9/18 イラン
この国はジムさんがずっと行きたかったけれど行けなかった国なので、番外編で再度取り上げます。
まずはイランの昨年の大地震はどうなっているのか、そのままになっていたな〜と思ったのでアクセスしてみました。なんと死者は約43,200人にのぼっているそうです。ちょっとすごい…。
倒壊した遺跡アルゲ・バムの写真/イランの遺跡/ヤズド、アルゲバム/東長崎機関アルゲバム_地震を超えて残す記録
こちらは惨状の中でも美しいものを失わない貴重なページ被災地バムからのメッセージ/。人と人の美しい交流こそ、貴重な未来への見えない遺産。
ゾロアスター教を検索していたらゾロアスターの発生の段階から書いたミトラス教の発生のページもあって興味深かった。
9/19 イスラエル
外務省のページを開いて「略史」を見ると、アフリカなど新しい国では国が独立してからのことしか書いていない場合が圧倒的に多い。過去の歴史が無視されていると感じるくらいだ。しかし、イスラエルはちがう。独立するまでの、国というものができるまでのことこそ大切にしていて、それを書いている。
外務省の基礎データを見ていると、この国の中にも穏健派と、強行派があることがわかる。アメリカもそうだった。イスラムの国もそうだ。外から見ると、「その国はこんな感じ」という国の方針が決まっているかに見えるけど、中では色々な矛盾を抱えながらやっている。人間が複雑多様であるのと同じように、国も単純ではない。宗教も教義があって聖典があっても、解釈はいろいろで、いろんな「派」が内在していたりする。だから一概に「これはこう」と表面的に決めつける事は愚か。
グロスマンを読みながら(対話への対話)/中東に降る雪(エルサレム)_エルサレムの観光案内をしてもらったみたいな気分になる。/イスラエル通信/問題の元になったという建国の時に関わるイギリスの三枚舌外交について
9/20 ドイツ
たまたま今日の東京新聞に、ライプニッツについて『人間の憎悪や闘争を解決する為の哲学が必要だと考えた人』という紹介が出ていた。そして彼が生まれた1646年という年は、ドイツ国民の4分の3(資料によっては三分の一とか、三分の2とか、あるいは5分の1になっているものもある)を戦争で失ってしまった宗教戦争のさなかだったという。そんな記事を読んで、いったいドイツってどうなっているんだろうと興味をもって、今日はドイツに来てみました。検索していると、宗教戦争という重大なエポックがあって、ドイツがその戦場になった事が浮かんで来た。
ドイツ30年戦争_受験生用のページ(教科書的な知識ならここへ)。/ルターの宗教改革_神秘体験AとかBとか出てきて、え? なにそれ、と思った。宗教論争のネックらしいのだけれど、神秘体験についてちょっと検索し始めましたが、ちょっとじゃ分からなかった。今日は時間切れで調べ切れなくてすみません。(御存じの方いらしたら教えて)/ で、また30年戦争に戻りますが、傭兵たちの略奪_傭兵戦争として名高いのはこの30年戦争だそうです。しかしてその実体は。経済的見方をすると戦争ってこんな見方があるのだと、ちょっと驚く/30年戦争でずたずたになったドイツが立ち直るには200年かかったという。そのとき38もの小さな諸国になってバラバラであったものを、天才的に統一して行ったのがビスマスク。その手腕はこちら。ビスマルク_ /ビスマルクが統一出来た精神の元には汎ゲルマン主義というのがあり、お隣の国(ロシア)では汎スラブ主義があり、どの国(民族)の人も、我々こそは素晴らしい民族だと主張している。私などはどの民族もそれぞれ素晴らしいと思っているけれど、これが排他主義と一緒になると、戦争になる。極端な片寄りには、必ず反対のものが発生する。
30年戦争のさなかのエリザベート女王とデカルトの書簡が面白かった。デカルトは徹底した物心二元論を主張舌と言われていますが、女王とデカルトの書簡を読むと 、「われ思う、ゆえにわれあり」というのは、それはあくまでも学問上のことで日常生活においては「われ思う、そのまえにわれあり」、だそうで、日常的な生において「心とからだはひとつのもの」だと言っている、と書いてありました。ちょっと嬉しい吃驚。
で、30年戦争終結2年前に生まれ、『人間の憎悪や闘争を解決する為の哲学が必要だ』と考えたライプニッツに戻りますが、正直いってその哲学は単語を見ても取っ付き難く、あまり突っ込んだ検索もできませんでした。でも「ライプニッツ―なぜ私は世界にひとりしかいないのか」という本があるそうで(山内志朗著)、これはタイトルが大変興味深いので、自分は未だ読んでいないけれど、書いておきます。この本の概略(読書日記)をのせてあるページもありました。
最後に、新聞に紹介されていたライプニッツの言葉を引用して、今日は締めくくりたいと思います。『みんな一緒に呼吸している』
9/21 インドネシア
