整理整頓が苦手で放りっぱなしにしていたので アナログレコードが随分集まってしまいました
筋金入りのコレクターではありませんし ビニールの袋も捨ててしまうタイプです 
また デュアル社のオートチェンジャーで聴いていましたので 中身とジャケットが違っていたり なかなか整理が進みません
       

過去に取上げたものはこちらに移しました
                   
毎月何枚かピックアップする予定です

‘09 No.16 Eddie Brigati よりによってGroovin'をCoverの謎

 
Brigati / Lost In The Wilderness / 1976年
Eddie BrigatiはYoung RascalsのLead Vocal。 How Can I Be Sure(邦題 高鳴る心)の歌唱でお馴染みでしたね。 そしてこのAlbumはRascals脱退後 お兄さんのDavidと組んで発表したAlbum。 何故か Young Rascals時代は Felix Cavaliereの持ち歌だったGroovin’をCover。 しかもArif MardinのProduceで... 

ニューミュージック・マガジン 1976年11月号(P184)
輸入盤紹介(北中正和)
A@(Groovin')は、ラスカルズ時代に、エディがフェリックス・キャヴァリエと共作した大ヒット曲を再びとりあげたものだが、オリジナルの鳥の声も入ったのどかな演奏とはうって変わって、ディスコでもかかりそうなナンバーになっている。彼らの書きおろしでないもうひとつの作品、サム・クック作のB@(You Send Me)も、A@と同じ演奏メンバーによる録音で、ストリングスまで配したディスコ風ナンバーに仕上がっている。こういう作り方はあまり好きじゃないなあ。...
...A@とB@を(特にB@を)聞かないようにすれば、いいアルバムだ。

北中選手は 2曲のProducerであるArif Mardinへの言及はないものの Bee Gees変身後のJive Talkin', Nights On BroadwayなどのDisco風味がお嫌いだったことが察せられます。 その上で Gibb兄弟とBrigati兄弟の資質の違いについて言及していれば それなりに評価できたのですが Pops鑑賞力に若干疑問符が。 その辺が 中村とうよう翁、湯川れい子大姉御、伊藤政則先生、大貫憲章先生、渋谷陽一先生、東郷かおる子先生、萩原健太先生たちのように Wikipediaの音楽評論家欄にさえ名を連ねる事ができない所以か。 なお私の場合 Night Feverは苦手ですが Nights On Broadway辺りは好感触。 何時の間にやら 北中選手とBee Geesの話になってしまいましたが このAlbumは Soft Sideの甘露Soul風味が中々心地よく 同時期の「過去の栄光もの」では やはり復活ならなかったKGBと同じくらいの頻度で聞いているかも。
‘09 No.15 ハイドラ ヒュドラー ヒュドラ ヒドラ 八岐大蛇 八俣遠呂智 八俣遠呂知の謎

 
Hydra / Land Of Money / 1975年
Nitzingerに続き 当時すでに英国ものの重鎮であらせられた大貫憲章先生が畏れ多くも採点をしてくださった米国Rockの第二弾!!

ニューミュージック・マガジン 1975年 10月号(P149)より
評者: 大貫憲章 評点: 94点
このアルバムは2作めのものだが、日本ではデビュー盤。力強くはずむリズム、生き生きとしたビート、荒々しくもシャープなギター、説得力のあるダイナミックなヴォーカルとまず文句のつけようがない。ミディアム・テンポの泥臭いラフなサウンドは、しかしポップでもあり、何より味わい深い。いかにも南部のバンドらしいが田舎臭さはなくかなりアカ抜けているのが特徴。タイトル曲がやはり最高の出来。大地を震撼させるハード・ロック・サウンドである。

一方 Rolling Stone誌では
Hydra vocalist Wayne Bruce has his Paul Rodgers imitation down pat, complete with typical Rodgers groans and pauses, and the title cut is concrete proof that not all copies of Steppenwolf's Monster were melted down and reprocessed into McDonald's Happy Cups.

