今まさに失業時代

1 崩壊の始まり

2001年の4月の中頃、その月の下旬締め切りの雑誌読みきりのコミックのストーリーを練っていたら、電話がかかって来た。

雑誌の編集さんでした。

「実は言いにくいことですが、先程会議で雑誌が休刊することが決まりました。今月締め切りの仕事は、しなくてけっこうです」

が〜ん

何となく予想はしていた。いつかそうなるって。

だから、あちこち持ち込みとかはしていたのだけど、何処の雑誌も手持ちの作家でいっぱい。一年くらい先まで雑誌の作家のスケジュールは決まっている。横から入れるのは新人枠だけ。新人はやはり若い人がいい。てなわけで、予測しつつもズルズルその日まで来てしまった。

かくして、20年程続けて来た専門職を失い、職探しのあてどない旅が始まるのでした。          


2 突然なにもできないただのオバサンになっていた

長年の仕事が無くなったことは、まるで自分のアイデンティティが無くなったように感じ、鬱病状態に突入。

傍から見たら、あまりにも甘ったれ見えるでしょう。たかが仕事が無くなったくらいで、ねえ。仕事が無くなったら、どんどん探してどんどん働けばいいだけのこと。理屈では分かっていたのです。が、さっぱり体が動けませんでした。頭では、一からやり直して、アルバイトしながら新人募集の懸賞募集に応募しようとか考えているのですが、いっこうに何も進まない。

新聞には中年の自殺者の増加が報道されている。自殺する人の気持ちがよく分る。

長年お金をもらって描くクセが付いてしまい、お金にならないと描けない自分になっていました。金になろうがなるまいが、がんがん自分の描きたいものを描いていくという原始的エネルギーが消えていた。人にお金をもらって自分の労力を売るってなんだったんだろう…!?働きながら、生命力を吸い取られるって、どういうことだろう!?お金を得る為に、私は魂を売って来たのか。誰に?

自分の好きな職業に付いたはずなのに、金をもらってやっている間に、すっかり自分はからっぽになっていた。気付いたら、自分は他に何も出来ないヘニョヘニョの腑抜け人間。しかも、再スタートするにはあまりにも遅い年令になっていた。


3 内職ってこんなに酷いんだ?!

とにかくなんかしなくちゃと思い、たまたま近所で内職を募集してたので応募してみた。ダイレクトメールの封入や、封筒貼ったりするやつ。どっさり紙の束を車に積み込み、けっこう時間かかってひーふー言いながら翌日また車に積んで持ってい行った。仕事取りに行く時、他の内職さんにお会いしましたが、全員主婦でした。翌月給料もらってびっくり。時給にすると200円くらいにしかならない!!!今どきこんな職業があるのかと思った。家庭の主婦の労働力ってこんなに低く見られているのかと、あらためて痛感。

数日後、どさっと急に会社にダイレクトメールの仕事が来た。倉庫の中で会社の男の人が叫んでいるのが聞こえた。「こんなの、内職の車に乗せちゃえ、乗せちゃえ」  なんちゅう言い草。腹立って、すぐその仕事は止めました。


4 結構誰でも知っている大会社に派遣でパート

いきあたりばったりで、とにかく派遣会社に行きました。登録してすぐ、紹介された仕事に飛びつく。すごいメジャーな会社にはじめて「お勤め」の私です。

今まで自由業だった私は、仕事に行ってびっくり。先ず、休み時間というのが2時間にいっぺん、10〜15分あるのに驚く。(自由業は、トイレくらい自由にいっていた)休み時間になると、各部屋からド、ド、ド、と人が出てくる。エレベーターの前にずらっと人の群れ。休憩室で水分補給。そして、またみんな、ド、ド、ドと部屋に帰っていく。なんか、家畜の群れみたいで、私は目をぱちくり、でした。

みんなこんなふうに働いているのか、とあらためて知る。

会社は繁華街を通って帰る場所にあるのだけれど、テレクラとか、マッサージの呼び込みとかやってるのが目につく。だけど、家畜のような仕事の仕方したら、男の人だったらこんなところによりたくなるのかもしれないと、ふと思う。どっかで、人間性を取り戻したいのだ。(でも、風俗で人間性は取り戻せるか?)

こんな事を書くと、大会社に否定的に見えるかもしれないけど、そんなことないです。やっぱ、大会社は礼儀とかしっかりしているし、組織のなかで動くという事を学ぶことが出来てとても有意義です。


5 夜のアルバイト

さて、昼間稼いでもお金が足りないので、夜のアルバイトもしたい、と思った私でした。

そこでマジで、「水商売」について検討してしまいました。その時、突然、「そうだ。私は本当は水商売がやってみたかったのだ」という隠されて来た自分の気持ちを発見。いよいよ私の本性が出るのか?

