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不登校   

離婚について 











【論理療法 認知療法】


論理療法とか認知療法というと、なんとなく難しそうでとっつきにくい感
じがしますが、ここではできるだけ気軽に入りやすく・・と、アレンジし
てまとめてみました。

なお、興味が湧いて詳しく研究したいという方は、論理療法の創始者のア
ルバート・エリスだけではなく、国分康孝博士や伊藤順康博士がわかりや
すく書かれた本を多数出しておられるので、読んでみてください。

さて、論理療法ではまず、「誰々(例えば親や子、夫や妻、友人、会社関
係の人等)は、〜すべきである。(〜であるべきである)」という考えを
、その人が持っていないかを問題とします。

この『〜べき思考』が不幸生産の元なのです。

他人の心や行動を、自分が満足するように自由に動かすというのは、ほぼ
不可能に近いのですから、この『〜べき思考』はヨーイ・ドンの時点から
無理なことにチャレンジしているようなものです。
しかも上手くいくものまでいかなくなってしまう事もよくある話です。

「君は何々するべきだ」と言うのと「君に何々してもらえればうれしいん
だけど」と言った場合を想像してみてください。
言われた方の気持ちも、もちろん違ってきますが、言う方の心にも変化が
生じます。

そして、上記のような単なる言葉の言い換えだけではなく、実際にそのよ
うに自分の考え方を変えられるようになったら、自分の心をも疲れさせる
「怒り」というマイナスのエネルギーは、かなり減ることでしょう。


さて、話を次に進めますが、論理療法では「原因(A)」があるから *
**** 「結果(C)」としてそうなる・・という思考について、*の
部分に「考え方(B)」というモノが在る、と見ます。

例えば「不景気で会社は首切りをしようとしている(A)」ことに対し、
「クビになったら、この不景気に今更雇ってくれる会社などないから人生
終わりだ(C)」という悩みがあったとします。

この悩みの根っこには「変化=不幸」というものが有り、暗い予想を拡大
視し、しかも希望や可能性を縮小視しています。
それらが(B  考え方、ビリーフ)として、(A)と(C)の間に隠れて
いるのです。

果たしてクビになるのかがまだわかりませんし、またクビになったら雇っ
てくれる会社が無い・・というのは「今と同じ条件で、しかも今と同じ内
容の仕事をさせてもらえる会社が無い」というだけの話です。
また、今の生活を何が何でも死守せねばならない・・・という理由がある
のかどうかも、考えてみる必要もあります。

さて、果たして『変化=不幸』というのは、正しい思い込みなのでしょう
か。
また、『死守』するのも結構ですが、誰の為に? 何の為に? しなくて
はいけないのでしょうか。
プライド、地位、世間体、家族に対しての見栄等いろいろと大事なモノは
あるでしょうが、それらは恐怖や不安など、身も心もすり減らす重さに、
匹敵するものなのでしょうか。

また、その人の今までの人生の中で経験したいろいろな『変化』というも
のは、その人にマイナスばかりもたらしたのでしょうか。

落語家の立川談志師匠がいろいろなものを得ていろいろなことをした結果
、「結局人生は起きて半畳、寝て一畳。食って寝てやってチョン」という
考えに行き着いたそうです。
さすがにそれはちょっと極端な考え方だとは思いますが、物事をそのよう
な別の視点から考えられるようになれば(B)は変化し、それにつれて、
結果(C)も変化していきます。

『考え方(B)』を見直してみる・・というのが論理療法が我々に教えて
くれた『悩み』への対処法なのです。

上記の例を離婚に変えて考えてみましょう。

「夫婦仲が悪い(A)」
        ↓
「別れると生活も困るし独りぼっちになってしまう(B)」
    ↓
「離婚したら自分の人生は終わりだ(C)」

この(B)は、『不便』と『淋しい』がごちゃまぜになっていることに、
気付いてください。

『不便』の大半はお金で解決がつくはずです。
『淋しさ』については、現時点で仲が悪いのですから、仲をよくするか、
仲の良い人をつくるかどちらかの方法が考えられます。
いろいろな事がごちゃまぜになって不安が増大していますが、不安を分解
していくと「人生は終わりだ」という結論は極端すぎるということに気付
かれるでしょう。

