「音楽的感情の精神生理学」

Psychophysiology of Musical Emotions

Carol.L.Lrumhansl Department of Psychology, Cornell University


概要 

 本文では、音楽を聴いた際の人間の情緒的反応(音楽的感情)に注目し、その動的な変化を観察することにより、音楽と音楽的感情の相互を精神生理学的尺度において関連づけるという試みをおこなったものである。

 音楽に対する情緒的反応に関しての哲学上の論議においては、音楽そのものが聴き手の情緒変化をもたらしている(感情派)のか、もしくはただ単に聴き手がその音楽をどういう音楽か認知していることの表れである(認知派)だけなのかが問題となっている。

 実験は、人間の3つの感情(悲しみ、恐れ、喜び)のそれぞれについて、それを象徴するようなメロディを2つづつ選び、それを被験者に聞かせることでおこなわれた。測定は心肺機能、血液循環、皮膚伝導度、呼吸機能など、かなりの広範囲を対象とした。

 ”悲しみ”のメロディでは、心拍数、血圧、皮膚の伝導度の変化がもっとも著しく、”恐れ”では血液の循環時間と血流量が、”喜び”では呼吸作用にもっとも大きな変化が見られた。これらの特定情緒の生理学上の変化は、音楽を聞いたとき以外にも見られるものがただ部分的に繰り返されたものである。しかしながら通常見られる、音楽が人間に与える生理学的影響については、感情派の(音楽的感情の)見地と一致するものである。

1.導入

 音楽的感情に対しての哲学的な論議では、音楽そのものが聴き手の情緒変化をもたらしているのか、もしくはただ単に聴き手がその音楽をどういう音楽かを認知していることの表れであるのかが争点となっている。認知派のもっとも強力な提唱者の一人でもあるPeter Kivy(1990)は、”感情派”と”認知派”とを以下のように区別している。

「音楽感情派とわたしが呼んでいる人たちは、普段、批評家や理論家、もしくはただの一般の聴き手が曲の一部分を聞いて、それを『悲しい』というのは、われわれがそれを聞いたときに悲しいと感じるためであり、そして彼らが”悲しい”音楽を、−わたしが思うに− 一般の聴き手に悲しみを普通に喚起させる音楽であるという意味とととらえている。音楽認知派は感情派のように、時として音楽を情緒的な言葉で描写することも適切であると考えているが、しかし感情派の主張に反して彼ら(認知派)は悲しい音楽が聴衆の悲しみを喚起するのはそれが悲しい音楽だからではなく、むしろ悲しみは聴く者がその音楽の中に認知する、(感情として)表現でき得る1つの特性ではないかと考えている。」

Kivyは、感情派の「音楽を聴いた際の、聴き手の実際の心情が行動的な現象などとして表面に表れることがないのは言うまでもない」という基本的な立場を全く否定した。認知派の考え方の背景はLeonard Meyer (1956.p.8)によっても唱えられており、彼の主張は次のようなものである。「聴き手が(音楽を聴いたときに)あれこれという感じを(その曲から)受けたと訴えるとき、彼がそのメロディーの一節が、彼が感じなかった何かを指し示していなければならないと信じることそのものを表現しているとしてもそれは仕方のないことである。」

 彼は心拍数や皮膚の伝導度などといった、音楽を聴いた際の生理学的反応の変化の重要性を念頭から無視し、その理由として2つの背景からくる見解を述べた。

1つは、「音楽に対する反応、ことに生理学的な反応については、ある同じ反応(感情)を呼び起こさせるために選択した音楽間で、音楽的な性格やその組合わせに何の関連も認められない」こと。もうひとつは、「観察された生理学的変化は、何か神秘的でそして説明の付かない方法で音色というものが聴き手にこれらの反応を直接もたらしていると考えるよりも、聴き手の精神状態に対しての反応であると考える方がもっともらしいと思われる」こと。