などと Bad CompanyとSteppenwolfとの類似性を指摘。 全くもって余計なお世話ですね。

全部引用で済ましてしまおうかとも思ったのですが 私も一言だけ。 悠揚迫らずI-75をPeterbilt359で60mi/h(約100km/h)運転している時には最高の音楽でしょう。 ただ 曲がりくねった狭い道や信号の多い日本の道路を走るには もう少しTempo Changeをしていただかないと飽きてしまいますね。
‘09 No.14 ショーケンの破滅的歌唱の謎

 
Kenichi Hagiwara / Donjuan Live / 1980年
Charlatans(UK)のTim君がAlbum"Wonderland"で突如発した裏声ほどの批判は浴びなかったものの 後のShanti Shanti LiveやAndre Marlrau Liveなどで顕著に見られる 意図的なのか偶発的なのかも曖昧な珍妙な声が裏返る歌唱はまだ目立ちません。 それでも妙な掛け声や囃し言葉が Side Cの「ぐでん ぐでん」やSide Dの「流れるままに」や「ルーシー」などで披露されています。 さらにJohnny Winterのような喉声にRoger ChapmanやMarc BolanのようなVibratoが 「大阪で生まれた女」や「泣くだけ泣いたら」といった曲でも どしどし挿入され 自由自在に旋律を切り刻んでいます。 表現力は申し分ないのですから もう少し歌唱力に磨きをかければ Rock界の最高峰Avant-Garde歌唱と思しきTim Buckley / Starsailorに肉薄する作品を発表することもできたかと思われたのですが... Young RascalsのEddie Brigati氏やカーナビーツの臼井啓吉氏同様 テンプターズ時代 「忘れ得ぬ君」でLead Vocalでありながら 松崎さんの熱唱の前に片隅に追いやられていた姿を拝見して以来 それなりに聞いていたものとしては 今でもTiltThe Driftと刺激的な歌唱を披露し Thom YorkeくんにJarvis CockerくんやAlex Turner(Arctic Monkeys)くんから尊敬を集めている元Walker BrothersのScott Walker師のような存在になっていただきたいと思っているのですが。 今は いしだ壱成くんに窪塚洋介くんや押尾学くんといった勘違い?アーティストの悪しき手本のような存在に甘んじている状態かも。 先日 「チューボーですよ!」にて久々にお姿を拝見。 「お塩先生・のりピー騒動」の興奮冷めやらぬ中での登場に「今度は大丈夫か?」とちょっと心配になった次第。 なにしろ 前回の交通事故と恐喝事件では 不謹慎にも「ああ 薬ではなくてよかったね」などと独り言ちた私...
‘09 No.13 T.N.K.(Tomorrow Never Knows)の謎

 
Phil Manzanera, Eno.../ 801 Live / 1976年
日本盤の解説は 多分まだ「メタルの伝道師」とは呼ばれていなかった頃の伊藤政則先生。 とはいうものの レコードを聴く前からわくわくさせられてしまう名調子に感服。 曲目解説もきわめて適切。 Web上にも この解説文を下敷きにしたと思しき文章が そこかしこに。 ということで 私もそのまま参照。
「フィル・マンザネラがイーノを筆頭とするスーパー・メンバーでレディングに乗り込んでくる。 彼らの突然の参加によって第16回目を数えるフェスティバルは、にわかに熱を帯びたものになろうととしていたのだった......。
キング・クリムゾンの崩壊後、イギリスにおいてイクスペリメンタル・ロック・ミュージックの欠乏は著しい。 これはロック・ファンである誰しもが強く感じている問題点に他ならない。 しかし、彼フィル・マンザネラが結成したという噂のグループは、そのメンバーの顔ぶれを見る限りでは何かを期待出来そうな、久しぶりに登場したイクスペリメンタル・バンドの薫りに満ち溢れたそんなグループだったと言えよう。」(以下略 '77. 7. 10.)
そして BeatlesのTomorrow Never Knowsも演目に含まれている訳ですが 我々の年代だとSteve Marcusが真っ先に頭に浮かぶのです。 このAlbumに関し 比較対照として登場してこないのが 長年に渡っての私の疑問。 1968年当時のJazz-Rock Fanは 松平さんの二世代前のブラックホークなどジャズ喫茶からロック喫茶への過渡期に散々Steve MarcusのTomorrow Never Knowsを耳にしていたはず。 1968年のLarry Coryell(guitarist), Bob Moses(drummer), Chris Hills(bassist), Mike Nock(keyboardist)を 冷徹にManzanera, Philips, MacCormick, Monkman辺りと比べては何かまずい事でもあるのでしょうか。 単に1968年頃のJazz Rock Fanと1976年ごろの先進的なBritish Rock Fanには接点がないということなのか...
それはそうと もう一人の熱き男ターザン山本さんんはお元気でしょうか?
‘09 No.12 加藤和彦さん自殺の謎