いろいろと考えているうちに、自分の失敗に気付くこともあるかもしれま
せん。そうしたら、その場合は「今度はうまくやろう」と考えればいいの
です。

論理療法に親しむやり方としてお勧めなのは、悩みをノートなどに書き込
んでみることです。
そして、不安になったり、悩んだり、自己嫌悪に陥ったり、自分を好きに
なれない時は、下記のケースにはまっていないか、チェックしましょう。

1.完璧思考
   物事をオール・オア・ナッシングで考えてしまう。
  例えば、ちょっと仕事を失敗しただけで、「もう、これで僕のこの会
  社での将来は無くなった。」などと思い込む。

2.過度の一般化
  一事が万事・・・と思い込んでしまう。
  例えば、何か一つ上手くいかないと「世の中全てそんなものだ・・・
  。上手くなんていくわけがない」と思ってしまう。

3.早まった結論
  勝手に『読心術』をやってしまう。例えば「今回の僕の失敗で、上司
  は僕の事を見限ったに違いない。」等。
  『宿命論』に走ってしまう。例えば、「僕は必ずここ一番の時に失敗
  してしまう運命なんだ。」等。
  悲観が悲観を呼ぶ悪循環にはまってしまう。例えば
  「新しい事をする。→ 不安 → こんなに不安なのだから、きっと
  うまくいかない事なのだ → うまくいかない。」

4.拡大視と縮小視
  悪い要因を拡大視したり、良い要因を縮小視してしまう。

5.〜べき思考
  〜であるべき。〜ねばならない。〜してあたりまえ。〜は常識だ。等
  の考えをよくしてしまう。

6.レッテル貼り
  極端な考え方で、物事を決め付けてしまう。
  人や自分に悪いレッテルを貼ってしまう。

7.自責思考
  何かトラブルが有ると、まず自分のせいではないかと考えてしまう。
  もしくは簡単に自分の責任にしてしまい、【問題の発見】や【問題の
  解決法】を探そうとしない。

8.マイナス化思考
  試験で良い点を取ると、「そんなに実力もないのに、こんな良い点を
  とってしまって、あとはどれだけ落ちていくことやら・・・」と思っ
  てしまう。


* ‥  *  ‥  * ‥  *  ‥  * ‥  *  ‥  * ‥  *  ‥  *

論理療法のポイントは、ある出来事自体が私達を悩ませているのではなく
、その出来事をどのように受け取っているか、その受け取り方が私達を悩
ませている、という考えにあります。

これを簡単に言うと、『モノはとりよう』ということになります。
例えば、成功した人達の中でよく出てくる話で、「あの時病気になってか
えってよかった」というのがありますよね。
また、「あの時、挫折を味わったおかげで、その後成長できた」というの
もよく聞く話です。
『病気』というモノをどのように受け取るか・・・、
これらは『モノはとりよう』、つまり物事の受け止め方の『良いほうへ考
える』最たるものです。

『病気』を最悪のモノ・・としか受け取れない人と、じっくり考えるいい
機会、と考える人では、その後の展開は違ってあたりまえです。
そうは言うものの、悪い方のみに受け取ってしまうパターンを、人は知ら
ず知らずのうちにしてしまうものです。

しかもそういう間違った『思い込み』は得てして心の中に定着しがちです。
偉大なる近代哲学者ベーコンは、人間の心に住み着いて真理の認識を妨害
するものをイドラと呼びました。
先入観というのがその最たるものですが、この間違った思い込み(例えば
「妻は自分に対して母のようであるべきだ」などが典型的なものです)が、
『悩み』や『苦しみ』を大いに生産している場合が多いのです。

でも、認知の枠組みを変えてみると、意外な考えが浮かんできたりするん
ですね。

例えば、会社の中には「部下は上司のいうことをきくものだ」という思い
込みがよく有ります。
でも、それを「上司は部下のいうことをきくものだ」に変えてみたらどう
なるか・・・。

