あや日記


3/29 意識というものはほとんど嫉妬と似ているのでは?とふと考えてしまう。これは妄想かしら。

カインとアベル。カインは意識、アベルは無意識。意識を持つとギクシャクして神と離れてしまう、なんて、これも妄想か。

アマテラスが岩戸に隠れた時、鏡に映った顔を見て「まあ」と思った時、それは自分を意識した時、自分に嫉妬した時、なんて、妄想か。

妄想が止まらない。

3/21 自己と他者。

永遠の他者。

永遠に自己が有る限り、永遠に他者は有る。

(宇宙は?)みずから他者をつくった

3/4 いかにも自己中心的に言葉をしゃべったり行動したりしているけれど、いかにも自分を追求しているように見えるのだけれど、実は、本当は、自分が知りたい・分りたいのは、自分の外なんだ。

まんまるい目をして驚きをもって、外に対面。

内側にもなんだか境界線一本ひいて自分の世界みたいなのを作ってしまったけれど、それも外の一部に線を引っ張ってみただけみたいに思えて来る。

3/2 ふと窓を見る。結露が多い季節でほっといたら硝子にカビが。。。。。拭いたらかなり広範囲に汚れていた。まだ家中きれいにしたわけではないので、この作業は続く。

ゴミを出しに行く途中、ふと思う___自分の家の中をきれいにしたら、世の中の一ケ所がきれいになるということか、と。世の中と繋がっている自分の家。

友人にメールを書いていると、紙に向かって書いているより豊かな言葉が出て来たりする。人と人の間に何かすばらしいものがあるのかもしれない。だから、自分の中に居てはダメなのだ。他人に取り込まれたり支配されてもダメ。人と人の間。

自分が止まっていても、時間は止まらない。外の世界は止まらない。 外にある「枠」は止まっている。

大切なことはずっと ある。 

2/28 母親であるという意識は邪魔そのもの。自分という意識も邪魔かも。

2/25 アイロンをかけたら気持ちが良かった。はずかしながら今までアイロンてろくにかけたことがなかった。下着にかけて畳むと気持ちがいい。Gパンなんかも今までかけていなかったけれど、かけたら気持ちがいい。

気持ちがいいことが生活の基本だった。(生活が何処かへ行ってしまっていた)

お水 が違うだけで、セメントが違って地まうと言う話を聞いたので、家の中でもお水があると違うかも、と思って考える。コップにきれいな水を入れて、部屋の中に置いてみた。清浄になる気がする。(そう言えば本当に水を流すインテリアの置き物を、イオン効果がある売り物として売っているのを見たことがあるから、科学的にもなにかあるかもしれない)

2/24 2:47 ある日突然、自分が女性でなくなってしまったように感じて途方にくれたけれど、もしかすると「作られた女性感覚」なのかも。そんな古いものなら、失っても恐れることはない。これから。。。出て来るのが本当なのかも。

2/24 2:10 (下からの続き/過去の女性が言いたかったこと) 夢 どころではない。 せっかくこんな新しい時代で、日本という恵まれた場所にいて、生きて動けるのに、なにやってんだろう。

神様にあきれかえられている。

2/24 12:55 昨日「母親」のことが友人との話題に出た。母親(女性)は何を言いたかったのかしら、と思った。一見、悲しみや恨みを訴えているようではあるけれど、もっとなにかある気がした。

『今はこうでも、必ずいつか、よくなる。幸せになる』という夢。

2/24 12:37 下の記録を久し振りに見て、また書いてることをやっていない自分に会う。いつもこのくり返し。体裁のいいことは書かない、言わない方がマシ。恥ずかしいだけ。

書類を整理していると、やりかけの事、ほっぽらかしてあること、あまりにもいい加減にしていることが沢山出てきて、それらをいつかクリアしようとする気力も失せていて、砂が崩れ落ちるような感覚。

自分はダメ人間と思うことがいけないのだと思って、それを変えようとずっとしたきたけれど、違うな。。。ダメなものはダメで、滅び行くもはちゃんときっちり滅びる。自分で自分を見届ける。これからコンサートに行く。胸が痛い。ただダメなものをダメと分る自分はいる。古いものを手放して新しいことを始められるか。

