有明淑

六月四日

(中略)

家に歸へつてみると、お客様。おじぎをしたり、笑つたり、話したりするのが、何んとなく厭で、三千代姉さん家に出掛ける。
三千代姉さん家に行くと、元の自分に逢つた樣な気がする
だんだんよくなくなつてくると、三千代姉さんも明兄さんも云つてゐる。
それが自分には、わからない。元の自分と云ふけれど、どれが、先の自分なのか、忘れてしまつてゐる。思ひ出す事が出来ない。
歸へり道、久し振りに夕日の道を廻つてくる。
丁度、夕日時だつたので、気持がよかつた。
田植のすんだ、田甫が、青々してゐる。川も澄んでゐた。
空と、赤い夕日が実に綺麗だ。
草の上に、腰ををろして、此の頃の自分をゆつくり思つてみたり等した。
何故、此の頃の自分が、いけないのか、わかつてくる。
自分の缺点をかくし、人に對してよく見せ様、よく見せようとしてゐるからなんだ。
一人になつてみると、その自分が、馬鹿げて見える。
此の間も、誰かが云つてゐた。「有明さんは、だんだん俗つぽくなるのね」
俗つぽくも、へちまもないけれど、お母さんを思ひ、有明家を思ひ、皆に、好感の持たれる様になりたいと思つてゐたのが、飛んだ、道に入つてしまつたらしい。
悪い所が、悪いと何故、ちやんと人前に出せないのか、情けなくなる。
全く此の頃の自分ときては、人前に出ては、本当の自分をこれつぽつちも出してはいない。いつも相手の気を使つてゐるのだから可愛想なものだ。
今更ながら、自分の個性の無いのには、驚く。
草の上に坐つてゐたら大きな声がワツと出さうになつた。
ワツ位ひで、弱虫の自分を、ゴマ化そうなんて云つても駄目だぞ。
もつとどうにかなれ。
夜、馬ーちやん自轉車に乗つてやつてくる。
明日、洋服地を見てくれと、すごく張り切つている。
馬ーちやんと話してゐたら、自分のずるくなつたことに気がつく。
その人その人によつて、自分が、変わつてゐるのだから憎らしくなる。
いつも相手より先きまわりする、ずるさ、が厭だ。
いつの間に、こんなになつてしまつたのだろう。
今の自分なんて、本当の素直さなんて、無いのかもしれない。今のは、無理に作つてゐるんだ。それでなければ、いつも理屈をつけてゐる素直さなのだ。
あんなに、信じてゐる三千代姉さんと話してゐる時でさえ、その言葉言葉を、一、一、ぎん味したり、必要の無い所まで、解しやくしてしまつたり、かう云つたらよいのだろうかなんて、考へてゐるのだ。三千代姉さんに對してゞさえ、よく見せ様と作つてゐるのが、はつきりわかる
もう先の様に、すらすら何も残らずに話したり、自分を意識しないで何を云つてゐるのか、よくも思はないで、話したりする事が、無くなつてしまつた。いつも自分を念頭に入れて、自己と云ふものを、感情の中に、一番大きい位置に、占めさして、そこからいちいち、命令をはつして、人と話してゐる様なものだ
自分では、理性的になつた自分を見詰める様になつたと思つてゐるのだろうけれど、決して、さうでは無いのだ。かへつて小さくせまく哀れつぽくなつてゐるんだ。大げさに云えば、動きが取れない、カヂカンだものになつてゐるのに。
お前は、人を意識しすぎるぞ。自分が生きてゐるのではない。人の爲めに、生活してる様なものなのだ。気狂ひや馬鹿の方がよつぽど、直実味を持つてゐる。利考だ。愚劣極はまるつて、くだらないものつて、お前の事を云ふのだ。
何故、あの裸かさが無くなつたのか、思ひあたる事が、ある。
一、本の濫讀。(批評力も無いくせに)
一、自分の雰圍気に合はない、一ツの社會に入つてゐつた事、それに、無理に、なぢませ、その場をリードする立場になつてとくとくするのに、満足してる事。
一、剛三さんと自分とのチンチクリンな感情。
厭だ、自分が嫌ひだ。
好きな自分になりたい。もう一度、あの飾りつけの無い自分になりませう。なれるつもりだ。うんと謙虚に、なる事だ。
自分を殺してよいのか。うんと自分の生地を(今の)むき出しにしてしまつてよいのか。これは、わからないけれど、唯、落ついて、自分を(本当の意味の)失はない事だ。
それから、これが一番大切な事なのだけど、嘘をつかない様にするのだ。
今夜、此の様に、思つてゐても明日の朝になれば、元のモクアミになるのではないかと思ふ。
病気になりたい気持がする。
長い間、寝てみるのが、一番よい様な気がする。

こゝまで書いて、寝ようと齒を磨いて来たら、又少し考へ方が、変つた。
今の自分で、生活していつたら、世渡りの上手な、謂ゆる社交のうまい、その辺にゐるウヂヤウヂヤした人間達に好かれる事は、確かだ。
もう先の盡で、大きくなつていつたら、お父さんの云つた、「中心はづれの子」と云はれて、変り者に扱はれ、生きて行く事に、苦しみを感ずる事も確かだ。どつちが、幸福に、なるかは、問題では無いけれど、どれが本当の自分であるかは、はつきり知りたい。無理の無い生き方をしたく思ふ。
両方からよい所丈を取れと云つても出来ない事は、わかりきつてゐる。
それこそ、直更、カタチンパな自分が、コチコチの自分が出来上がつてしまふ。
本当に、自分のどれが自分なのだろうか。

『有明淑の日記』 青森県近代文学館 2000