うたての小部屋

月刊ウェブ雑誌「うたて」作成の楽屋裏

漫画家さんへの声かけを担当させていただいている漫画家/森生文乃の

楽屋裏ページです。


5/11 先日助っ人にいった原田千代子さんの最新作は《嫁と姑スキャンダル》(竹書房4/30発売)に載ってます。(原田蘭さんという名前になってます)ここに書くの遅くなっちゃってすみません。おばさんがいっぱい出てくる作品ですが、原田さんの書く「おばさん」たちは迫力があってアット−的です。森生はこの作品のスクリーントーンを少々はらせて頂きました(笑)。

ところで前に御紹介した鈴木光明先生ですが、先日お手紙を出したところ、奥様からお手紙いただきました。3年前からお身体を悪くなさって長期の入院治療をされているそうです。奥様、大変お疲れのご様子。お忙しいなかを、鈴木先生のご著書「マンガの神様!」(手塚先生のことを書いたご本)を送って下さいました。そして「主人は少女マンガの発展と広がりをとても望んでおります」とのことでした。鈴木先生のマンガに対する愛がいっぱい伝わって来ました。お身体の回復と安らぎを祈ります。


4/28 昨日 灘しげみさんからメールがきていてびっくり。塾女の漫画ファンの方は覚えていらっしゃいますでしょうか?少女コミックで連載していたスポーツマンがの灘しげみさんです。ひださんから森生のことを聞いたのですって。今は漫画は離れているそうですが、なつかしい方の消息を知るだけでも、私たち漫画家にとっては嬉しいことです。その方のまんが主人公の華やかな顔が頭にぱっと浮かんで、一瞬、うきうきする。

漫画のなにが私たちを元気にさせてくれているのでしょうね…。私はいろんな主人公の表情が好きでした。表情…、そう、少女漫画の魅力は、表情だったのかもしれない…!


4/23 原田さんやひださんから、水野英子先生が「うたて」のその後を気にして下さっているとのことを伺いました。ちゃんと覚えていて、気にかけて下さっているんだなあとわかって、とても嬉しかった。

本当に漫画を愛していることが、こうやって間接的な話を聞いても伝わって来る方ですね。

ところで先日、原田さんの所でお会いした19歳のアシストの方に伺ったのですが、サガミユキさんの貸し本時代の復刻版が出ていると聞きました。「昔の漫画、面白い?」ってきいたら「すごく面白い」という答えでした。今の19才の人でも、昔の漫画がちゃんとハートに届くんですね。嬉しい情報でした。

それから、また別の会場で、今海外で日本のコミックが大変な人気だということも聞きました。日本へわざわざ漫画を買いに来る人もいるとか。でも、新刊本は飼わないで、ブックオフで大量に買っていったとか。なにはともあれ、時はきている感じ。

そうそう、英語版作成してくれている人が、もう完成の一歩手前で、電気トラブルがあって、ちょっと遅れちゃっているのですって。申し訳ないって。もうちょっとまっててね。よろしく。


4/20  原田さんから教えて頂いた水野英子先生の公式サイトは http://hanaya-ikken.hp.infoseek.co.jp/mizuno001.htm

ある日、たまたま花屋さんにいって、そのお店の方が水野さんの惚れ込んでHPをつくっちゃったそうです。


4/19 ただいま〜、です。今朝の8時ですが、さっき原田千代子さんのところから帰って来ました。人の仕事場は、仕事のやり方についていろいろ勉強になるものですね。原田先生は一定の時間ごとに目覚まし時計が鳴るようにセットして、仕事をしていらっしゃいました。「できる時にはできる、という感じで仕事するより、時計に追いかけてもらった方がいい。でないと、だらけてしまうのね」ですって。なるほど、確かにそうです。