 Meyerはさらに続けて音楽的感情を、より長い時間持続する気分を作り出す一般的な性質よりはむしろ、短時間での緊張と解放の変化に理由づける理論を導いた。認知派の考え方は、音学的感情の研究においては公知となっている仮定に対して全くの対照的な立場をとっており、「音楽的感情は、音楽とは関係のない何らかの状態でも感じられるようなものの一種である」という見地に立っているものである。これまでかなり多くの有益な研究が、音楽に対する情緒反応を(被験者に)口頭で答えさせており、これらには一貫してかなりの個人差が認められる。感情を研究するための生理学理論と方法論においてのこれらの研究の結果と進歩は、音楽的感情のさらなる研究を動機づけるものである。その実験は、音楽を聴いているときの精神生理学上の変化を測定するという方法を採ったことをここでは報告している。精神生理学分野での最近の調査によれば(Kenneth Hugdahl, 1995, p.8)、「精神生理学は、末梢や中枢の生理学反応の各々のなりたちの上においての、それぞれに対する脳の働きどうしの関係を研究するものである。」 精神生理学反応の記録は脳と心への“窓”のようなものと見なされている。これらの反応には中枢神経(脳波計、event-related potentials電位、さらに最近では脳内の画像処理技術)、末梢神経(電位、心臓、血液循環、呼吸作用、それから筋肉の動き)の反応も含まれている。最近の研究では、もっぱら末梢神経機能の測定が注目されている。

2.実験

 その実験は探索の意味合いを持つものである。

 被験者が音楽を聴いている間に、心肺機能をはじめ、血液循環、電位、呼吸機能などのかなり広範囲の生理学反応を測定するために考えられたものであった。

 これらはRobert Levensonの研究室において測定され、悲しみ、恐れ、喜びの感情を象徴する6つのメロディ(それぞれに2つづつ)がまず選定され、音楽が終わるまでの間連続して(サンプリング周期1秒)計測がなされた。興味深い点の1つは、異なる生理学反応がこれら異なる感情のどれかに該当するかどうかである。実験に使われたメロディはだいたい3分間程度のものであり、そのあと90秒は無演奏のまま基底値を計測した。これらの数値は個人差や、実験の間に起こりうるすべての変化の補正のために、直前に流れていた音楽の測定値から差し引かれた。加えて被験者は演奏の間に感情反応を自己評価した。しかしながら主要な反応は演奏中の動的な変化のあるところに見られた。それゆえ、お互いに独立した被験者グループで演奏を聴いている最中に感じた悲しみ、恐れ、喜びの度合いの強弱の評価をした。

6つの音楽は、自己評価においてもそうであったように予期された感情を作り出した。感情起伏の方でも、生理学値を測定した方のどちらのグループにおいても、音楽に対して非常に似通った反応を示した。Albinoniの曲(Adagio in G minor for Strings in Orchestra)とBarberの曲(Adagio for Strings)が悲しみの感情に対してはもっとも強い反応を示した。彼らはHolstの曲(Mars - the Bringer of War from the Planets)とMussorgskyの曲(Night on Bare Mountain)に対する彼ら自身の反応を、不安、恐れ、驚きの感情に対してもっとも強いと判断した。Vivaldi(La Primavera - Spring from The Four Season)とHugo Alfven(Midsommarvaka)について彼らは、喜びの感情と、それに続いて楽しさと満足の感情がもっとも強いと判断した。選ばれた曲においては演奏の時間を過ぎても予期された感情が見られた。異なるグループで、6曲のすべてについて秒ごとに測定したデータに基づいて悲しみ、恐れ、喜びの度合いという観点で評価がおこなわれた。予期していたとおりに悲しみの度合いはAlbinoni-Barbarの組み合わせがもっとも高く、恐れについてはHolst-Mussorgskyの組み合わせ、喜びについてはVivaldi-Alfvenの組み合わせがもっとも高かった。

 われわれはようやく精神生理学の測定数値そのものに取りかかることができる。データは3分間の演奏に対して測定された12の異なる生理学測定値で複雑である。最初の結果は、音楽が演奏の有無が12のすべての生理学数値にかなりの影響を与えて受けており、3つの感情パターンのすべてにおいてその変化の内容は同じであった。これらの違いとは次のようなものである。

心拍間隔が長くなると(心拍数が減ると)、耳・指への血液の伝達時間が長くなり、指先の血流量が減少し、呼吸の間隔と深さ、さらには呼吸の周期性が減少する。そして収縮期血圧と拡張期血圧、平均動脈血圧が上昇、皮膚電気伝導度と指の温度の低下がおこる。