2/18 こんど人の話を聞く時は、人のコトバ(表面的な)を聞くのではなく、言葉を通してその人の体験を聞こうと思う。リアルな、その人の体験。

2/8 議論をかわすことと(理性)、誹謗中傷(感情)とが、重なってしまって、連動してしまって区別がつかないのかもしれない。両方がんじがらめに互いに自由を奪っている。だから進まない。

常に未来を予測して動いている能の役者の動き。だから止まっていても止まっていない。動いていてもその物理的動作にとらわれていない(機械的ではない)。

何処が動けるのか、何処から未来へいけるのか、常に感知。

2/4 自分は「日本教」だったのかなと思う。。。

自分の生まれた地や国を愛するあまりそれにこだわるのも考えもの。

民族意識って動物の群れ意識に近いのかもしれない。まだ人間の意識としては未熟なのかも。だから違う民族どおしで対立してしまう。同じ動物どおしの中でしか言葉は通じない、と友人が言っていた。他の動物とも意思疎通できるのが人間。

家族意識。それはそれで基本なのだろうけれど、自分の家族の意識で、それだけが正しいと思って外を歩かれても周りは迷惑。自分の家族だけ幸せなのも自分勝手。それが大きくなって、民族になっても、同じ。

逆に、普通に出会う個人と個人の家族意識(その人が属している集団意識)の枠をこえることが、そのまま、民族、宗教の壁を乗り越える平和に繋がっていく。

突き詰めれば、個人という自分の枠をこえることが平和に繋がる。

2/4 人の意識は連動、連鎖している。連鎖するということで、例えば気を遣うということで、自分で自分の首をしめる。一度横の古い連鎖を切ってみよう。孤立するかもしれないけれど。縦の意識もそれはそれで鎖の役目。それも切ってみよう。意識は切ってもつながりは たぶん ある。 原因結果の法則がきかないところでもやっぱり存在はある。 

1/30 内面の問題に関しては、人はみずからの意志で助かっていく。一人一人の人生。本人の意志のないところではいかんともしようがない。下手に人を助けたらその人は半端になる。自分に人の内面の手助けができると思うのが間違い。

現実問題に関しては、みずからの意志だけではどうにもならない。人と人が協力しあって変えて行くしかない。

自意識過剰はどこまでも隙をついて現れようとするものだ。

自分は猫をかぶっていたサルみたい。。。なんだかんだ言っても、人間の「ふり」をしていただけ。中身はサル。

1/18 朝起きたら気持ちが曇っていた。昨日曇るような言葉を使ったからか。

マイナス言葉を冗談でも使うと知らない内にその言葉どおりになっている。
言葉から逃れることはできない。

でも、言葉にならないことも、ある。

言葉を使うなら美しく使った方がいいに決まっている。かといってカコツケになるとそれはいただけない。

1/18 いつもかすかなことで、ささいなことで、自分はダメだ!と絶望したり凹んだりしている。たまにアクセスするマヤ暦の「今日の意味」を見たら、過去を悔やむな、と出ていた。そうなんだよなあ、と思いつつも、悔やむのは、マゾかしら。もう。いいかげんにしたい。

原因はわかっている。先祖から受け継いだ「神から見放されている」「神から切り離された」という感情を後生大事にしているのだ。宝物みたいに大事にしているけど、宝物じゃない。ガラクタもの。粗大ゴミ。

神の声が聞けなくなったのが原因なら、聞けばいい。聴覚で聞こえなくても身体の奥では感じることができる。

それでもまだ原因がもうひとつ。身体が寂しげ。社会的活動によって寂しさは解消されるだろうか。普通は寂しいと人を取り込もうとするのだけれど、逆だ。自分から放射することができれば満たされる。

