越後上越
天地人ゆかりの地 おすすめ観光ルート
越後上越 天地人博

「義」を貫いた戦国の名将 上杉謙信の跡を継ぎ
「愛」を掲げた直江兼続が主人公の大河ドラマ
越後上越の地を舞台に繰り広げられ「天地人」の
世界を紹介します。

大河ドラマ「天地人」のスタジオセット再現のほか、
ドラマの主人公・直江兼続公や上杉謙信公のほか、
春日山城・御館の乱に関する展示、
天地人シアターなどで「天地人」の世界へ

会場:直江津屋台会館
期間:1月17日(土)〜12月20日(日)
春日山城史跡広場


調査によって確認できた土塁や堀、道などが
復元され、中世の春日山城を体感できます。
監物堀に植えられたカキツバタは、
5月上旬が見頃です。
ものがたり館


上杉謙信公や当時の春日山城の様子など
大型画面のビデオで紹介しているほか
川中島合戦屏風や発掘調査の出土品も
展示しています
春日山城史跡
春日山城は越後守護上杉氏の戦時の要害として
南北朝の頃に築かれたもの。
守護所のある府中(直江津地区)からは約4qの
距離にあり関東・北陸・信濃への交通を監視する
要衝に位置し城は守護代の長尾氏が代々守っていた。

戦国の名将 上杉謙信公
享禄3年(1530)、
越後守護代長尾為景の末子として生まれる。
母は一族の栖吉城(長岡)主、長尾顕吉の娘、
虎御前といわれている
幼名を虎千代、14歳で元服して景虎といい、
32歳のとき関東管領上杉憲政から家督を継ぎ、
政虎と改名して上杉姓を名乗る。
さらに同年将軍足利義輝から一字を賜って輝虎と改名。
謙信という号は林泉寺の宗謙の一字を授ったという。
林泉寺

「第一義」とは禅の書籍に記された語句で、
釈迦が悟ったあらゆる事物の真理を表すとされる。
宝物殿に収蔵されているこの額の実物は、
謙信の直筆だとされている
謙信の祖父長尾能景が父重景の菩提を
弔うため明応6年(1497)に建立。
謙信は7歳から14歳まで、名僧天室光育の下で
厳しい文武の修行を積んでいる。
謙信が戦国武将のなかでも特に教養が高く、
信仰心が厚いのは、この時代に培われた。
五智国分寺


聖武天皇の勅願によって建てられた
国分寺の場所は不明だが、
今の五智国分寺は謙信が現在地に
再興したと伝えられる。
境内には三重塔や1997年に再建
された本堂などがある
鮫ケ尾城跡

謙信が武田信玄の進出に対し、
信濃方面への備えとして築いた山城。
御館の乱で景勝軍により敗走を余儀なく
された景虎は、小田原へ落ち延びる途中
にこの城で自刃。
26歳の若さで悲運の生涯を閉じた
関山宝蔵院跡


関山三社権現の別当寺として大いに権勢を
誇っていたとされる関山宝蔵院。景勝が
治めていた時代に、織田信長の家臣・森長可に
よって焼き討ちにあったともいわれる