また、「成績が良くないと人生は駄目になる」と思い込み、子供を叱る親
は多いと思います。
でも「あんなに成績が良かったのに、人生はわからないものだね〜」とい
う話も世の中には結構多いのではないでしょうか。

自分の子が【良い子】であるよう願う親が多いのですが、大人になってか
ら不適応行動をとる人は、子供の頃に【良い子】だった場合が多いのです。 

他にも、お金が『無い』から不幸なのか、お金が『欲しい』から不幸なの
か・・・。
人と向き会うと緊張して話ができないのがいけない事なら、人と向き合う
と延々と話しまくるのは良い事なのか・・・。
いろいろと言葉を入れ替えてみるのもいい事だと思います。

難しく考える必要はありません。別のパターンを考えてみるというのは、
簡単な頭の体操みたいなものです。
でも、慣れてくると間違いなく『悩み』の解決方が身についていきます。

さて、論理療法についていろいろ書きましたが、特に大事なポイントはな
んといっても『べき思考』をしないこと。
この『べき思考』は心にとっても悪い影響を与えます。

○○すべきである、を○○するにこしたことがない、と考えを変えるだけ
で、人生はずいぶん良いほうへ変わっていきます。


* ‥  *  ‥  * ‥  *  ‥  * ‥  *  ‥  * ‥  *  ‥  *

ところで、この『べき思考』をする人は交流分析のエゴグラム(心理テス
ト)をしてみると、CPの項目が高い場合が多くみられます。
(エゴグラムをしてみたい人は【ここをクリック】)
CPやAの得点が高い人は、確かに社会的には「しっかりした立派で強い
人」かもしれませんが、それで心や体を壊してしまう場合が多いのです。

交流分析の話の補足として書きますが、悩み多き人はFCが低くACがと
ても高いケースがよくみられます。
心の中の『自由な子供』の部分が少なく、『従順な子供』の部分が多いの
です。

つまり、何が原因でこれら悩み多き人が増えてきたかというと、近年の日
本の教育は【良い子】に育てるのが主な仕事になっているからなんですね。

例えば、子供の頃に「好き嫌いはダメ!」と言われた人は多いと思います。
これによって、子供は何といっても親に愛されたいですから、欲しいもの
を欲しいと言えず、嫌なものを嫌と言わないのが【親に好かれる良いこと
】として、そのルールを頭の中に刷り込み続けて大きくなっていきます。

でも、これは結構大事なポイントなのですが、果たして本当に『好き嫌い
はダメ』なのでしょうか。
そうではなく、つまり欲しいものを「欲しいと言ってはダメ」ではなく、
いかに上手に言うかが大事なのではないでしょうか。

同じく、イヤなことを「断ったらダメ」とか「好き嫌いを言ったらダメ」
ではなく、いかに相手の気持ちも考えながら上手に断るかが大事なのでは
ないでしょうか。

これをできずに言いたいことも言わず、嫌なことも断れず、すべて自分の
心に抱え込み、心身の異常を引き起こす人がとっても多いのです。

そういう場合、『自分の心を素直に、そして人に不快感を与えずにできる
だけ表そう。』と、クライアントに伝えると、顔がパッと明るくなります。

「好き嫌いって、言ってもいいんですね!」と感激されることも良くあり
ます。
「好き嫌いを言ってはいけない」というのは、或る意味『呪い』のような
ものかもしれませんね。


* ‥  *  ‥  * ‥  *  ‥  * ‥  *  ‥  * ‥  *  ‥  *

認知・論理療法の実際

論理療法において、『理屈はわかったんだけど、中々実際には上手くいか
ない。』という人も多いようです。
そこで、なぜ実戦で上手くいかないかを色々な人に聞いて考えてみました。

すると、上手くいかない人は、認知・論理療法の流れの中の【「考え方(
B=イラショナル・ビリーフ)」を見直してみる】という部分がスムーズ
にいかない、という事がわかりました。

理論としては理解できるんだけど、実際となると「どうやって見直してい
いのかわからない」「どのように書き換えればいいのかイマイチわからな
い」という事なんですね。そこで躓いてしまうんです。