原田先生から水野英子先生の仕事場に行った時のことを聞きました。水野先生は、ちょっと男性的な方かと思ったら、(性格的にさっぱりした方、という意味)意外にも手芸はなさるし、料理もお上手なのだとのこと。インテリアもものすごく素敵で、手作りのものがいっぱいあって、落ちているゴミまできれいに見えてしまうほどなのだそうです。すごいですね…!!ゾクゾクしちゃった。

そうそう、原田さんは手塚治虫さんのアシストをされていたので、手塚さんのカラー原画の素晴らしいのが飾ってありました。きれいだったなあ…。  

原田さんご自身の、イラストも飾ってあったのですが、それがすごい迫力!でびっくり。この才能、全開で発揮する場が世の中にないのが残念と思いました。


4/18 原田千代子さんから、「助けてくれ〜」のSOSをいただいてしまった。ははは、雑誌の原稿落ちそうなんだって。(「うたて」じゃないよ)同業 相哀れむ で、森生は夜中2時頃原田さんちにおじゃますることになりました。行った事ないので、夜中に道わかるかなあ。


4/15 今日は漫画家さん3人で会いました。(いちおうまだ名前は伏せておきます。話がまだ具体化してないから)3人でなんか新しい仕事起こせないかねって話しになりました。面白かったです。「3人寄れば文殊の智恵」なんて言いながら、一人がレポート用紙を配って「さあ、文面をそれぞれ書いて!」と号令をかけると、さすがプロ漫画家、全員その場でものの5分で企画書みたいなの書けちゃったの。で、その3枚を突き合わせると、一番おとなしそうだった人が今度はリーダーシップを取りはじめた。<まあ、お姉様、頼もしい>と思ったら「私はPTAで広報やってるのよ」とのこと。で、あっという間に3枚の企画書が1枚にまとまった。このさきどうなるやらわかりませんけど、中年漫画家が元気になる事をどんどんやりたい、と思った森生でした。

今日は「うたて」の英語版翻訳をやっている人にも会いました。「どう?」って聞いたら「翻訳は出来てます」とのこと。楽しみにまってますよ〜。


4/10 井出智香恵さんのHP面白かったですよ。頑張ってるお母さんだなあ、と思った。日記を読んだらドメスティックバイオレンスにも遭ってたんだそうです。まあ人生いろいろあった方って、奥が深くて素敵です。

井出智香恵さんのHPはこちらです  http://www2.tky.3web.ne.jp/~love36/


4/9  ひだのぶこさんから展覧会のお誘いあり。いずみ洋子さんと一緒に上野の絵の展覧会に行こうって。残念ながらその日は予定が入っていて御一緒できない森生でした。でも電話で、いろいろ仕事のこととかこれから何かしたいね、という話になり、今度お会いして話し合いましょうという話になった。なんか新しいこと始めなくちゃ、という感じはお互い持っているのです。 ひださんはさすが大阪出身だけあって、商魂ありそう。

「うたて」の編集の木下さんは数日前に電話で、こんどから個人別の特集にしたいと言っていました。まだ本決まりではないらしいので、どうなるかわからないけど。


3/28 昨日の追加。昨日、矢代さんに会ってて吃驚しちゃった。今まで数回お会いしたのですが、昨日初めてタバコを吸われた矢代さん。 普通にしてると普通のおばさん(失礼)なんだけど、タバコくわえたら、な、なんと「作家」の雰囲気がイタについていて、すごく似合ってた。矢代さんの正体=作家!を見たり、って感じ。

3/27 本屋に行く今がなかなかなかったので、遅ればせながら今日雑誌「オリーブ」をやっと買いました。カラーで「うたて」が紹介されていました。うれしい。どんどん知れ渡ってほしいなあ。

今日は矢代まさこ先生の原稿を受取りに行きました。矢代先生は以前縄文の遺跡発掘などのお仕事をされていたり、今はまた別のアルバイト先で、それがまた外人の多い職場で、などなど、話が尽きない。いろんな経験がある事を豊かな人生と言うなら、とっても豊かな人生を送っていらっしゃる。でも苦労人。作家魂を持っていらっしゃる方なので、私はその才能をとても大切に思っていて、矢代先生の今までの苦労が報われるように、応援したい気持ちでいっぱいです。


