整理整頓が苦手で放りっぱなしにしていたので アナログレコードが随分集まってしまいました
筋金入りのコレクターではありませんし ビニールの袋も捨ててしまうタイプです 
また デュアル社のオートチェンジャーで聴いていましたので 中身とジャケットが違っていたり なかなか整理が進みません
       

過去に取上げたものはこちらに移しました
                   
毎月何枚かピックアップする予定です

‘10 No.23 GOTTA-GOTTA-GOTTA-GOTTA-GOTTA...

 
Sings Soul Ballads / Otis Redding / 1971年
PopsやChart育ちの私が最初に手にしたOtis Reddingは 御多分に洩れず The Dock Of The Bayということに。 そして The Monterey International Popで Ravi ShankarとともにFestivalの評判になったのをきっかけに AlbumのLive In Europeを入手。
(当時 私の周りにいたうるさ型たちは 楽器を壊すThe WhoやJimi Hendrixを色物扱い...)
その後 Otis Blueとともに このAlbumが再発売された時に2枚一緒に購入。 ただ まだまだ若輩者だった私には このAlbumは地味に思え 滋味を味わう境地に達したのはしばらく後ということに。

日本盤解説より 鈴木啓志先生。
 このLPはオーティスにとって2枚目、ヴォルト・レコードにおける一作目に当たる。タイトルにあるように、このLPは主としてソウル・バラードを集めたもので、一見変化に乏しいように見えるかもしれないが、逆に言えばオーティスの真髄が聞けるものとして高い価値を持っている。
(中略)
 一枚目のLPに比べると、オーティスがほぼ彼のスタイルを確立したことが感じられるが、実際この1964年から65年頃までの彼が、シンガーとして最も充実していたと確信する。ぼくの好みから言ってもこのLPは、次の"Otis Blue"(Volt 412)、"Soul Album"と並んで最も好きなLPの一枚で、少しでも多くの人に是非聞いていただきたいと思う。

中村とうよう翁同様 私の苦手な啓蒙型解説ですね。
なお私はFor Your Precious Love, I Want To Thank You, Come To Me, Keep Your Arms Around Me , Mr. Pitifulと名曲・名唱揃いのSide2の方をよく聴きます。
‘10 No.22 Moody Bluesはずっと現役?

 
Question Of Balance / Moody Blues / 1971年
日本では 次の「童夢」がThe Story In Your Eyesのヒットもあり好評を博したのですが 私は地味な扱いなこの一枚で満足してしまいました。 この辺りが「British Rockが分からぬ奴」と揶揄される所以。 ただ このAlbumも1970年のAlbum Chartでは 「Cash Box: 10/24 3位」「Melody Maker: 9/26, 10/3 連続1位」(日本盤解説より)とそれなりに評判を呼んだAlbumなのです。

ニューミュージック・マガジン 1971年 2月号 今月のレコード (P110)
評者: 北中正和 評点: 85点
歌詞もなんとなくつかみどころがない人生問答のようなものがわりとしつこく出てくる。そのあたりから、このグループは少々けむたがられ気味のようだ。でも、これはそんなに肩をはって聴かなければならないレコードではない。
と割合醒めた見方を。

一方 一つ上の世代の木崎義二御大(山下達郎氏以前のBeach Boysの大家)は
ニューミュージック・マガジン 1971年4月号 ロックアルバム100選(P104)
メンバー五人の音とオーケストラとのコンビネーションも抜群。ストリングスの導入にも何ら不自然さは感じられない。調和された演奏をバックにしたコーラスと彼らのメッセージ。それでもなおデビュー当時抱いていた若さのビートを失ってはいない。
とかなり高評価。

お察しのとおり 私はどちらかと言えば北中選手に近い感想を。 これは「サテンの夜」に接した時の「クラシックとの融合というよりムード音楽のようだ」と胡散臭さを感じたことが尾を引いているのでしょうね。
‘10 No.21 Cohen氏は引退宣言から37年

 
Live Songs / Leonard Cohen / 1973年
「閉店・店じまいセール」や「プロレス引退興行」は今でこそ一般的ですが 当時の初心な私は Cohen氏の引退を信じ込んでいたと思います。 キャンディーズのランちゃんスーちゃんや都はるみさん さらに最近の伊達公子さんやF1のシューマッハ氏の復活も平然と受け入れ 「少年メリケンサック」を心ゆくまで堪能することが出来るのは Cohen氏のおかげかも。

日本盤解説より 三橋一夫先生。
...そして、もしかしたらこれがレナード・コーエン最後のアルバムになるかもしれない。
 というのは、『メロディー・メイカー』紙1973年2月24日号は、ロイ・ホリングワースがレナード・コーエンに会ったときの記事をのせている。ホリング・ワースはコーエンと"インタビュー"をするつもりだった。だが"インタビュー"の途中で、コーエンは「ぼくは音楽を離れる......」と言った。
(中略)
 「永久に消えるかどうかは考えていない......いろんなことは片付けた。することは残っていない。コンサートもない。なんのかかわりもない。人はぼくをビッグ・スターにしようとするかもしれないが、ぼくには、もう別のプランがあるのだ」
 「ぼくがやりたかったことは、レコードを作り、それを大勢の人に届けるということだった。ぼくが書いてきた歌は、人々の運命にかかわることであって、ぼくはプライベートな思いをもっていなかった。ぼくの仕事は人々のためだとわきまえていた。だが、実際にはそうは行かなかった。レコードが人々の手に渡るのは何年もかかった。ぼくは"マーケット・プレイス"にまきこまれ、思いもしなかった"成功"にかかわることになってしまった。....また初めからやり直すよ。ぼくは自分のしたいことをしてたんだから。」