1/14 現場と、上のものがいる。上は現場がわからない。現場は上に命令されて動いている内に、命令と現実のギャップに疲れてしまったり、言われなきゃ分らないようなアホに退化してしまったりした。上の命令も理解できなくなって、嘆いて、諦めて、暴走もするようになった。現場と上は完璧に話が通じない。おまけに上(あるいは中間と言うべきか)には派閥争いがあるみたい。派閥争いに現場が使われる。でも、時代はもう変わる。

以上。例え話、でした。

1/11 お能の謡いの、体験見学に行ってきた。お能の方の声は素晴らしい声だ。ほんとうに仰天する。なんと言っていいかわからない。何処までもこだましていきそうな、天空に響くこんな声に会えただけでも幸せと言うか、ありがたい。

あんまり日本、日本と言うと耳障りだと子供に言われたので、もう言わないことにする。そういうことは一年に一、二回程度、さりげなく口にするくらいにとどめておいた方が奥ゆかしい。私はうざったいオバサンでした。はい。すみません。

1/10 9日の朝、夢を見た。(夢を見ること、私には珍しいのだけれど)。処刑される夢だった(笑)。処刑前の1時間くらい。友人が挨拶に来てくれる。初めイライラして、こんな時に友人に挨拶なんかできないと思ったけれど、会ってみたら落ち着いて、ちゃんと「今までお世話になりました」と挨拶することが出来た。そして、晴れやかな気持ちになって出かけた。なんの為に処刑されるのかわかっているから。自由を主張したのだ。

1/8 自分と違う文化圏やグループの人の悪口を言うのは、好きじゃない。そういう行為は他グループの中に敵の要素を一生懸命植え付け増やしているようなものだ。暗くて苦しい。

どのグループからも外れた人を軽蔑したり、スパイのように疑い嫌うのも、好きになれない。どのグループにも属さない人は、もしかしたら超越への交渉人の可能性だってある。

どの人も、超越し、より良くなって行く可能性と使命を持っている。

1/8 「能に学ぶ身体技法」(安田登/著)という本を友人から教えてもらって、今日図書館に来た。最初の数ページ見ただけで元気が出る。素晴らしい。

80、90になっても失わない身体および内面の瑞々しさを、ここから是非学び取りたい。

やっぱり私にとって日本文化は、現代の希望、です。

1/6 寒いせいか、このところやたらと何か食べたくてしょうがなかった。折しも肩凝りが激しくなったので、もしかして食べ過ぎのせいでは?とふと思ったので控えてみたら、肩凝りが和らいだ。ゼツミョーな身体。食べ過ぎないことも身体を大切にすることなんだ。意識とか感情に任せていると、身体を酷使していることがある。

1/5 料理人の雑誌がたまたま会ったのでめくっていたら、お客さんの心をずっとつなぎ止めておこうというのは不可能であると書いてあった。敵は同業者とか競合相手ではなくお客だって。お客さんは常に新しいもの、もっといいものを求めているので、常にお客さんをより良いサービスで責めて責めて責めまくる、この喜びを味わえるようにならなくちゃ、みたいなことが書いてあった。

1/3 久しぶりにネットに出ているマヤ暦の「今日の意味」http://www2.voice-system.com/voice/mayan1/user/main.html のページを開いて見た。すると「無意味の中に尊さがある」と書いてあった。すごい。活力を形にせよとも書いてあった。うーん。

では勇気を出して今朝自分の中で言葉になったことを書いてみる。///横のつながり、ひろがりがあって、縦のはたらきがそのつながりの中をつらぬいていくのは喜び。

ぜんぜん人に通じなかったりして(笑)。

1/1 初夢を見た。

水で出来た大きな球のようなものがあった。球の中の水はグルグル回っているみたいに流動的。その中に青い魚が泳いでいる。魚の中でも、時々その球体から外に飛び出してしまう魚がいた。球の外の空の中に躍り出ては、また水の球の中に自ら戻っていって、水の中でまた元気に泳いで向こうの方へ行った。それを、目を丸くして見ている自分は球の外にいる。そして子供と一緒に居た。宇宙だと感じて居た。でも感じられた宇宙はまだまだちっちゃくてかわいい。


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