では、どうすればこのBの部分の検証が上手くいくようになるのでしょう
か。

まずは、このBの部分のイラショナル・ビリーフ(合理的ではないな考え
方)というのは、『考え』というより、『浮かんでしまう思い』として考
えてみましょう。

そして、この『思い』は、『自発的に考える』ものではなく、『それまで
の経験から出来上がった、心の枠組み』によって、スッと浮かんでくるの
です。

この『枠組み』が歪んでいたり、偏っていたとしたら・・・?
当然、浮かんできた思いも歪んだり偏っているはずです。

つまり、Bの検証というのは、この歪みや偏りに対しての【ツッコミ】な
んですよね。
だから【ツッコミの練習】として考えれば、わかりやすいんです。

例えば、

A 彼女にふられた。
    ↓
B 僕は全くいいところが無いんだ。
    ↓
C 僕の人生は暗い。

となった場合、Bの「僕は全くいいところが無いんだ。」という部分に、
「それは、オーバー ジェネラリゼーション(過度の一般化)だろ!」と
【ツッコミ】を入れるワケです。


論理療法として、『自分のイラショナル・ビリーフを検証して、ラショナ
ル・ビリーフ(合理的な考え方)に書き換える。』などと固く考えずに、
とにかく、まずはBの部分に『なんでやねんっ!』とツッコミを入れる・
・・。
ここから始めると上手くいきやすいんですね。

では、【ツッコミ】の部分について、もう少し詳しく考えてみましょう。

A 彼女にふられた。
    ↓
B 僕は全くいいところが無いんだ。
    ↓
C 僕の人生は暗い。

この場合、Bの部分にツッコミをいれることになりますね。
つまり、『僕は全くいいところが無いんだ。』という【イラショナル・ビ
リーフ(非合理的な考え方)】、認知療法でいうと【自動思考】という『
歪んだ考え方(スキーマ)』について、検証するわけです。

どのように検証し、どのように訂正するかは、論理療法の本などを読むと
大体次のように書いてあると思います。
「『僕は全くいいところが無いんだ。』というのは合理的ではない。これ
を『ふられたからといって、全くいいところが無いとは限らない。確かに
今回ふられたが、今後も全てふられると決まったわけでもない。』に書き
換えよう。」
そして、Cの個所を『僕の人生は暗い。』から『次は上手くやろう。』と
いう感じに変化させていけばいい・・・とまとめていくんですね。

ところが、例えば本を読んだり、セミナーやカウンセラーの専門学校など
で学んで「理屈はわかった」けれど、「実際にはなかなか使えない。」と
いう人は、実はBの考えが浮かんでくる自分の認知の枠組みを、心の奥深
くの部分で『変えたくない』という場合が多いんです。

例えば、この例の場合は『過度の一般化』なのですが、この彼女にふられ
た人(太郎君とします)は、この『過度の一般化』を子供の頃から長い時
間をかけて親や育てられた人、先生達に植え付けられ育てられてきたので
す。

そうやって心の中に組み込まれた『過度の一般化』というシステムが無く
なるということは、太郎君にとっては大きな変化で有り、無意識のうちに
とても不安なのかもしれません。
若しくは、太郎君は、自分の心を守るために、この『過度の一般化』をし
ているのかもしれません。

もちろん、この場合は『過度の一般化は自分を守る』というのは、大きな
思い違いなのですが、やはり、慣れた考え方(過度の一般化)を捨てると
いうのは勇気が要ることでしょう。

また例を挙げて説明しましょう。

A 彼女にふられた。
    ↓
B 僕は全くいいところが無いんだ。
    ↓
C 僕の人生は暗い。

という上記の話では、もし太郎君がBのイラショナル・ビリーフを書き換
えた場合、確かに、『次は上手くやろう。』と変化が起きるかもしれませ
ん。
でも、その場合は太郎君は、もう一度『告白する』ということに立ち向か
わなければいけない・・・という思いが発生し、また『ふられるという辛
い思い』を味わう恐怖が浮かぶ可能性もあります。

それを避けるために、返って今ここで、『僕は全くいいところが無いんだ
。』と思い込んだ方が、心にとって楽で良いじゃないか・・・という考え
が、無意識内に浮かんでも不思議ではありませんね。