 このように音楽の演奏がこれら全ての生理学的な測定数値に影響を与えた。そのデータは認知派の見地に対立する。それは、例えばKivy(1990)とその主張によれば、音楽を聴いたときに聴き手が実際に諸感情を感じていることがわかるような行動的な兆候は見られない、というものである。被験者が口頭で音楽に対する感情をかなりの一貫性を持って答えているだけではなく、音楽が生理学的な変化を同じようにもたらしていることがわかる。

そのとき大きな問題として残っているのが、精神生理学において感情を特定するパターンがあるかないかである。この問題は長くそして曲折した歴史を持っており、異なる感情は精神生理学変化の特定パターンと関連づけられていると提唱した、William James(1890)までさかのぼる。そこではこれらのパターンが感情に違いを与える、言い換えれば、感情がどういうものであるかは生理学反応によって決定されるという仮説が立てられた。ScacterとSinger(1962)の有力な研究では、違いの与えられていない条件のもとで、外部情報に対する被験者の認知反応に依存する感情に違いが見られたことが発表され、この考え方が切り捨てられた。さらに最近では、最初の考え方、すなわち−感情の生理学的な区別−がPaul Ekman、Robert Levensonらの一連の研究によりより強められた。(Ekman, Levenson, Friesen 1983; Leveenson, Ekman, Friesen 1990; Levenson 1992, 1994; Zajonc, Mclntosh 1992; Cacioppo, Klein, Berntson, Hatfield 1993)これら一連の研究は、怒り、恐れ、悲しみ、喜びなどの間のいくつかの生理学的相関においての首尾一貫した(consistent)違いを提案するものである。

現在の研究では特定感情の生理学を評価するために数多くの分析が進められた。第一の分析によって動的な生理機能予測と、感情の性質(悲しみ、恐れ、喜び)の動的予測とが関連づけられた。悲しみの感情についてもっとも強い関連が得られたのは、心拍間隔(に比例)、3種類の血圧値(に比例)、皮膚の伝導度(に反比例)、そして指先温度(に反比例)であった。恐れの感情に対しては指、耳への血液伝達播時間(に比例)、それから指先の血流量(に反比例)がもっとも強い関連が見られ、喜びの感情については呼吸間隔、呼吸の深さ、周期性(に反比例)であった。

これらの結果は、音楽的感情は精神生理学の数値によく反映され得、音楽的感情は感情のように感じられるという認知派の立場を支持するものである。しかし、音楽的感情以外にもこれらのような変化は見られないだろうか。第一に指示された表情を作ることについてまとめたZajoncとMclntosh(1992)の要約と、Paul EkmanとRobert Levensonの発表した、経験した感情を思い起こすことについて考えてみたい。指示された表情を作ることの場合、重要な効果のほとんどが見つかったところではあるが、被験者は違った感情表現を示した。現在の研究結果とはかなりくい違っている。事実、これらの研究においてみられるかなりの相違点は、現在の実験結果で見られるそれとは反対の結果を示している。おそらくFrans Boiton (1996)の言うように、生理学的変化表情の行動は、表面には出ない感情よりもその表情をつくる困難さの方により依存するものであろう。

Cacioppoがまとめたデータがそれをより裏付ける結果となった。(1993) その結果とそれまでの研究との間にあるかなりの違いを含む7つのすべてのケースにおいて、その違いの内容が同じであった。特定感情での違いは心拍数(Averill 1969感情の映像による操作;Tourangeau, Ellsworth 1979 同じく感情の映像による操作)、指先の温度、皮膚の伝導度と指の血流量(Stemmler. 1989恐れはラジオのホラー番組と不意の暗闇、喜びは追加のボーナス支給やより短い実験などによりつくられた、実体験での感情操作)、収縮期血圧と拡張期血圧(Averill. 1969映像による操作)などにおいて見られた。これらの研究におけるすべての感情の操作がこの実験で用いた曲のフレーズよりも長い時間でおこなわれることが重要であったかも知れない。このように特定感情の生理学は多少まだわからない部分を残したままである。しかしながら得られた結果は音楽に対する認知と感情反応の関係についての将来的研究と理論体系化を意味のあるものとしている。

参考文献

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