宇多田ヒカルさんも水嶋ヒロ・絢香組もあと30年は頑張っていただきたいですね。
‘10 No.20 Roger Chapman氏は引退興行中

 
Red Card / Streetwalikers / 1976年
Chapman/Whitneyとは Family時代のMusic In A Doll's House(1968年)からの長いお付き合い。 結局このAlbumまで 全ての音源というわけではありませんが だらだらと聞き続けてしまいました。
とは言うものの 何事にも潮時というものはあるもので このAlbumが我が家で最後のRoger Chapman。 そもそも米国盤で シールド開封済みのままという随分とぞんざいな扱い。 このAlbum以降 購入を控えたのは 別に冴えない中年男(Chapman氏 1941年生まれ この時点で まだ35歳...)に嫌気がさしたのではなくて Side1の4曲目Between Usの歌詞のせいかも知れません。 そもそもChapman氏はMusic In A Doll's Houseの時点で既に毛密度に些か問題を抱え いわゆる老け役の菅井きんさんや北林谷栄さんや飯田蝶子さんのような御仁。 Joe Cocker氏やPhil Collins氏の先駆者ということに。
話がそれてしまいましたが Between Usの歌詞。

Mussolini ― hung up down Schicklgruber ― lost his frown Hirohito ― gave in and bowed We got the Japs and Jerries too The Eyeties met their Waterloo Broke up many a commie coup Between Us.

もっともChapman氏は独逸でそれなりに活動の様子。 独逸国民はAdolf Schicklgruber (Hitler)と決別しているということでしょうか。 それに比し ここで昭和天皇をムッソリーニとヒットラーと一緒に語られることに違和感を持ってしまう私は 第二次世界大戦に対する認識に中途半端なものがあるようです。 そもそも 私は米国の焼夷弾と原子爆弾には負けたが 英国(中国や朝鮮や露西亜も含め)に負けたという認識が希薄なのかも...
‘10 No.19 頑張れ! 北中選手

 
The Clash / Clash / 1979年
この時期 北中選手は業界及び社内の力関係か ニューミュージック・マガジンの批評欄で貧乏くじを引かされているようです。(初期の板倉マリさんのようです) 評価の定まっていない勃興期のPunkを担当するのは 明らかに荷が重そうです。 大御所たちでさえ敬遠する中 仕方なく担当しているのではと...

ニューミュージック・マガジン 1977年8月号 今月のレコード (P197)
評者 北中正和 評点84点

 ダムドに続いてイギリスのパンク・ロック御三家のひとつクラッシュのアルバムもいよいよ登場することになった。
 このレコードでとりあえず気に入ったのは"アメリカには退屈してる"とか、"ロンドンは燃えている"というようなタイトルの曲があったこと。彼らがどこまで本気なのかわからないが、ツッパリにせよハッタリにせよ悪あがきにせよ"ロンドンは燃えている"なんてことを彼らが口ばしるにいたった状況にはやはり興味をひかれてしまう。
 あごがはずれてつばがいっぱいたまったようなボーカル、決してうまいとは思えないぶっきらぼうなコーラス、ラフに鳴りまくるハードなロックン・ロールがほとんど。(以下略)

北中選手が妙に「上から目線」なのが 虚勢を張っている感じがして微笑ましいです。 ちょっと痛々しいか...
もちろん私が入手したのは 1979年の米国盤ということで 世間一般の評価が定まってからです。 当時 臆面もなく即座にPunkに反応したのは かの英国ものの重鎮であらせられた大貫憲章先生ぐらいだったのでは。 なお 米国盤にはDenny, Cheat, Protex Blue, 48Hoursが入っていないのですが なんとIn Hammersmith PalaisやClash, City Rockers, I Fought The Lawなどが入っているのです。
‘10 No.18 Bob GeldofはBono同様 ノーベル平和賞を狙っているのだろうか?

 
A Tonic For The Troops / Boomtown Rats / 1979年
取り敢えず いつもの通り 手っ取り早く「ニューミュージック・マガジン」の引用でお茶を濁そうと思ったのですが...

ニューミュージック・マガジン 1978年10月号 今月のレコード (P179)
評者 北中正和 評点89点
(前略)
ストラングラーズやセックス・ピストルズほどスケールは大きくないけれど、ユーモアのセンスがあって、ほっとするのである。
(中略)
  ラモーンズ、ブルース・スプリングスティーン、キンクス......聞く人次第で、ブームタウン・ラッツには、いろんな先輩の影が重なってみえるだろう。

これは困りました。固有名詞の羅列なので 人によっては音像が掴みにくいかも。そもそも私が購入したのは米国盤なので 曲目が違っていました。

お口直しに 矢吹申彦さんのデザイン評を。(P210)

又、大らかといえば、ザ・ブームタウン・ラッツの『トニック・フォー・トゥループス』の、15分もかからずに仕上げたのではないかと想わせる、大まかな風景画と可笑しなメンバーの整列写真のコラージュが、これまたシンプルかつユニークで面白い。

こちらの方は分かりやすいです。
Bob Geldof氏ですが Band AidやLive Aid以降は 日活ロマンポルノ出身の宮下順子や美保純のように敷居が高くなってしまいました。「哀愁のマンデイ」がいけなかったのでしょうか。
それはそれとして Rat Trapは New JerseyのBorn To Run、博多のTwo Punksと並んで ダブリン(首都ですが)という地方都市に生息する若者の閉塞感や苛立ちを象徴する名曲だと評価しております。 河口湖の初日の出暴走や沖縄の成人式のような感じか... 
‘10 No.17 Sister Rayは超えられない