つまり、

B 僕は全くいいところが無いんだ。
    ↓
C 僕の人生は暗い。

という流れの方が心にとっては楽でいいじゃないか、という『考え方』が
、心の奥深い無意識の中に有れば、いくら太郎君は論理療法の本を読んだ
り習ったりしたところで、自分ではイラショナル・ビリーフをラショナル
・ビリーフ(合理的な考え方)に変換しようとしても、上手くいかないの
です。

イラショナル・ビリーフというのは生き物のようなものです。
長い間、心の無意識の部分に住み、育ってきたので、心から排除されよう
とすると、必死で抵抗するのです。

言葉を換えて言うと、歪んだスキーマ(認知枠)というのは、御利益どこ
ろか災厄をもたらす【お守り】のようなものです。
でも、所持している人は、それを捨てるのがとても不安なんですね。

さて、カウンセリングの場合は、カウンセラーが『自信を持って』、この
良くないお守り(イラショナル・ビリーフ)を捨てるようにツッコミをか
けます。
そしてそれに替わる、【御利益の有るお守り(ラショナル・ビリーフ)】
を差し出します。
だから、比較的短期間でクライアントは、その歪んだスキーマに気付き、
カウンセラーのツッコミを『目からウロコ!』のように聞いて、イラショ
ナル・ビリーフ→ラショナル・ビリーフという変換作業を続け、しかもノ
ウハウを身に付けていけるんです。

ところで、論理療法を使いこなすには、もう一つ、大事な点があります。
それは、【疑問を持つ考え方】が必要という事です。

例えば、冒頭の例を上手くイラショナル・ビリーフからラショナル・ビリ
ーフに変換できたとしますね。

するとこうなります。

A 彼女にふられた。
    ↓
B 『僕は全くいいところが無いんだ。』というのは合理的ではない。
    これを『ふられたからといって、全くいいところが無いとは限らない。
    確かに今回ふられたが、今後も全てふられると決まったわけでもない。
  』と変える。
    ↓
さてここで、

C 次は上手くやろう。 

という具合に調子良くいくのだろうか?
・・・という疑問を抱くことが大事なのです。

本を読んだダケでは、ここのところが1つの例でそのまますんなり進んで
いってしまいがちです。でも、現実に悩んでいるときは、そう上手くはい
かないんですね。

つまり、

A 彼女にふられた。
    ↓
B 僕は全くいいところが無いんだ。
    ↓
C 僕の人生は暗い。

という場合、Bの部分を替えれば、C 次は上手くやろう。 という具合
にすんなりと調子良くはいかないのです。

実際、現実のカウンセリングの場面では、最初からそう簡単にいくことは
殆ど有りません。
何故かというと、高いお金を出してカウンセリングに来られる人は、『い
ろいろと努力し、悩みを解決しようとしてきたにも関わらず、とうにもな
らない事を思い知った』人なんですね。

ちょっとくらいの悩みなら、Bを入れ替えるだけで上手くいくのですが、
根深い悩みに長い間向き合ってきた人は

A 彼女にふられた。
    ↓
B 『僕は全くいいところが無いんだ。』というのは合理的ではない。
  これを『ふられたからといって、全くいいところが無いとは限らない。
  確かに今回ふられたが、今後も全てふられると決まったわけでもない。
  』

と入れ替えても、

C 次は上手くやろう。 

とならず、

C でも、どちらにしろ僕の人生は暗いだろう。

となりがちなんですね。

どうしてそうなってしまうのか・・・。
まず下記の実験を、ご覧ください。

セリグマンというペンシルベニア大学院の院生は、犬に電気ショックを与
える実験を続けるうちに、その犬達の中にのったく反応をしない犬がいる
ことに気が付きました。

抵抗もせずに、ただひたすら電気ショックに耐えている犬を見て、彼はあ
る事を思い付き、次のような実験をしたのです。

まず、犬を3つのグループに分け、1つ目のAグループはレバーを鼻で押
すと電気ショックを止められる箱に入れ、2つ目のBグループは電気ショ
ックを止める手だてが無い箱に入れました。