ところが…。水商売のお仕事探してみてガクゼン。なんたって、もう私、年令制限、対象外!!なのでした。対象外ですよ、対象外!

遅かりし、ゆらのすけ!

(若い方はこんな言い回し、ご存じないでしょうか。要するにもうすでに手後れって事)

絶望のどん底(?)に沈んでいた時、アルバイト情報誌で「ホステスさんの送りドライバー」というのを発見。これなら年令制限なし。即、電話をかけて面接に行きました。

行ってみたらピンク色のネオンがかかっていて、そんなお店なんて入るの初めてでちょっとドキドキ。出て来た店長さんは、テレビに出て来てもおかしくない程の超ドハンサム。びびった〜!店長さんと面接中に、もう一人の若い、これまた美形のホストさんがウーロン茶をお盆に載せて来ました。そして、私の側に立ち止まると、サッとひざまづいて、ウーロン茶を私に捧げるポーズをするではありませんか!

いや〜、感激しました。水商売って面白い。

でも、採用が決まったのはそのお店の階下の、もうちょっと地味な店長のお店でした。

かくして、ホステスさん送りドライバーの仕事ははじまりました。


お店の事もよく知らずに、なにげに始まったお仕事。12時にいって道路で待機。(道路で車の中で待っていると大変冷えました。タクシー運転手さんの御苦労を知りました)ホステスさんの帰り時間はまちまちで、1時頃帰る人もいれば朝の五時過ぎまで働いて帰る人もいます。みんななぜかすごい遠い所から通っているので、送りも大変。夜中の道をぶっ飛ばして片道1時間以上の人が多い。往きは、本人が「ここを曲がって、あそこを曲がって」と指示してくれるからいいけれど、帰りは知らない道を自分一人でかえってこなきゃならない。かなり田舎の道を夜中に迷った事もありました。(またもや、タクシー運転手さんのご苦労が分った)

困ったのはトイレね。男性みたいにその辺で立ちションできないから。だから途中で、お店のトイレ借りに行く事もありました。おかげでお店の様子をちらっと垣間見る事ができました。(わ〜、のぞいて来たぞ〜)でも、暗くて良く見えなかった。なんか、明るいお店と違ったのねって感じ。

なれてくると、ホステスさんも送りながらお話してくれるようになり、中の様子も少し分るようになりました。けっこうピンクに近いお店だったようです。みんな仕事する前は充分な説明を受けず、仕事に来てみて「え、そんなの聞いてない」とびっくりの仕事内容もあったとか。それでも仕事を続けられるのは「お金」のための人もいるけれど、社会勉強という人もいました。大学生で、学費を全部自分で稼いでいるという人もいました。海外で仕事をしてみたいので資金稼ぎをしているという人もいました。

中でも一番の働き者といわれる女の子がいて、あだ名が「アイちゃん」という名前だったのですが、いつも最後まで働いていました。そして、車に乗ると、(たいてい朝の五時過ぎくらいなので、他の子はもう疲れ果ててぐったりしているのですが)アイちゃんはさっと携帯を出してお客さんからのメールの整理(返事を送るなど)を15分以上やって、それを終えてからやっとぐったりするのでした。家へ帰ってからゆっくりやすめるの?と聞いたら、朝8時から仕事に出かけるんだそうです!毎日そんな感じなので、車の中ではたいてい眠っているんですが、送り先に到着して私が「つきましたよ」というと、さっと機敏な動作で車を降りていかれます。そして『にこっ』と笑うのですが、その笑顔が絶品なのです。私だって朝まで仕事してつかれているのですが、彼女の笑顔を見ると疲れがパーっとすっ飛んでしまうのです。そして、彼女を見送った後は、なぜか万葉集などを口づさみながらルンルン気分で無事帰ってくる事ができるのです。

女の子ってなんて素晴らしいんだろう、と思いました。こんな素晴らしいのに、その素晴らしさを、お客さんはわかって女の子に接しているのかしら、と思うと、ちょっと憂鬱になりました。


なせが万葉集について。…送りドライバーは、待ち時間がえんえんと続くのです。そこでその時間に何かしようと思ったのですが、本を読むには暗いのです。(街頭で車の中で待っていないといけないので)そこで、万葉集の「東歌」をコピーして、一句づつ覚えようと試みました。なぜ東歌かというと、なんかの本で折口信夫が弟子に東歌を覚えろと助言したのを覚えていたので、まあ、なんとなく…