 
Daydream Nation / Sonic Youth / 1988年
インディーズ時代最後のAlbumとのこと。

別冊宝島5月号増刊号「海外リアル・ロック名盤カタログ」
(1989年 JICC出版局刊)
第11章 90年代へ向かうロッカー達――ロック新世代(P190)
 先日来日を果たし、壮絶なステージを展開したソニック・ユース。例えば、スプリングスティーンが「表のアメリカ」を象徴する存在であるならば、彼らは裏街道の星である。REMが制御された知性と叙情であるなら、彼らはコントロール不能の衝動、理性と狂気の狭間を彷徨する詩情だ。ソニック・ユースこそはロックのロックたる部分、ロックの根源的な姿を体現できる唯一のバンドである。
 ソニック・ユースは81年にニューヨークで結成された4人組で、このアルバムはフル・アルバムとしては5作目にあたる。ステージでの、ひたすら突進し、破壊し、自爆するかの如きオキテ破りの衝動はここではやや抑えられ、破壊の果ての叙情、混沌の中のリリシズムといった趣を持っている。彼らのデビュー以来のモチーフとは、あらゆるカウンター・カルチャー、サブ・カルチャー、さまざまな抵抗運動のすべてを生んだ60年代のエッセンスを取り入れていくことである。自分たちを取り巻く現実、病めるアメリカの病巣を理屈でなく皮膚感覚で告発し、そして静かに「否」と歌う。
 彼らにあるのは、未来を信じ、その可能性を力強く、確信をもって押し広げていこうというポジティヴな姿勢だ。つまりここには、ロックの未来が詰まっているのである。(小野島大氏)

残念ながら永年Rockを聴いてきた爺は 何度目かの揺り戻しという感じがして「ロックの未来」は見えませんでした。 きっとBeatの扱いにもう一段の進化を求めたのでしょうね。 もちろんSister Rayに衝撃を受けて以来 大好きな音であることは確かです。
‘10 No.16 Lady Gagaも超えられない史上最凶のポスター

 
Controversy / Prince / 1981年
前作Dirty Mindで Rock Fanにはある程度受け入れられたものの 日本の真摯なSoul Fanからはまだまだ異端扱いで 私も遠慮がちに聞いていた時期。

ミュージック・マガジン増刊 ミュージック・ガイドブック 1983
黒人音楽 人名辞典(P201)
プリンス
ミネアポリス (ミネソタ州)出身の若きマルチ・プレーヤー。彼は黒人だが、音楽的にはソウルなどよりもロックの方が距離的に近い。それだけに、現代の若い黒人達の意識の重要な部分を、彼が代弁しているのではないか。YMO的なピコピコ・サウンド、幼稚な政治論、屈折した性表現、猫ナデ声のヴォーカル、といった点がかなりうけていることは確かである。これまでに5枚のLPがワーナーから出ているが、プリンスがただの異端で終わるかどうか、答えはもうすぐ出るはずだ。
(藤田)

「ニュー」が取れた「ミュージック・マガジン」時代は それ程熱心には購読していなかったので このAlbumの評価がどうだったのかは記憶にありません。 ただPrinceが日本に上陸した当時は 旧来のSoul/R&B枠で扱われていたので あまり芳しい評価は受けていなかったようです。 私が「Do,Me BabyはJames BrownのPlease, Please, Pleaseの伝統を受け継いだ楽曲である」と訴えても 真摯なSoul Fanにとっては 当時としても些か古めかしい表現の「ピコピコ・サウンド」「猫ナデ声」に加えて 「ギョイーン・ギャイーンのサイケ風ギター」は生理的に受け入れがたいものがあったようです。 さらに拒否反応の最大の要因は このAlbumの付録「露悪趣味の極みというべきPoster」にあったと思われます。 セルフ出版の「ウィークエンド・スーパー」などで比較的免疫のある私でさえ 怖気を振るうほどのおぞましさ。 大好きです。
‘10 No.15 60年代 Rock小僧が最初に接したBluesは...

 
The Greatest Hits Of / John Lee Hooker / 1971年
Pops小僧だった私が 最初に接したBluesは  Brownie McGhee & Sonny TerryなどFolk畑を別にすれば AnimalsのBoom BoomかRolling StonesのLittle Red Rooster辺り。 従ってJohn Lee HookerとWillie Dixon(Muddy Waters)が一番凄いBlues Manだと認識。 その後Cream, Doors, Led Zeppelin, Canned Heatなどを聞く中で B.B.KingとかRobert Johnsonという人も凄いらしいとの噂を耳に。

「ニューミュージック・マガジン 増刊 ブルースのすべて」
(1974年11月)
13 Blues Giantsで 故福田一郎御大が取り上げていたのが John Lee Hooker。(P270)
(前略)
 今年の夏、ハリウッドのホテルの一室で、たまたま「ミッドナイト・スペシャル」を見ることができた。ブルース特集で、ホストはB・B・キング。「49年、メンフィスでDJをやっていたころこの人のレコードをよくかけたものです...」。こんな紹介で登場してきたジョン・リーは、相変わらず椅子にへたり込みスタイルだったが、帽子も上衣もロック・シンガーのようにキンキラ。そのうち立ち上がり、マイクを手に腰をシェイクしながら、「ヘイ・ヘイ、ドゥ・ザ・ブギー、ヘイ・ヘイ...」と歌い、かぶりつきの女の子に色目(?)を使うほどの若々しさとサービスぶり。

とのこと。 少し前までは福田御大の「〇〇を見た、会った」という自慢話に感心していたのですが そろそろ鬱陶しく感じてきた頃ですね。
ただ映画「Blues Brothers」に登場したHooker御大の姿に 思わず心の中で「待ってました」と叫んでしまったのは この記述のせいかも。
‘10 No.14 ディランと並ぶ偉大な詩人・作曲家。(帯より)

 
Good Old Boys / Randy Newman / 1973年
帯によると「これぞグレイト・アメリカン・ミュージック!!ディランと並ぶ偉大な詩人・作曲家。あふれる叙情と豊かな感性でアメリカの苦悩する現実をみごとに浮きぼりにした問題作。」とのこと。
そして解説の野口久光先生が冒頭 感嘆符を2度も用いる破格の扱い。

待たれた2年ぶりのランディ・ニューマン。何というすばらしいまごころのこもったアルバムだろう!  懐かしい民謡をきくようなひとなつっこいメロディ、ナウなビートに乗せて歌うランディ自作の歌には、彼が育ったアメリカ南部への郷愁と、ゆがんだ社会への激しい怒り、血を分けた南部同胞へのひたむきな愛がこめられている!