3/22 「うたて」の英語版、ついに公開!!去年の7月くらいから構想があったものなので、やっと念願の!という感じで、感無量です。

といいつつ、遅ればせながらやっとさっきダウンロードして見ました。いやはや!。まんがのせりふが英語になっているのを見るのは、なんと面白い事でしょう。いや〜、英語がこんなに面白いなんて、初めて知りました。英語の教材にいいかも。皆様、是非英語版見てみて!。無料お試し版もありますし。

違う国の言葉で日本の少女漫画が紹介されているのを見るのは、とってもドキドキしました。


3/17 森生の「小野小町」後編が遅れていまして、「うたて」6号に間に合わないかんじです。すみません。6号は早めに出すって言われてたんだけど、確定申告が入っちゃって。なので後編は飛んで次の次の号で発表になりそう…。


3/9 ちょっとしんどい話ですが、漫画家さんの現状を少し。知り合いの漫画家さんのことなのですが、自分の原稿を知らない間に他の人の手に渡って売買されていて、それを自分の手許に返してもらうのに、結局、その原稿をお金を払って買い戻したとか…。いやあ…びっくりしました。著作権なんてどうなっちゃっているんでしょう。 (昔の漫画家さんは、原稿を返してもらえないことなんかよくある事だったらしいです) 

原稿を売った人の名誉もあるので一応弁解しておきますが、売った人は別の人から買ったそうなので、その人にとってはお金を出して買ったものを別の人に売っただけのことなのです。ずいぶん昔の原稿の話なので、こんなことはそれ程珍しい事ではなかったかもしれないのです。 

今活躍中の漫画家さんなら、かなり著作権は保証されるようになっているようですが。むかしは、漫画家がいっぱしの「作家」だなんて思われていなかったフシがありまして…。 手塚治虫さんが、あの人医学大学の出だから、そういう人が漫画家になって、国際的にも活躍してくれた事によって、漫画家の地位が向上したようなものです。改めて手塚さんに感謝!!。

そうそう、女性漫画家では、水野英子さんが「原稿はゼッタイ返して!!」と主張して下さっていたそうです。そういう先人の方のおかげで、徐々に地位を獲得(?)していったんですね。水野大先輩にも感謝です。


2/26 西谷祥子さんの原稿を受取にいきました。吉祥寺のユザワヤ(手芸品の材料など売っている大変ユニークなデパート)で待ち合わせて、一緒にユザワヤ見学してきました。、西谷さんと御一緒させて頂くと、夢がいっぱい広がる感じで、すごく楽しかったです。「女の子のきらきらしたふわふわした感じ」を、久しぶりで思い出させてもらった感じ。

というわけで、今度また「うたて」の西谷作品が登場しますよ。お楽しみに。 私は皆様より一足先に原稿拝見しちゃいました。(生原稿って感動ものなんです。美しいです!)西谷さんの描く女の子の表情は生き生きしていて素晴らしい。それと西谷作品の男性は、広くてあったかくて本当にステキです。「こんな人実際にいたらいいのになあ」とため息ついちゃう。

そうそう、西谷さんを私に紹介して下さったのは、「銀盤のフラッシュ」を「うたて」に連載中のひだのぶこさんなのですが、ひださんと西谷さんの間には暖かいものが流れていて、とても素敵なお二人なんですよ。

こんど漫画家のみなさんとどっか遊びに行きたいなあ。

ではでは今日はこれにて。


2/16  「オリーブ」という雑誌に来月(3/18日発売)に「うたて」の紹介が出るそうです。よろしく。

ところで、このところ自分の作品にかかりきりで、一時は電話を取る暇もなく、すべて留守電にしてしまった。その間に電話下さった方、大変失礼いたしました。ごめんなさい。

それにしても、「うたて」で書きたいものが書けるという、大変有り難い状況を、今私は満喫しております。書きたいのもを書きたいように書くと、なぜか書きながら発見もあるし成長もする。こういう状態にならないような仕事の仕方を今までしていたのだなあ、と改めてびっくりしています。