結局最初の一句くらいしか覚えられなかったんですけど、その一句が素敵でした。車に乗って、これ、口づさみながら夜明けの街を運転すると、気分よかったです。

なつそびく〜

うらかみがたのー おきつすに〜

ふねはー とどめん

さよ〜

ふけに〜けり〜〜


突然ですが、私の友人で、40代の主婦でず〜っと漫画のアマチュアだった人がいるのですが、中断しながらも時々ペンを執っていました。昨年(2001年)の暮れ、その友人が初めて漫画を描いて人にお金を出してもらう事ができました。雑誌ではないけれど、化粧品等の販売の仕事に使っていただけるそうです。彼女は大変よろこんで、今すごいパワフルに作品を描きはじめています。絵も急に上手になったんです!人はチャンスが与えられればどんどん才能を磨いていける。みんなが、たくさんチャンスに恵まれるといいですね!!人の才能というのは本当に何歳になっても伸びていくものなのに、世の中の多くの世界では中年以上になるともう<使えない>と考えて捨てる事を考えている。間違っていると思います。

しかし、こう書いたからには、間違いだということを証明しないといけませんね。なはは。(書いちゃった)


その後どうしているかというと、アルバイトもけっこう馬鹿馬鹿しくなって…(すみません)。だって、1時間いくら、で働いてエネルギーだけはしっかりすり減って、くたくたになって、(電話掛けの仕事では顎の関節を傷めたし)その事が未来に何も繋がってないと感じたのです。そうなるともうやってられません。

未来に繋がる一瞬一瞬の時を過ごしたい。

で、バイトなんか止めちゃって、先ず描きたいものを描いてしまおう!という気になり、今まで描いた事の無かった時代劇に初挑戦しました。これが面白かったですね。

今までは作品を描く時は必ず編集さんに筋書きやプロットを見せてから、打ち合わせして、話しあって決めていったのですが、今回はそういうのが全くありません!!自由です。かといって、直したほうがいいところとか、客観的な意見が必要な時は、なぜか偶然の出来事が教えてくれるようになったのです。編集さんというのはいないのに、<ああした方がいい><こうした方がいい>という事を、いろんな人や出来事によってふっと教えられるのです。まるで空間そのものが編集さんみたいでした。いい経験でした。

その漫画を描いている段階で、次の新しい仕事をつくる話をある方から持ちかけられました。


随分長い事このページほったらかしになりました。すみません。先に書いた「次の仕事」のてん末を書きましょう。ぶっちゃけた話が、友人とインターネットでマンガ雑誌を創ろうという話だったのです。今となってはすでに「思い出」になってしまいましたが(笑)。立ち上げた時は、英語の翻訳もして、その他5か国語くらい翻訳したいね、などと息巻いて希望に萌えていたのですが、また他の漫画家さんにも声をかけてとても喜ばれたのですが、ネットでマンガを買って読む事自体がまだ早すぎたのかも知れません。半年くらい続けましたが、(準備期感を入れると1年近くかけてしまいました…)広がる事なく、儲かる事なく日が過ぎ、英語の翻訳の完成も見ずにそのまま挫折するように看板を下ろしました。

人と組んで何か立ち上げる事は大変難しい問題山積みです。それをクリアするだけの能力、体力、人間力が有りませんでした。インターネットそのものに対する見方が出来ていませんでした。

ただこの企画で沢山のなつかしい漫画家さんい出会えたのはとても楽しかったのです。昔のマンガのよさも実感しました。と同時に、今の時代とのギャップも冷静に感じたのです。時代は変わっている、今までものが、いくら良いものでも、古い形のままでは通用しない、かといってまだ人に馴染んでいない新形式でもダメ、どうしていいかわからない、という現実を見ました。


そんな事をするうちに日が過ぎました。その間に、雑誌では書けなかったもの、時代物を描いていました。とんでもない貯金食いつぶしをしてしまいました。でもとにかく描きたいもの描いてみたかった。描いてみて、「この程度だったのか」という落胆もあったけれど、なにかわだかまっているものが出て来たような、まだ出たりないような、そんな感じだった。自分の力量不足を認めざるを得ない。でも、歴史物を描く事で、確実に過去の魂たちへの呼び掛けが始まったように感じる。それはもう止まらなくなった。


お金を何とかしなくちゃ、と考え続け、色々な所に顔を出し続けているうちにある編集さんと出会った。株の専門の出版社だと言う。株は私にはチンプンカンプン。だけどお金の事は勉強したいと考えていたので、その会社の社長さんに会いにいった。会いにいって、その場で次の仕事は決まった。私にとって株はまったく未知の世界だったけれど、飛び込んだ。飛び込めたのは、出会った編集さんと社長さんの人柄が良かったからだと思う。はじめはたったそれだけの、幽かな頼りない感覚であったのです。

株シリーズは第三弾に行けそうな所に来ました。でも、まだまだ生活が成り立つ程ではないのです。私はボランティアの旅行が多すぎるし(笑)。金もうけはこれから…!。

森生文乃