 「セイル・アウェイ」(P-8264R)以来ほとんど2年ぶりのランディ・ニューマンの最新アルバムがついに登場した。  ランディは、たった2枚のアルバムによって既にボブ・ディランと並ぶシンガー=ソング・ライターともくされるだけの実のある作品をおくり出している稀な逸材であり、まさに20世紀アメリカの吟遊詩人ともいうべき好漢なのである。
(中略)
 アメリカ南部の特異な歴史的背景、風土、複雑な人的構成、抜き難い軋轢、そこに住む人々、特に弱い立場に追い込まれているニグロやプーア・ホワイト、そういう人たちを救おうと立ち上がって暗殺された政治家への深い関心をテーマにしたこのアルバムに、私たちはアメリカの若者のなかの良心、知性を感じ、「よきアメリカ」が死んでいないことを知ることができる。

ということで 「やはり、滅多にお目にかかれないアルバム、時々出して聞きたくなるアルバムだ。」とまるで私の感想を装いましたが これも野口久光先生の締めのお言葉をそのまま引用。 一言だけ付け加えれば この後2枚ほど聴き続けましたが 通人たちの絶賛に 一般的な日本人にすぎない私は 腰が引けてしまいました。
‘10 No.13 Two Sidesどころではない多面性

 
The Two Sides Of Sam Cooke / Sam Cooke / 1973年
A面がGospelで B面がPopとのこと。
解説は桜井ユタカ氏。

 サム・クックは、R&B / ソウル・ミュージック界が世に送り出した巨人のひとりです。
 彼の残した最も大きな功績は、リズム&ブルース音楽の中に、ゴスペル・ソングの唱法を取り入れ、ポピュラーな形で世に紹介したこと。
 そんなことから、ソウル・シンガーの先駆者のひとりとしても、非常に高く評価されています。天才ソウル・シンガーのひとりであったといっても決して過言ではないでしょう。
(中略)
12年間の歌手生活の内、一般に知られるようになったのは、1957年以降のことで、約7年間が、サム・クックの全盛期といえます。すなわち、名作「ユー・センド・ミー」のミリオン・セラーを放ったキーン・レコード時代の約2年間と、その後のRCAレコード時代の5年間、彼は、超一流のポピュラー / ソウル・シンガーとして活動していたわけです。
 しかし、その前の5年間、実はこの時代こそ、後のサム・クックの基礎を築き上げた時代として、我々ソウル・ミュージック・ファンが注目しなけえばならない時代なのです。
 極言すれば、サム・クックがもっとも純粋に"ソウル・シンガー"であった時代がこの5年間でした。

実のところ 私は元々軟弱なPops Fanなので 桜井先生おっしゃるところの真摯な「ソウル・ミュージック・ファン」の嗜好とは かなり隔たりが。 ゴスペル(Gospel)に限らず ケチャ(kecak) Reggae(Rastafarianism) クリスチャン・ロック(Christian Rock) 天照皇大神宮教(踊る宗教)などの高揚感を共有できず ついつい後ずさりを。
したがって Gospel(with Soul Stirrers)では Jesus Gave Me Waterはよく聞きますが 結局LovableなどのPop Sideの方に愛着が... 結局私は「British Rock」だけでなく「Gospel」もわからない奴なのでした。
‘10 No.12 「奇妙な果実」の呪縛

 
Songs For Distingue Lovers / Billie Holiday / 1957年
録音が1957年1月ということなので 波乱の生涯を終える2年半前ということに。

死のカタログ ミュージシャンの死とその時代 ニューミュージック・マガジン2月増刊号(1979年)
ロックンロール幕開けの裏にある死 湯川れい子(P16)
 1950年代から60年代後半にかけてのアーティストの死の中で、社会的に大きな意味合いを感じさせてくれたものが幾つかある。
 中でも最も強烈だったのは、1959年7月のビリー・ホリデイの死であった。
(中略)
 このビリーの死を知ったのは、私が最初「黒い肌」という邦題で出版されていた「奇妙な果実」を読んだ後のことであり、ビリー・ホリデイという歌手の存在を知って、深く傾倒してからのことであったので、ビリー死亡の報に接した時には、張り裂けそうな怒りで、身内の血が逆流したのを覚えている。
 病院が、その身元不明の黒人女を、ビリー・ホリデイだと知ったのは、死亡確認の為に、警察の手に依頼してのちのことだったと云われており、ビリーには墓を立てる金もない、というので、私もいくばくかの小遣銭を、苦労してドルに替えて、ニューヨークのどこだかに送ったものであった。

私は 20年が経過しても揺るがぬ純粋無垢な正義感の吐露に思わずちょっと後ずさり。 これは土井たか子さんや福島瑞穂さん さらに蓮舫大臣に合い通じるものが...
FMで聞いた 歌うというより独特の節回しで言葉を置きに行くStars Fell On Alabamaが耳に残り Album購入に至ったというところ。 実はStrange Fruitも 最初に聞いたwith Tony Scott & his Orchestra(1956年)の方が印象に残っています。 Pet Soundsから入信したBeach Boys信者のようなものでしょうか。
‘10 No.11 プリティーズの最高傑作????

