岡倉覚三(天心)の『白狐』はオペラ台本として書かれた作品である。 彼の主要な著作がそうであるように、これもまた英語で書かれている。 テキストは完成し、作曲者(Loeffler)も決定したが、 結局、作曲はされなかった。そして、その後現在に至るまで、 このテキストに目を向ける作曲家はいなかったようである。
天心自身が言ったように、
I think that the White Fox must remain a poem as it is if Mr.Loeffler does not write the music for it.
また、大岡信が言ったように、
私はこれを、同時代の日本の詩のみならず、明治以降の詩史全体の中での、傑出した詩作品だと考える。
今もなお、詩作品として残されているばかりだ。
わたしは、オペラをほとんど聴かないけれど、また、 このテキストに見合う作曲家を思い浮かべることはできないけれど、 このまま作曲されないのを想像するのはとてもさびしいことだ。
誰かこのテキストに目を向けてくれないだろうか、 とずっと思っていたのだが、最近、考えが変わってきた。 ムソルグスキーの《ボリス・ゴドゥノフ》を BGMに、この白狐を読んでみて、 あまりの両者のハマリようにびっくりしてしまったからだ。 作曲されなくて良かったと思うくらい。
ボリスの音楽の素晴らしさは別項で書きたいが、 とにかく今は、ボリスの音楽の素晴らしさを信じていただこう(おいおい)。 それほどの音楽でないとこのテキストには見合わないのだ。 このテキストが圧倒的に素晴らしいのだ。 このテキストに見合う音楽を作ることができなくても仕方がないと思う。 さびしいけれど、永遠に作曲されないオペラになるのだろう。
大岡信 『岡倉天心』(朝日選書274) 朝日新聞社 1985
岡倉覚三(木下順二訳) 『白狐』 平凡社 1983