょうか。


 昨年の終戦記念日に新居浜文化センターで平和を祈ってのコンサートを開きました。いろいろ準備を進めてゆく中で、平和のために私たちができることとして最後に私が思ったのは、『あれ変だな?これっておかしいな?と思ったことを、そのままにしておかないこと』でした。そうした小さな事の積み重ねが、今の日本の閉塞感や事なかれ主義に繋がっているような気がします。『文化』とはそういうことについてちゃんと考えることなのではないかと思います。


 愛媛県は次年度から全国に先立って、戦争の事実をねじ曲げた教科書を採用するのですよね。しかも、養護学校などの立場の弱い子どもたちがその教科書で勉強すると聞きました。これって、変だと思いませんか?採用が決まった直後8月18日の愛媛新聞に新居浜出身の劇作家・演出家の鴻上尚史さんが「私の故郷は愛媛県ですと少なくともアジアの諸国では言えなくなった。」と投書なさっていました。私もその後、その教科書を取り寄せて、少し勉強をしました。そして今は、愛媛県出身者であることを恥ずかしく思っています。その決定の張本人である愛媛県知事は再選を果たしました。愛媛県人がその人を選んだのです。対立候補がいないとかいろいろ理由は挙げられると思いますが、そんなことで愛媛は良いのでしょうか?


 私も鴻上さんも、もちろん共産党員でもなければ、共産主義者でもありません。芸術と自由を愛する人間です。鴻上さんから伺ったエピソードを一つ披露しましょう。彼は新居浜西高の後輩で高校時代演劇部に所属していました。そして、全国高校演劇祭に出たいと学校に申し出たところ、許可して貰えなかったそうです。数年前、その演劇祭が松山で催された時に講演を依頼され、その話をされたそうです。「私の時代は高校演劇祭に出演したいと言ったら、教育委員会にアカだと言われました。純粋に演劇をやろうとしていた私には大変ショックでした。今でも心の傷として残っています。」と。日本にもそんな時代がありました。そんなに古い話ではありません。私と同じかそれ以上の年輩の方は、良くご記憶されていると思います。


 東京都知事の石原さんが年頭に当たってこんな事をおっしゃっています。
 ● 小泉内閣の使命(作家、東京都知事 石原慎太郎)
先日私のインタビューに来た日本に長いイズベチュア通信の記者に、ソヴィエトは革命以来社会主義路線をとって結局失敗したが、それに比べ日本は世界で一番成功した社会主義国、つまり中央集権の官僚統制国家だと思わぬか?といったら、全く同感だがその日本は一応の成功はしたとはいえ同じことをいまだに続けていますよね、と皮肉に切り返されました。そして、未だにそれに気づいていない自民党は、かつてペレストロイカを行わざるをえなかった当時の、何をやっても的外れだったソヴィエト共産党とそっくりだとも。まことに妥当な批評といわざるを得ない。今は亡き司馬遼太郎氏がいつか、この国は明治憲法発布以前、徳川体制が崩壊し廃藩置県して太政官制度を構え近代国家たらんと出発した頃の日本と全く変わっていないと慨嘆していましたが、その通りです。(以下略)


 軍国主義や共産主義、社会主義といった言葉に惑わされてはいないでしょうか?石原慎太郎氏は自民党タカ派の政治家と思いますが、その人が『日本は世界で一番成功した社会主義国』と言っているのです。そもそも自由民主党が『自由と民主主義の党』だとは誰も思っていないでしょう?そういう言い方をするのなら、私は『平和主義者』でしょうか・・・


 つい先日の1月25日に東京の代官山にある代官山ヒルサイドテラスでソロコンサートを開きました。その中で三輪眞弘作曲の「Send Mail」という作品を演奏したのですが、この作品は、トランペットの音をmidi信号に変換して、そのmidi信号にアルファベットを割り当てて、キーボード代わりに使い、メールを送るというものです。この日のメールの送り先はブッシュ大統領でした。私と三輪さんは皮肉を込めて以下のような文章を送りました。
Dear Mr.Bush Because I love music I am writing this mail using my trumpet! I am sure that you will reply to me in the same way. I know you follow Hammurabi code instead of Christianity "Eye for eye trumpet for trumpet"! take care your japanese friend.
 キリスト教には「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」という教えはあっても、「報復」の文字はないのです。


 昨年は、新居浜や西条でコンサートがあったり、親父が交通事故にあったりで、何度も土居に帰りました。南の山に高速道路が走り、北山の砕石場の跡はますます大きくなっています。郊外に大都市からの大型店が進出し、ご近所のお菓子屋さんや魚屋さんが無くなっていたり、海通橋のたもとに大きなクアハウスの建設も着工されたと聞きました。市町村合併で「土居町」の名前もやがて無くなるのでしょうね。もしそうなったとしても、親類や友達もたくさん居ますし、土居がふるさとであることには変わりがありません。しかし、私は終の棲家をどこで迎えることになるのか全く予想がつきませんが、『地球が私のふるさと』と言って死んでゆきたいなと思っています。


 昨年12月にはベルギーからギタリスト、イスラエルから作曲家を招いてコンサートをしました。イラン人の音楽家の友人もいます。インターネットの発達で、情報社会は狭くなりました。四国は島国日本の中のもっと小さな島ですが、イラクや北朝鮮の問題も『対岸の火事』ではすまなくなってきています。愛媛の教科書が史実と違うことを、世界のジャーナリズムは知っています。もはや内緒でこそこそやっているわけにはゆきません。日本が悪い、愛媛が悪いとぼやいているだけでは、なんにも変わらないのです。まず土居町を住み良い文化溢れる町に変えることから始めませんか?それは「変だな?と思ったことをそのままにしない」という態度から始まるのだと思います。


 芸術家が、花鳥風月にだけ心を動かす時代は去りました。よほどの深窓の令息か令嬢でもない限り、全く政治と無縁に芸術を語り創作することは、不可能でしょう。もしくは政治家の腰巾着に成り下がるしかありません。ベルリンの壁を打ち崩すきっかけを作ったのは音楽家でした。芸術する気持ちを持ち、世界の国々がそれ自身のアイデンティティを保ちながら共存して行く方法を、21世紀の人類は見つけなくてはならないのだと思います。

 2003年2月1日

              志賀高原一ノ瀬スキー場にて 曽我部清典