 
Pretty Things / Savage Eye / 1975年
私にとって Pretty ThingsというGroupは 芸歴は長いが どうも正体のつかめぬ怪しげな人たちという先入観が拭いきれませんでした。 とどのつまりは それなりに関心はあったということになり このAlbumも不気味な目玉に惹かれ いわゆる衝動(Jacket)買い。 ところが 意外に真っ当な音作りに 正直少し失望して処分を検討しておりましたが ニューミュージック・マガジン誌上のBritish Rock界の重鎮「大貫憲章御大」の絶賛を見て手元に残すことに。 やはり私はBritish Rockの真髄がどうしても分からないようです。

ニューミュージック・マガジン 1976年4月号 今月のレコード (P188)
野生の眼 / プリティ・シングス
評者: 大貫憲章 評点: 90点
 ワーナー・ブラザーズから、ツェッペリンの主宰するスワン・ソングへ移籍してからのプリティーズは、実に小気味の良い優れたレコード作りを行なって来ている。このアルバムは、彼らがスワン・ソングから発表する2作めのニュー・アルバムだが、その出来はかなり良い。
 確かに、ハーヴェスト時代の「パラシュート」とか「SFソロウ」といったアルバムは、当時の時代性を反映した、意欲的な音楽創作への姿勢を示した佳作だった。しかし、それらは、結果的には成功しなかった。そうした事情を考えてみると、彼らが商業的な成功をつかんだのは、そのデビュー当時の一時期と今日そして明日の二期に分けて考えられる。今日の彼らの成功(実際はまだ進行中)の最大の要因は、いかにわかりやすく聴かせるかという基本的な音楽創作の姿勢を再確認したことにあろう。作品的には、ハードなものと、アコースティックなものとに大別出来るが、どちらも満足のいく仕上がりだ。 とりわけACなどは、まったく非の打ち所のない典型的なブリティッシュ・スタイルのロックン・ロールで、ギターのソロ、リフ、リズム、ヴォーカルとどれも最高。シロかクロか、ハッキリしたプリティーズの、これは最高傑作と言っていい。

久方ぶりに聞き直してみましたが 35年経っても 私にはBritish Rockの真髄が分からないまま...
‘10 No.10 本当はContoursと勘違いしたのかも...

 
Controllers / In Control / 1977年
空前のディスコ・ブームの予兆を感じつつ 良識派のSoul界の重鎮であらせられた桜井先生は こんなAlbumを紹介していたのですね。The Hustleでお馴染みのVan McCoyに言及するあたり 先生のディスコ・ブームに対する警戒感が伝わってまいります。

ニューミュージック・マガジン 1977年 9月号 輸入盤紹介(P169)
評者:桜井ユタカ
 南部からのボーカル・グループのデビューは久しぶりで、いまソウル・ファンの間ではザ・コントローラーズ、ちょっとした話題になっている(?)夢を見てしまった!
 ミシシッピーのジャクソンにあるマラコ・スタジオで録音され、フレデリック"ミスター・ロンリー"ナイトがプロデュースしているんだから、まあソウル・ファンとしては食指をそそられるところだ。
 バン・マッコイがトム・モールトンの悪魔のディスコ・ミックスを使ってニューヨークで作ったっていうのとは月とスッポンほどの違いがある。
...このコントローラーズもブルーノーツ・イン・マラコ・スタジオってところがある。でも、ぼくは、ブルーノーツ・スタイルってかなり好きなので、本当言うと少しも気にならないんだ。むしろ逆に、気に入っているからこそ、このページで紹介しているのである。  リード・シンガーの声は、ドラマティックスのL・J・レイノルズやブルーノーツの元のリード・シンガー、テディー・ペンダーグラス、トランプスのジミー・エリスたちのあのダイナミックスさに少し丸みと甘さを持たせたタイプの声で、非常に、いい味わいの、ソウル・ファン向きの声だ。バックの連中はこのリードをサポートするくらいでしか、今のところ役に立っていないけれど、まあそれはそれでいいと思う。...

Up TempoのPeople Want Musicなども良いのですが やはり必殺・長尺Slow BalladのHeaven Is Only One Step AwayやSomebody's Gotta Winが印象に残ります。なお この頃の私は良識派Soul Fanのふりをしつつ こっそり何年振りかでディスコに出没を。
‘10 No.9 NMMでのMMEBの高評価

 
Manfred Mann's Earth Band / Watch / 1978年
GreeneとRowanの去ったSeatrainのLast AlbumがWatchだったこともあり このAlbum Titleには少し警戒。 ただニューミュージック・マガジン誌上では 妙に高評価だったと記憶。

ニューミュージック・マガジン 1978年6月号 今月のレコード(P200)
ウォッチ / Manfred Mann's Earth Band
評者: 小倉エージ 評点: 93点(100点満点)
 「光に目もくらみ」もそうだったが、今回もイントロのキメが特に素晴らしく、文句なしにひきこまれてしまう。そしていったん耳をとらえたら離さないというか、聞かせどころが随所に配されていて、じわじわと盛り上げていき、オーヴァーではなくスムーズに、自然にドラマチックな展開を見せていく。巧みに計算されつくしたアレンジ、サウンド・プロダクション。それは冷徹で、クールなのだが、決してイヤミな感じがしない。そのクールさやストイックな感じは、イギリスのグループならではのもの、彼らならではのもの。演奏やアレンジのうまさだけではなく、それ以上の何かに惹かれるし、感心させられる。