「書く事は楽しい」、この喜びを、商業雑誌で書ているうちに、失う人は多いのです…。


No.4 梅図かずおさんの昔昔の作品

下は森生が梅図さんの絵を真似をして書いたものです。あしからず。

梅図さんたら、こんな絵柄を書いていらしたのね!!!と感動してしまい、思わず真似をしてワンカット書いてみました。雰囲気は出てると思います。(でも御本人の絵ではないのでちょっと違います。あしからず)めちゃくちゃ「やさしい」雰囲気なのです。あの、恐怖漫画を書かれる前は、こんなにも優しい女の人を書いていらした梅図さんなのでした。

私は本来、恐怖ものというのは好きではなかったのに、これ(貸し本時代の梅図さんの絵)を見て、なぜ自分はあんなに梅図さんの作品が好きになったのか、ナゾがとけた気がしました。私が出会った頃は「猫目の少女」とか「ヘビ女」でしたが、恐怖を描きながらも、表に現れていない、女の人「あるなにか」の匂いを、私は嗅ぎ取っていたのです。恐怖の存在になる前の女の人はあきらかに「やさしい」存在だったです。

商業週刊誌に連載を始められてから「やさしい」女の人が「恐ろしい」ヘビの女に変わっていった事は、ある意味、象徴的なことに思われました。……貸し本時代はけっこう作家が自由に書いていたと伺った事がありますが、利益を激しく追求する商業週刊誌では、女性のやさしさはヘビ女になるしかなかったのかもしれません…。

ところで復刻版とか盛んな今日ですが、梅図さんのこの時代の優しい少女漫画の復刻はなされていません。優しい女性は、無視されたまま…なのであります。いつか、復刻される事を願ってやみません。

最後にこの、昔の梅図さんの作品を、熱意を込めて紹介してくださった矢代まさこさんに感謝。(矢代さんが教えてくれなかったら、こんな昔の梅図さんがあったなんて知らなかった私でした)


No.3漫画図書館(その2/本格エンターテイメント)

1/10 昨日、西谷祥子さんから、まだ原稿捜してない、とのお電話頂きました。去年風邪をひかれていたのでちょっと心配でしたので、お元気そうで何よりでした。それから今日、石本華子さんからもお電話頂きました。原稿まだ捜してないって…。なはは。ひたすらお待ちしております。ひだのぶこさんからは、とっておきの原稿がうたて編集人Kの所に届いているそうで、楽しみです。また井出知香恵さんからも、力作が届くとのこと。うれしいです。

 ところで、現代漫画図書館の続きですが、矢代さんと昔の作家の話をしている中で、<昔のすぐれた本格的ストーリー、エンタテイメント作家というのがいたのだけれど、でも自分はその頃、自分の現実に拘泥する年頃の子供をやってたので、そういう作品と少し距離があった…>という話がありました。

 そう言えば私もそうだったなあ、と思い出しましたので、書いてみます。

 昔、男性作家がけっこうしっかりした少女漫画を描いていたのですが、年端も行かない女性(ほとんど読者と年齢的に変わらない)作家が出てくると、男性作家の作品よりも熱烈歓迎するようになったのです。読む方としては、ストーリーが少々変であろうと、自分と同じ、「自分の現実に拘泥する」という作品の方が、魅力があったのです。男性的なすぐれた本格的ストーリー漫画は素晴らしいけれど、ともすると「完結」した世界で、現実とはそぐわない事が多いのを子供ながら知っていたのです。で、そうじゃない世界、現実ありのままの矛盾した世界を女性が描き始めた事が、私達読者にとって衝撃だったのです。それが、新しい少女漫画の夜明けでした。