3番目のCグループは、電気ショックを受けない箱です。

各グループの犬はこれらの箱に入れられ、AとBのグループの犬は電気シ
ョックを与えられたのですが、予想どおりAグループの犬は電気ショック
を与えられると鼻でレバーを押し、ショックを回避したのですが、Bグル
ープは為す術も無く、ただ苦痛に耐えるだけでした。

翌日、セリグマンは、今度は真ん中に低い柵がある箱に昨日の犬をいれま
した。犬はその柵で仕切られた片側に入れられ、電気ショックを与えられ
たのです。

柵は低いので、それを飛び越えて柵の反対側に行けば、犬は電気ショック
から逃れることができます。

さて、その結果、犬がどのような行動をとったかというと、Aグループの
『鼻でレバーを押し、電気ショックを自分でコントロールした犬』は、そ
の柵を飛び越えて、電気ショックを回避しました。
前日、電気ショックを受けなかったCグループの犬も同様です。

ところが、Bグループの『電気ショックに対して為す術が無かった犬』は
、ショックを受けても、そのままうずくまって哀れな声を出すだけだった
のです。

つまり、Bグループの犬は【無力ということを学習した】のです。
それにより、『コントロールできる』という認知の枠組みが、『動いても
何も変わらない』という枠組みに塗り替えられてしまったのです。

この【学習された無力感】というセリグマンの理論は、その後沢山の心理
学者の研究により、人間にも当てはまることがわかりました。


さて、例に出した、ふられてしまった太郎君が、もしこの【学習された無
力感】に当てはまっていたとしたら・・・?

そうです。

C でも、どちらにしろ僕の人生は暗いだろう。

と、なってしまうんですね。

では、そうなってしまっている太郎君は、もう打つ手がないのでしょうか。
いえ、実はこれは、自分は【学習された無力感】の状態ではないか・・・
と疑問を持つことで、その状態から抜け出していけるのです。

【気付く事】が大事なんですね。
気付きさえすれば、

A 彼女にふられた。
    ↓
B 『僕は全くいいところが無いんだ。』というのは合理的ではない。こ
  れを『ふられたからといって、全くいいところが無いとは限らない。
  確かに今回ふられたが、今後も全てふられると決まったわけでもない。
  』
    ↓    
C でも、どちらにしろ僕の人生は暗いだろう。
  ・・・と思ったが、これは【学習された無力感】の状態ではないか?
  どこかに『飛び越えられる低い柵』が有るのではないか?

と、つながっていきます。
こうなれば、前に述べた論理療法のチェックポイントで見直すことができ
ますね。

復習してみましょう。

1完璧思考
   物事をオール・オア・ナッシングで考えてしまっていないか。

2過度の一般化
  一事が万事・・・となってしまっていないか。

3早まった結論
  勝手に『読心術』をやっていないか。『宿命論』に走ってしまってい
  ないか。悲観が悲観を呼ぶ悪循環にはまってしまっていないか。

4拡大視と縮小視
  悪い要因を拡大視したり、良い要因を縮小視していないか。

5〜べき思考
  『〜にこした事はない』と言い換えられないだろうか。

6レッテル貼り
  極端な考え方で、物事を決め付けていないか。
  自分に悪いレッテルを貼っていないか。

7 自責思考
  簡単に自分の責任にしてしまい、【問題の発見】や【問題の解決法】
  を探そうとしていないのではないか。

8.マイナス化思考

これらのどれかに嵌まっていないかどうか、見直しているうちに、心の中
で何かが変わっていくはずです。


* ‥  *  ‥  * ‥  *  ‥  * ‥  *  ‥  * ‥  *  ‥  *

歪んだスキーマから湧き出る自動思考

さて、ここでは論理療法と認知療法をまとめてご紹介していますが、論理
療法と認知療法はとても似ています。

物凄く大雑把に言うならば、チェックする部分を、論理療法ではイラショ
ナル・ビリーフと呼んでいるのに対し、認知療法では自動思考と呼んでい
るのが違いである・・・と考えても良いでしょう。