他にもNightingales And Bombersは大貫憲章御大が90点(NMM誌 1975年11月号) Roaring Silenceは中村とうよう翁が92点(NMM誌 1976年11月号)と高評価。
実は私も Manfred Mannは昔から好きなようで Siteのそこかしこに痕跡が。 Do Wah Diddy Diddy, Free Me, Manfred Mann Chapter Three, Volume Two, The Roaring Silenceなどなど... NMM誌の評価が高いのも 60年代から慣れ親しんでいる評者が多いことに原因があるのかも。 このAlbumでは John Simon & Robbie RobertsonのDavy's On The Road AgainやBob DylanのMighty Quinnの再演が目玉商品のようですが 私はCirclesとChicago Instituteに反応。
‘10 No.8 AjaとGauchoの評価の微妙な違い

 
Steely Dan / Gaucho / 1980年
Eagles / Hotel California同様 Steely Dan / Ajaも一世を風靡。 金字塔を打ち立てた後のAlbum制作というのは なかなか大変だと思います。 私の場合は The Long Runは購入を控えたのですが Gauchoは購入。 そしてレコードの紹介や宣伝を生業となさっている方にも それなりの苦労が。
小倉エージさんの場合

ニューミュージック・マガジン 1977年12月号 今月のレコード(P203)
彩(エイジャ) / スティーリー・ダン
評点90点(100点満点)
...ただここでは演奏のよさにまけて"歌"の魅力にやや欠けてしまっていること、それに、いくつかの作品では"歌"と演奏が切り離されているような印象をうけるのが気がかりといえば気がかりなのだが、それにしても得体の知れないということでも相変わらずのようである。

と思いのほか 辛口の評価をしたのに懲りたのか 3年の歳月を経たGauchoの時には 帳尻合わせに...

ミュージック・マガジン 1981年1月号 アルバム・レヴュー(P213)
ガウチョ / スティーリー・ダン
評点10点(10点満点)
これはもうキマリ・ワン・パターンの曲といい、簡潔にして周到なアレンジといい、豪華でぜいたくなミュージシャンの使いっぷりといい、文句のつけようのないひとつの形式美なわけ。段取りのよさはさすがというか、それをわかっていて、やっぱりすごいと思うのネ。ぼくの思い入れが過ぎるってこともむろん承知で下記のような点数と相成ります、ハイ。

Ajaの時と違って 評価の定まったSteely Danなので 心ゆくまで褒めちぎっている様子が中々微笑ましいと。 また 「思い入れ」を使う時は 若干自分の評価に自信のない証拠かも。
‘10 No.7 Raggaeの日本上陸は1974年

 
Bob Marley and The Wailers / Catch A Fire / 1973年
Bob Marleyを認知したのは Eric ClaptonのI Shot The Sheriffを聞いた時。 そしてFM放送などで「これはReggaeという音楽で 原曲はこんな感じ」という形で遭遇。 正直なところClaptonの演奏に比べ 長閑で鄙びた印象でした。 ルンバ・マンボ・チャチャチャ・ブーガルーといったラテン・リズムものの一つかと思い 当然 紹介記事などにも あまり関心はありませんでした。 ニューミュージック・マガジンの「今月のレコード」評も見過ごしていました。

  ニューミュージック・マガジン 1974年4月号(P189)より
評者: 桜井ユタカ 評点: 82点
  "レガエ"のグループとしては初めて紹介される"本物"のザ・ウェイラーズ。
 ぼくも、このアルバムで初めて彼らに接したのだけれど、このレコードで聞ける音が、ジャマイカで本当にすごい人気なのだろうか。
 1曲目「コンクリート・ジャングル」や「400年」のような曲が人気があるとしたらぼくの先入観は大間違いということになる。
 何か、もう少しストレートに、明るく楽しい雰囲気を期待していたのに.....。もっとも何年間もレガエ(前はレギーと呼んでたけれど...)のレコードなど聞かなかったので、ジャマイカでも、どんどん新しいタイプのレガエが誕生しているのだろう。
 「ストップ・ザット・レイン」なんかは親しめるレガエ・サウンドだと思う。バックにスッチャ、スッチャというリズムが入っているけど、全体に小ぢんまりとまとまりすぎているようだ。もっと荒さがほしい。

当時の様子が良くわかりますね。 結局私も1977年頃Punk勃興の中で Reggaeに興味を持ったというのが正直なところです。 このAlbumも多分Exodusが発売された頃に購入したと思います。 そしてLiveとRastaman Vibration辺りを甘言を弄して 友人に購入させた覚えが。
‘10 No.6 大貫憲章先生が語る米国Rock 第3弾!!

 
Journey / Look Into The Future / 1976年
邦題は「未来への招待状」。 ニューミュージック・マガジンでは 1978年1月号で 70年代末期Punk/New Waveの勃興など些か時代の潮流を掴み損ねた時点ながら「アルバム100選 70年代のロック」という特集を。 ところがあの大貫憲章先生が なんと稀代のVocalist Steve Perry入団前のこのAlbumを その中の1枚として取り上げていらっしゃいます。(P74)
(一応Graham Parker & The Rumour, Sex Pistols, Patti Smith Group, Television辺りは掲載)

 ジャーニーの2作めに当たるアルバムである。ジャーニーは、サンタナのオリジナル・メンバーだったキーボードのグレッグ・ローリーと、一時期サンタナに参加した若手ギタリスト、ニール・ショーンの出会いによって生まれたグループ。このジャーニーの魅力は、強烈なビートとタイトなリズムに貫かれた上での、まさに突き抜けるハイな感覚のめくるめくニールのギター・プレイとグレッグの重厚でソロウなキーボード・プレイだ。透明感溢れるこの瑞々しいハード・サウンドがジャーニー最大の武器だ。(ソロウはメロウの誤植かも)