 しかし、そんな中で梅図かずおは女性作家陣に囲まれながらも人気がありました。私もその熱列ファンの一人でした。今ふりかえって、なぜあんなにも惹かれたのか…先日梅図さんの雑誌時代より古い作品を発見した時、その理由が分る気がしました。(その話はNO.4に続く)


No.2  漫画図書館へ行った(その1/鈴木光明編)

1/8 矢代まさこさんが、早稲田鶴巻町の現代マンガ図書館
http://www.naiki-collection.com/
へ行くとおっしゃったので、森生も御一緒させて頂きました。

 図書館の一階は書店になっていて、古い貴重な本がいっぱいありました。そこで私はあすなひろしさんとか、ちばてつやさんの「紫電改のタカ」、なぜか今はすっかりみかけないこさかべ陽子さんの漫画を購入しました。なんと昔々の梅図かずおの少女漫画貸し本も5000円で買ってしまいました。(梅図さんの古書は5000円なら安い方だそうです)森哲郎の「秩父事件」というのも見付けて購入。(これらについて書きたい事いっぱいあるのですが、おいおい書くので待っててね)

 その後、館長の内記さんがおいで下さり、蔵書についてお話し下さいましたが、もう、その熱気たるや、すごいものがありまして、お肌もつやつや輝いて、若いのなんのって、このエネルギーは一体どこから来るのでしょう?と思いました。

 二階の図書館には古い貸し本からずら〜っと蔵書があって圧巻でした。矢代さんは新城さちこさんの漫画を、私は鈴木光明さんの漫画を捜していただきまして、ついに私は鈴木光明に出会う事が出来たのでした。で、今日はまず、この作家について書かせて頂きます。


鈴木光明さんについては
HP
『誘蛾灯の引き出し』
http://www.scn-net.ne.jp/~yu_gatou/

のサイトでなんと作品リストが見れます(すばらしく良く調べてあるので、脱帽です。)

 鈴木光明さんのお名前を知ったのは、私が中学一年でした。すでに当時は鈴木先生の漫画は雑誌には出ていなくて、この方の作品は見た事がありませんでした。ただ「少女漫画通信教育」という広告が「少女フレンド」に載っていて、その主催者が鈴木光明先生だったのです。さっそく入会した私は、横浜のはずれの民家でやっている「例会」の会合に、市電とバスを使って2時間以上かけて行ってきたのです。たった一人で全然知らない土地へ行くのは冒険でしたが、冒険ほど楽しいものはありませんね。会合ではじめてプロの漫画家の原稿を見て、その美しさにショックをうけ、デビュー前の勉強中の人もみんな上手くてカルチャーショックを受けました。
 その会合は、たいてい草野ヒカルさんという方が取り仕切っておられたのですが、でも一度貫禄のあるおじさんがふらっと見えたことがありました。たぶんその方が鈴木光明先生でした。顔は全然覚えていないのですが、職人ふうの方でした。当時私はまだ会合に持って来れる程の作品を書いてなかったので(わら半紙に鉛筆で描いていたので恥ずかしくって)、直接御指導を受けた事はありませんでしたが、鈴木先生がそういう場を作って下さったおかげで私は漫画家への道を歩き始めることが出来たのでした。

 ところで、その会合で、くじ引きで若木書房の単行本が当たるという特典があって、なんと私はそのクジに当たって矢代まさこさんの「ようこシリーズ/笑ってごらん」を手に入れたのでした。あたった時の他の人の羨望のどよめきの声は今でも覚えています。貸し本の事は全然知らない私でしたので、わくわくしながら家に帰って読みました。初めて深く心に染みる衝撃の作品に出会えた感じでした。その後、数十年たって、引っ越しのたびに古本は処分したのに、この本だけは捨てられず、ず〜っと手許に大切にしていたのでした。

 昨年めぐりめぐって、「うたて」のおかげでその作者の方とお会いする事が出来他時は感激でした。「うたて」創刊号の漫画家さんが、最後の一人がなかなか決まらずず〜っと困っていたのですが、最後に現れてくださったのが矢代さんでした。「笑ってごらん」の本を片手に喫茶店でお会いできた時は感激でした。今年はその矢代さんと鈴木光明先生の作品を捜しにいけたのは、もうなんと言ったらいいか、見えない何かの流れを感じています。