これらはどちらも『スキーマ』という概念を、とても重要視しています。
これは、その人が生まれてから今迄に身につけた『思考の枠組み』の事で
、例えば『信念』のような感じと考えるとわかりやすいと思います。
そして、認知療法でいう自動思考というのは、この『その人のスキーマ』
の上に乗っかっているモノなのです。

下記の例について考えてみてください。

A君は今週の土曜日、前々から付き合いたいと思っている、今は単なる友
達のB子さんを映画に誘おうと思い、メールを出しました。

するとB子さんから、こんな返信が・・・。

『今度の土曜日はちょっと他の友達から食事に誘われているから、ごめん
ね。来週ならOKだよ。』

さて貴方がA君なら、この返信メールを見た瞬間、どのような【感情】が
起きるでしょうか?

・・・ガックリします?

・・・「やった〜!」 と喜びます?

・・・それとも?

ここで、まず、第一の問題は、この返信メールの文のどこに重きを置いて
受け取るか、という事です。

『他の友達から食事に誘われているから、ごめんね。』 にウェイトを置
いて受け取った人は、ガックリするでしょうし、『来週ならOKだよ。』
 にウェイトを置いて受け取った人は「やった〜!」 となるでしょう。

この【受け取り方】こそが、前回お話した【その人のスキーマ】なんです。
同じ言葉なのに、人によって受け取り方が違い、しかもその後の行動に影
響を及ぼすんですね。

例えば、『他の友達から食事に誘われているから』というのを、他の男性
・・・と思い込んだりしてしまい、暗くなってしまったりする場合もある
でしょう。
そして、そういうネガティヴな考えは、やがて『やっぱり彼女と恋人関係
になるなんて、無理だったんだ。』と進んでいくかもしれません。

こうやって順序立てて書いていくと、『そこまでは無いだろう。』と思い
ますが、ここまで極端ではないにしろ、意外と人間が悪循環にはまる時っ
て、こういうのが発端だったりするんです。
	
さて、この咄嗟に浮かぶ【自動思考】、もしくは【イラショナル・ビリー
フ】を検証しよう・・・というのが、認知(論理)療法でしたよね。
つまり、
【出来事】 → 【認知】 → 【感情、行動】
という流れの【認知】の部分が適正かどうかをチェックする、という事で
す。

上記の例だと、
【返信メール】 → 【認知】 → 【ガックリする】
という流れの中で、返信メールを見て咄嗟に浮かんだ心の思いが適正かど
うか、という事ですね。

この場合、ガックリしたというのは、A君は、デートの申し出は『断られ
た』と認知したということでしょう。
でも、これは明らかに適正な認知とは言えません。

例えば、B子さんの友達は『女性の親友』で、しかも食事の約束はかなり
前にしてあり、レストランの予約も取っていたとしたら・・・。
A君の突然の土曜日の誘いは断るのが当たり前ですよね。

その場合は返ってA君に対し、とても好意的に書かれた文となってしまい
ます。

その辺の詳しいところはB子さんしか知らず、A君が勝手にガックリする
事は百害有って一利無しですよね。

このように人間は『言葉(刺激)』を、それぞれその人独自のフレーム(
スキーマ)で受け取り、そして【自動思考】を経た後に【感情、行動】へ
と移っていきます。

だから、ひょっとしたら我々は
『勝手に受け取り』
   ↓
『勝手に思いを浮かべ』
   ↓
『勝手に辛い感情を抱き』
   ↓
『勝手に悲しい思い出をつくっている』
かもしれないのです。

認知療法や論理療法では、悩みを色々な方法を使って対処しようとします
が、一番のポイントは、この最初の段階の【咄嗟に浮かぶ思い】のチェッ
クです。
でも、この咄嗟に浮かぶ思いが歪んでいた場合は、スキーマも歪んでいる
場合が殆どです。

という事は、適正ではない【思い込み】をするスキーマ、つまり【クセ】
が問題なんですね。

この例で言うと、
『今度の土曜日はちょっと他の友達から食事に誘われているから、ごめん
ね。来週ならOKだよ。』
という彼女の言葉を
『他の友達(男?)から食事に誘われている』
という部分に重きを置くスキーマが有る為、
『やっぱり彼女と恋人関係になるなんて、無理だったんだ。』
という自動思考(イラショナル・ビリーフ)が浮かぶという事です。