大統領選が行われましゃいたね。このページで調べる事をしていなかったら、ぜんぜん興味もわかなかったけれど、1998年永年のスハルト独裁が終わってから、どうなったかな、と思うようり、検索してみた。メガワティさんが反スハルトで5年頑張ったけれど、貧富の差が広まったとのことで幕が下りました。ユドヨノさんの経歴を見てみました。軍の出身との事で、今後どうなっていくのでしょうか。インドネシア周辺海上テロについてこんなページもあった。インドネシア/平和で検索したら平和祈念集会に80万人参加の記事あり。その他いろいろあったけれど、私は中道路線なのでこの辺で止めておきます。
9/24 常任理事国
常任理事国ってなんだろう、と、無知な私は思ったので、ちょっと検索してみました。まずは 国連安全保障理事会についてフリー百科辞典/日本は常任では常任理事国になるべきでしょうか(外務省トピックス)/pblog関連/asahiニュース/非常任理事国の地図がのっていた非常任理事国訪問ツアー/国連安全保障理事会、リストと各国のイラク問題姿勢/北米・中南米ニュース(メキシコ)/
国連について無知な自分を発見してしまった。ジム・ロジャーズさんは「世界発見」の旅をしたけれど、私は自分の無知発見。あー、うー。でもそんな状況からスタートしても、発見の旅に出ることはできる、のだ。
9/25 ブルガリア
非常任理事国の中にブルガリアがあった。なじみが薄い。(ブルガリアヨーグルトは知っているけど。ついでながらブルガリアヨーグルトの歴史は大変古かった!トラキア人とかシュメール人とかのはるあか昔からの食べ物ですって。ロマンチック)サイトで検索して、歴史など読んでいても、なじみのない人物の名前ばかりで、なんでこんなになじみが薄いのか、不思議になってしまうくらい。ロシアとトルコのはざま。取り合えず、今日は歴史/ブルガリア盛衰記/のみご紹介。同じサイトでスラヴ人の事も出ていた。(スラヴ人についても全然知らない自分をまた発見)。時間が無いので、すみません、今日はこれにて。
ぜんぜん話しは飛びますが、ジムさんの漫画の資料でアイスランドの本を見ていたら、アイスランドで西半球と東半球の地球プレートが別れているそうなのだけど、最近、そのプレートが、日本で再びぶつかっている事がわかったそうな。(本当は、すでに皆さん御存じの常識だったのかしら。私は全然知らなかった。)日本てやっぱり面白いのだ。
9/26
非常任理事国の情報が古くてすみません。2004年からまた新しくなっていました。ブルガリア、カメルーン、ギニア、メキシコ、シリアに替わって、アルジェリア、ベナン、ブラジル、フィリピン、ルーマニアが新しい非常任理事国。
でもせっかくだからギニアのイラク反応_/ギニアはフランス圏でイスラム教徒が90%の国。アフリカでは安定した国らしい。ネットで見る限りは。
ルーマニアのイラク関連/ルーマニアってかつて石油産油国だったのですね。知らなかった。歴史は大使館のページに。ず〜っと戦争みたい。他の国もそうみたいだけれど。平和が長かった日本は珍しいのですね。
10/1
ジムさんの本の中で、中国の「宋」のことを商業的に栄えた(資本主義的)都市として大変たたえていたので、宋について検索してみたけれどなかなか思うようなページに出会えず、「開封」という都市の名で検索したらユダヤ人の足跡がでてきた。北宋時期に製作されたと言われる「清明上河図」は当時の様子を知る参考までに。私は都市の様子を書いた日本の絵はあちこちで見書けていましたが、宋時代の都市の絵は初めて見ました。書き方としては日本のものとよく似ていますが(というか、日本人が宋の絵を学んだのですが)、味わいに差があって面白かった。海外のものを見て、初めて自国の質感を自覚できる。
歴史については北宋/宋の時代など。それから開封の概況というページを見たら、な、なんと開封は「東京」とも呼ばれたと書いてありました。 100万人都市で夜も明かりが絶えなかったそうな。宋についてまだ私はよくわからないけれど、武人政治にかえて文官による政治体制を確立した国だそうだ。
10/2 華僑
華僑についてよく知らないので調べてみた。華僑の歴史。横浜中華街のページには日本の華僑の歴史も。私は中学高校の時、中華街に歩いていける程の距離の学校に通っていたけれど、彼等について何も勉強する機会はなかったし、学ぼうとも思わないままきてしまった。(大人になって2〜3回、食事に行った事がある程度)ユダヤと華僑に学ぶお金持ちになる本はいろいろたくさん出ているし、ちょっと勉強した方が良いみたい。アメリカでは華僑に不安感があるらしいと言う記事も見た。なにかとユダヤ人と比較されるけど、彼等を学ばずに経済生活をしてきた自分はアホだったと今さら思う。
ユダヤ、華僑のみならず、インド人、アラブ人、アルメニア人が出て来るページがあった。タイトルも「商人の矜持」というので開いてみた。経済上手の人々のバックボーンについて書かれているのだけれど、江戸時代の井原西鶴「日本永代 蔵」まで出て来て興味深かった。本間宗久の故郷、酒田に行くと「日本永代 蔵」に出て来たお店(鐙屋)がそのまま残っているので、私としてはこの辺りの時代の商人にとても興味がある。江戸時代の商人はかなり儒学を学んでいたみたいで、昨日の「宋」の時代の商人も儒教を大切にしていたという記事を何所かで見た。なにやらいろいろつながっているのかも知れない。