 前置きが長くなりましたが、そんな訳で「鈴木光明」というお名前を知ってから実に36年かかって、やっと私はその作品に出会う事が出来ました。
 現代漫画図書館で、振袖忍者、とか時代劇ものを5册程拝見できました。時間があれば雑誌も検索してもらえたのだけれど、ちょっと時間切れで、やむなく帰りましたが、いやはや、スゴイ、メチャ絵がうまくて、もう、興奮してしいました。線がものすごい美しくて、構図が素晴らしい。(手塚治虫さんの系統の絵柄ですけど正直言って手塚さんよりうまい)人物の動きも緊張感があって美しく、まるで歌舞伎芝居のような華やかさと張りがありました。いや、びっくりしました。
 そしてなんだか鈴木光明さんの漫画を見たら元気になって帰ってきました。貸し本時代のエネルギーってすごいものがあったんだな、と思いました。

 そのエネルギーは、なにか、自分の中で深く埋もれているものとも繋がっているような気がしました。


No.1 「うたて」立ち上げ

平成14年6月 森生はレギュラー執筆していた月刊雑誌が廃刊になって、バイトをしながらも事実上失業状態でした。そこへ、ゲームデザインとかウェブデザインをやっているという株式会社「ぱぴゅ」社長の木下さんという人が現れて、「漫画のウェブ雑誌の構想があるんだけど」とのたもうた。今までにない新しいシステムの雑誌を作りたい、とのこと。おお!それはいいじゃない!とすぐに乗り気になった。

これが月刊ウェブ雑誌「うたて」発足のきっかけでした。

7月/漫画家さんに関しては私が集めましょう、という事になって、あちこち声をかけはじめましたが、なんとまあ、漫画家さんの捕まらない事。私はいろんな雑誌社を転々としたので、女性漫画家さん同志のつながりって少なかったのです。昔の知り合いをたずねたら電話番号が古くて「現在使われておりません」が多かったし。

声かけをして話に乗って下さったのは、なんと私がボランティアで阪神大震災のチャリティーコンサートご案内をした時に反応して下さった作家さん達から、でした。こんなところでこんな人脈が活きるのか、と人のつながりの不思議を感じたものでした。結局「うたて」のたちあげは、このような人道的な人間のつながりから立ち上がったようなものです。木下氏との出会いも実はエチオピア支援ボランティアがきっかけでした。

いずみ洋子さんがまず参加承諾してくださり、ついでひだのぶこさんが承諾して下さいました。海のものとも山のものともつかないこの企画に承諾を下さる方々が、なんと神々しく見えた事か。さらにひださんが西谷祥子さんを紹介してくださり、森生は憧れていた作家さんだったので、狂喜してしまいました。最初の電話はしどろもどろで、どもってました。そんな私なのに、西谷さんは御会い下さって話を聞いて「面白そうね」といって下さり、参加承諾をして下さいました。本当に人間的に素晴らしい方々ばかりにお会いでき、深い感謝の気持ちでいっぱいになりました。

8月/木下氏は9月に創刊号を出すのだとのたまいまして、たまげました。漫画家さんは、予定の半分も集まっていなかったのです。全然連絡つかなかったり、ついても断わられたり(なにせインタネットで作品を流すなんてまだ皆さん不安なのです。)熱い日がじりじり過ぎていく8月でした。

9月/雑誌の名前が決まらず、すったもんだしました。木下氏が「まんがラバーズ」がいいとおっしゃったのですが、私は「嫌だ」と譲りませんでした。しかたなく、木下氏は四苦八苦の末、「うたて」というすばらしい名前を見付けて来てくれました。この名前が決まった時は、飛びあがりたいほどうれしかった。

漫画家さんから漫画家さ