従って、自動思考のチェックと同時に『その自動思考が浮かぶスキーマは
確かなものなのか。』というチェックも大事なんですね。

もう一つ例を挙げてみましょう。
例えば、父と母の仲が悪く、子供の頃、いつも母に『男なんて、妻を女中
にしか思っていないのよ。』と言われ続けた女の子は、『男は、妻を女中
にしか思っていない。』というスキーマを持ってしまうのです。

また、例えば父が自分が学歴が無いといういう劣等コンプレックスを、『
一流大学を出ないと世の中で成功は得られない。』という言葉で、いつも
子供に表現していたら、その子供はやっぱりそのようなスキーマを持って
しまうでしょう。

『オレは人が良いからな〜』と、貧乏である理由を『人が良い』ことのみ
に、帰属させていたとしたら、子供には『人が良い=貧乏』というスキー
マが植え付けられます。

ここまで読んでいただいた方なら、もうおわかりですね。
これらのスキーマが【過度の一般化】であることが・・・。

他のパターンも考えてみましょう。
例えば、学校で何かイタズラをやった時に、先生が、「誰だ、こんなこと
をやったのは! 叱らないから正直に名乗り出なさい!」と言ったとしま
す。

そして、「はい、僕です。」と正直に名乗り出た子供に対して、その先生
が、前言などどこ吹く風のようにその子を叱り倒したとしたら・・・?

そうです。その子は『正直者は損をする』という、頑強なスキーマを身に
付けてしまうのです。
という事は、もし歪んだスキーマを身に付けていたとしたら、『何故、歪
んだか』を探り出し、そしてそのスキーマが歪んでいるという事を本人が
理解し納得しない限り、『ふと、心に浮かんでくる自動思考』は、いくら
注意をしていても何度も繰り返さざるをえなのですね。

つまり、歪んだスキーマに取り組まないと、いつまででも歪んだ自動思考
が浮かんでくるという事となります。

さて、これは、交流分析では『人生脚本』と呼んでいます。
そして、子供の頃に身に付けられてしまった間違った『人生脚本』を『再
決断』して書き換えよう、というのが交流分析の考え方です。

交流分析的に言うと、
A 彼女にふられた。
    ↓
B 僕は全くいいところが無いんだ。(←ディスカウント)
    ↓
C 僕の人生は暗い。

となり、Bの考え方が出てくるのは、誤った人生脚本を持っており、その
人生脚本を再決断して書き換えないと、いつまでも辛い人生となってしま
う・・・となるワケです。

ところで、僕はこういうパターンをこう表現します。

『親の【怨み】が子に継がれ・・・。』

過度の一般化にしろ、完璧思考にしろ、早まった結論にしろ、〜べき思考
にしろ、レッテル貼りにしろ、殆どは親から受け継がれている場合が多い
のです。

そして、親は祖父母から、祖父母はその親から、と代々続いている可能性
が高いんです。
言い換えると、『歪んだスキーマ』の再生産をしているということになり
ます。
だから、カウンセラーは、どこかでこのクライアントの抱え込んだ連鎖を
断ち切るのが大事なんです。


* ‥  *  ‥  * ‥  *  ‥  * ‥  *  ‥  * ‥  *  ‥  *


カウンセリングをしていると、どこかで『肯定』ということの難しさに突
き当たります。
『肯定』できない人がクライアントとして尋ねてこられます。
でも、やっぱり人は自分の過去も未来も肯定しないと【しょうがない】ん
ですよね。

この『肯定』というのは『良かった』と思い込む・・・のとは違います。
かといって諦めるわけでもありません。
また、この『しょうがない』というのも、諦めの意味で使ってはいません。

過去や未来にツバを吐いても『しょうがない』のです。
そして、人は、過去にも未来にも手を触れることはできません。なんとか
できるのは【今(現在)】だけです。

【今】を大事にして生きていきたいですね。 


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