British Hard Rockが低迷していた時節柄 American Hard Rockの解説で糊口をしのいでいらっしゃったご様子が垣間見られますね。
 
ついでにSex Pistolsについての大貫憲章先生のご託宣(御託ではなく託宣の尊敬語です 念のため)も紹介。

 70年代のイギリスでの最もセンセーショナルなロック・バンド、それがセックス・ピストルズ。ツェッペリンのジミー・ペイジをして「ヘンドリックス以来の衝撃」と言わしめたニュー・ウェイヴの旗手としてピストルズの果たす役割は大きい。
 このデビュー・アルバムはクリス・トーマスのプロデュースによる記念すべき作品だが、ひたすらエネルギッシュだ。これこそ真のロックン・ロールだ。パンクもニュー・ウェーブも関係ない。実によく出来たアルバム。ジョニー・ロットン、最高。

「ツェッペリン」「ヘンドリックス」「クリス・トーマス」と旧来の70年代Rock Fanの認知度の高いArtist名をさり気なく散りばめているところが心憎いですね。
‘10 No.5 引用の引用

 
Lee Wiley / Night In Manhattan / 1951年
先鋭的なM. I. A., Santogold, Lady Gagaといった女性陣の頑張りに御執心だった私ですが Marina & The Diamondsの登場でそろそろ手仕舞いの予感が。 まあ Madonnaを起点にBjork辺りを経由したとして捉えれば 熟成された芳醇な展開ということになるのかも。 70年代末期のKate Bush, Nina Hagen, Lene Lovichといった流れに比べると 確固たる潮流と言えそうです。
もちろん Fugees, Lauryn Hill, Erykah Badu, India. Arie, Mary J. Blige, Jill Scott, Destiny's Childという路線はBeyonce, Christina Aguileraまで連綿として引き継がれ その反作用としてNorah Jones, Karrin Allyson, Diana Krall, Madeleine Peyroux, Neko Caseが輝きを増し そろそろまた普遍的な女性歌手を聞きたくなり Lee Wiley姉御のAlbumを引っ張り出してきた次第。
そして 佐藤秀樹氏の解説から油井正一先生 佐伯克己氏 レナード・フェザー大先生のLee Wiley観を拝聴。

 ところでリーワイリーの魅力についてだが、彼女に関しては油井正一氏による「新橋の名妓的存在」という名言がまず頭に浮かぶ。これが熱心なワイリー賛美者でもある佐伯克己氏によると、彼女は「亜米利加版永井荷風乃女」となり、その歌は「江戸褄の格式、または長襦袢に伊達巻のあだっぽさ」となる。もっとも、こうした言葉さえも説明しなければならなくなった時代でもあるのだが、要約すれば、ワイリーは粋と洗練さを兼ね備えた大人のシンガーということになるだろう。魅力的なハスキー・ボイスとやや紗のかかった独特のヴィブラート、そして何よりも私達の心を包みこむ暖かい情感。レナード・フェザーはこうした魅力を次のように紹介している。「ハスキーでお色気ある暖かさ。彼女の豊かなヴィブラートこそ最も確かな素質である。優れた曲の選択能力と歌詞に対する感受性溢れる表現力がこれに加わっている」。

解説の佐藤氏でさえ 大御所のお言葉を引用なさっていらっしゃるのですから 私ごときが付け加えることは全くございません。 何はともあれ 帯の「都会の夜、シャンペンノ泡と仄暗いランプの下での洒落た語らい・・・。 リー・ワイリー、良き時代の香り・・・。」と解説の巻頭「ボーカル史上に輝くリー・ワイリーの代表名盤!」を補記しておけば必要充分かと。
‘10 No.4 150 Hitsですが 160曲 1曲あたり3円の格安物件

 
Mary Wells etc. / 150 Motown Hits Of Gold / 1985年
おまけの1枚10曲入りを含めて 全9枚160曲。 延収録時間8時間44分18秒(1曲平均3分17秒)。 厚さ4センチメートル・総重量2.15キログラムと 厚さ5センチメートル・総重量1,96キログラムの「小津安二郎ー人と仕事ー 蛮友社刊」にほぼ匹敵する大迫力。 ふらりと立ち寄ったブックオフにて500円と投げ売り状態だったので 思わず救済。
1曲あたりは3.125円ということで 暮しの手帖44(2010年早春2−3月号)1頁あたり4.839円(900円 186頁)や噂の真相2000年6月号(470円 144頁)1頁あたり3.264円と比べてもかなりの割安ということに。(もっとも定価はわかりませんし 暮らしの手帖や噂の真相の中古価格は知りませんが...)
それはさておき Jimmy Ruffin / What Becomes Of The Brokenhearted, Marv Johnson / I'll Pick A Rose For My Rose, The Elgins / Heaven Must Have Sent You辺りは 私にとっては1曲あたり3.125円での未知との遭遇ということで とても新鮮な響きを満喫。
そして 音源確保という意味では Commodores / Machine Gun, Syreeta / Your Kiss Is Sweet, Miracles / Love Machine(Part 1), Charlene / I've Never Been To MeなどTape音源もなかったものを 1曲あたり3.125円で調達することが出来たので かなりの満足感が。
ただ 80年代に入ってのTeena Marie, Mary Jane Girls, DeBarge辺りは 若干小粒で正に1曲あたり3.125円相当という感じで 組織が疲弊しつつあることが窺われます。 
‘10 No.3 Live At The Colossem, Johannesburg

