聖寵

___細川忠興と玉子(ガラシャ)の物語り___

玉子と忠興…

はじめに知人が私に話してくれた時、細川玉子(ガラシャ)夫人は、
    切支丹として信心深く、
    美人で頭がよく、
    かつ死をも恐れぬ武士の妻の鏡、
  というイメージでした。
一方、夫の忠興は
    大変残忍で
    嫉妬深く
    「家」を守る事に異常な執念を燃やした
    暴君
  ということでしたが、
私は「ちょっと違うんじゃないかな」と感じ、調べはじめたのです。

調べていくと、戦国時代の人と触れあっていけるようで、とても楽しくなりました。
忠興さんも玉子さん(ガラシャさんの本名)も大好きになりました。

本当は長篇で書きたかったのですが、取りあえず正味54ページ(全体で58ページ)にまとめましたので
書きたい事は断片的になってしまい、ちょっと失敗作かもと正直言って思うのですが(すみません!)
それでも、押し付けるみたいで恐縮ですが(笑)、お読みいただければ幸いです。

私の漫画をきっかけに、忠興、玉子夫妻とお話してみてください…。昔の日本人って現代人より素敵です。


歴史的事実

玉子と忠興とは16歳の時、織田信長の仲人で、結婚しています。


忠興の父藤孝は、足利義晴の御落胤との噂があり、朝廷とも密接な関係だったようで、また古今集の秘伝継承者という、同代一流の文化人でありました。
忠興は家を守る事に固執していたと評する人も多いようですが、守らねばならぬ程の家柄だったのでしょう。格式の高い家に嫁いだ玉子さんは苦労されたと思います。

玉子さんは別名「細川ガラシャ夫人」として有名です。ガラシャは洗礼名で、24才の時、夫に無断で(!)洗礼を受けました。なかなかでしょう?(この無断で、というのが)
玉子さんは1563年、明智光秀の娘として生まれています。
そうです。あの織田信長を本能寺の変で殺してしまった明智光秀の娘です。

信長を倒した後、光秀は娘婿の忠興が自分の味方をしてくれるものと頼みにしていたのですが、忠興は光秀の願いを無視して、秀吉側につきました。嫁の玉子さんの気持ちやいかに、ですね。でも戦国時代ですから、気持ちなんかかまっている暇もなく、謀反人の娘として殺されるかどうかの瀬戸際でした。

あとは、私の漫画をお読み下さい(笑)


後書きより

玉子と忠興が新婚生活をおくった京都、長岡の「勝竜寺城」を訪ねた時
折しも雨だったのが小止みになり、
ダイアモンドのような美しい光いっぱいに包まれる経験をしました。

こんもり繁って青々とした山と、光を含んだ大きな柔らかい固まりの雲が
抱き合うように存在し
お堀の水も、水鳥も、空気も、街も、天も地も全て溶け合い
一つとなって、ひたすら「きれい」と感じました。

この深い感じの「きれい」ってなんなんだろう、と私は思ったものです。

その日私は大阪である方の講演を聞き
「一」の世界 という言葉を学びました。
異質のものが一つになる…。
一つになった世界は私にとって深い意味で「きれい」と表現できると思いました。

玉子と忠興は「一」の世界に今いるのでしょうか…。

                                  森生文乃


この作品はウェブまんが雑誌「UTATE」に掲載中

http://www.web-manga.jp/utate/