 
Shadows / The EP Collection Volume Two / 1990年
See For Miles Recoadsから発売されたもの。 1967年 日本初来日時に録音した「想い出の渚」「銀色の道」「君といつまでも」が収録されています。 本当は CDの方が手軽で良かったのですが たまたま遭遇したのがVinyl盤というところ。 私は 音源さえ手に入れば 媒体には拘りはないようです。 そのお目当ての音源は アパルトヘイト政策に何の疑問もなかったと思われる1961年のSouth AfricaはJohannesburgでの実況録音。 後々 Suncity出演が批判される時代の訪れなど予想もしていない 罪悪感は微塵も感じられぬ 躍動感溢れる溌剌とした演奏。 (日本でも 南ア進出企業やゴルフの青木功さんが批判されましたね)
因みに1980年から1985年頃のSuncity出演組を見てみると
Elton John, Leo Sayer, Cliff Richard(単独?), Gloria Gaynor, Rick Wakeman, Cher, Kenny Rogers, Dolly Parton, Frank Sinatra, Queen, Barry Manilow, David Essex, Rod Stewart
などなどまあ納得のいく顔ぶれ。
生まれ変わったChicagoやアンクル・トム(名誉白人?)然としたGeorge BensonにShirley Bassey辺りも まあまあ想像の範囲内という感じが。
さらに別のSiteにあった Linda Ronstadt, Julio Iglesias, Dionne Warwick, Laura Braniganにもそれほどの驚きはありませんでした。 ただO'JaysとRay CharlesにTina Turnerも出演していたとの表記には少し驚きました。  まあCharles氏やTurner姉に関しては 世代を考えれば 有り得ぬことではないと思い直しましたが Ship AhoyのO'Jaysは俄には信じ難いものが。 改めて 米音楽業界の底知れぬ強かさのようなものを感じた次第...
それはさておき 和もの3曲は 当時流行のFolk Rock風にいとも容易く変貌 この「私たちは如何なるご要望にも たちどころに対応出来ます」という安易な姿勢に反発しつつも その職人魂(技)に半ば感服。
‘10 No.2 「不屈の民」「ベンセレーモス」抜きのキラパジュン

 
Quilapayun / Les Flutes Chiliennes / 1975年
今日的な社会問題に言及し社会改革を目指すヌエバ・カンシオン(新しい歌)運動の担い手として また「不屈の民」や「ベンセレーモス」や「チェ・ゲバラのエレジー」といった革命歌?などでお馴染みのようですが このAlbumは初期の作品(1969年?)なので 幸か不幸か社会主義色は控えめです。
ということで 永田文夫先生の解説を。

 南アメリカの太平洋岸にある細長い国チリの生んだすぐれたフォーク・グループ、キラパジュンが、母国チリをはじめ、ペルー、ボリビア、アルゼンチンなどに伝わるトラディショナルなフォルクローレに、自分たちの創作曲をも含めて、みごとな歌と演奏を聞かせます。伝統を守ったオーソドックスなスタイルの中にも、このグループならではの若々しい気迫と現代的な感覚がみちあふれ、私たちの心に、さわやかな共感をよび起こさずにはおきません。
(中略)
 このようなキラパジュンの活躍のバックボーンとなっているのは、權力に抗し、戦争に反対する、心からの訴えです。デビュー以来、彼らはその歌を通して、チリに社会主義を打ちたてようと努力を重ねて来ました。1970年、社会主義政権が樹立されて、歌声も一段と高くなったのですが、73年のクーデターで、夢はむざんに打ち砕かれてしまいました。しかし、彼らが海外にあって、難をまぬがれたことは不幸中の幸と言えましょう。もし母国に居たならば、ビクトル・ハラと同様、殺されていたかもしれないのです。
(以下略)

もともと私は 正義感漲る社会派の音楽家は苦手で Charlie HadenMike Westbrook Concert BandMC5Jefferson AirplaneClashLinton Kwesi JohnsonCultureBoogie Down ProductionsRage Against The MachineDead Kennedys頭脳警察 など数えるほどしか聞いていないのです。 私は ナンシー関さんが 蓮舫さんに対し放った一言「社会派バカ」ではありませんから...
‘10 No.1 See See RiderはC C RiderでEasy Rider

 
Jimmy Rushing / Listen To The Blues / 1976年
Crooner好きの多いJazz Vocal Fanにとっては泥臭すぎ Moan & Shoutな節回しの好きなRural Blues Fanには泥臭さが物足りなくて(Guitarも弾かないし) 日本では立ち位置がはっきりせず 知名度は意外に低めかと。
ということで まずはJimmy Rushing御大の人と形を 油井正一先生の解説で。

 同じカンサス・シティのアンディ・カーク楽団で働いていた女流ピアニスト、メリー・ルウ・ウィリアムズは、こう語っている。 「ベニー・モーテン楽団で歌っていた頃から、可愛らしい感じのジミー・ラッシングのことはよく知っています。ふつうのブルース歌手とちがって、ジミーは楽譜がよめました。またその当時の歌手は、マイクロフォンの代わりにメガフォンを使って歌っていたものですが、ジミーの声は10ブロックのかなたにいてもきこえました。ジミーは私やバンドメンの妻たちと、とても仲がよかったのです。彼はピアノを弾いて、すばらしいバラードをきかせてくれましたが、またY談の名人で、女性がまっ赤になるのが面白いらしく、私たちを笑わせ続けました」
(ヒアー・ミー・トーキング・トゥ・ヤ P302)

また ビリー・ホリデイとレスター・ヤングが賭博で負けて一文無しとなり ジミーに無心したところ 説教を聞かされた上 お金も貸してもらえなかったとの逸話も披露。
この辺の話は The You And Me That Used To Beの解説でも紹介なさっておいででしたが...

50代前半の歌唱ということで  豪放磊落な歌唱に円熟味が加わり 歌声が心に染み入ります。 そして Buddy Tateの豪快なTenorやPete Johnsonの溌剌としたPianoなどが絡み Freddie GreeneのGuitarにWalter PageのBassとJo JonesのDrumsとCount Basieの鉄壁のRhythm Sectionが支えます。 RockのAlbumですと あまり伴奏者には触れない私が つい伴奏者を列挙し讃えてしまうのは 潜在的なRock / Pops差別なのか。 それとも個々のPlayerの力量や際立つ個性のためでしょうか...
 

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