 
加藤和彦 / パパ・ヘミングウェイ / 1979年
実のところ 私は東京育ちだったので 「フォーク・クルセダーズ」より「ジャックス」のほうが馴染み深かったです。 「帰ってきたよっぱらい」より「からっぽの世界」ということでしたね。 当然「加藤和彦」さんより「早川義夫」さんの方に思い入れが。 それでも時代の先取り(パクリ)路線としては 「ムッシュかまやつ」さんとともに その感性を評価していました。
その後も 私は「ミカ・バンド」より「ぼくは本屋のおやじさん」の方に関心が。 私の中ではどうしても早川さんには敵わなかった人という印象を。 ちょっとスケールは違いますが 大江健三郎と江藤淳の関係でしょうか?
肩の力の抜けた「ムッシュかまやつ」なら トノバンのような「自殺」という選択肢はありえないように思うのですが 残念至極。 伊丹十三さんにも感じたのですが こんな洒落者としてのイメージを維持して生活していくと息が詰まりそうですね。 確かに このAlbumも一分の隙もない完璧なAlbum。 唯一の欠点はそのことだと思います。 これがSteely Dan / Aja(1977年)の前に発表されていれば それなりにかなりの評価を受けたのではと思いますが...Resort Musicでありながらも 完成度が高いために ある種の息苦しさに近いものがあるところまでそっくりとは。 正にDonovan(Leitchです BaileyでもFrankenreiterでもありません)のような声質でそっと囁いてくれるスモール・キャフェ、アラウンド・ザ・ワールド、レイジー・ガール辺りには 今でも反応してしまいます。 2枚もAlbumが残っているので ちょっと照れくさいのですが かなり好きなArtist(ちょっと恥ずかしい呼び名)だったのは確かですね。
謹んで哀悼の意を表します。
‘09 No.11 Jimmy CliffとBob Marley師との間に生じた格差の謎

 
Jimmy Cliff / In Concert The Best Of / 1976年
1978年2月 驚天動地のLightnin' Hopkins来日に動揺する間もなく 3月 本邦初演の本格的Reggaeとして華々しく来日。 私としては珍しく 映画The Harder They Comeの観賞に このAlbumも愛聴と 予習も万全で公演に臨みました。 翌1979年4月のある種異様な盛り上がりを示したBob Marley師とは異なり 久々に落ち着いて観賞することができた演奏会として印象に残っています。
特に間奏時 Jimmy Cliffさんのくるりと回転するさまは Bob Marley師の思わず東京農大のように大根を持たせたくなる仕草やI-Threesの郡上踊りのような振り付けなどの土着的な動きと対照的で 実に小粋で洗練された所作で格好よかったです。 昔ながらのSoul Fanとしては 実はJimmy Cliffさんの方が好みだったかも。 ただ 強烈な個性のBob Marley師に平伏し Reggae全般というよりBob Marley信者となった方がはるかに多かったと記憶。
一方 Jimmy Cliffさんは 残念ながらそんな憑依妄想とは無縁だったようです。 さらに このAlbumは代表曲のYou Can Get It If You Really Want, Wild World, The Harder They Come, Many Rivers To Crossなどを収録。 この一枚でかなりの充足感があり 他のAlbumを聴くまでに至らなかった点 良心的ではあるものの 販売戦略としては疑問が残りました。 またAMGのDiscographyのLabel欄を見ても Trojan, Island, Mangoだけでなく EMI, Reprise, Warner Bros. ColumbiaなどなどLabelを転々と渡り歩き根無し草の様相を呈しております。  この辺りに何か問題がありそうですね...
伸びやかでしなやかな澄んだ歌声はRastafarianismの重苦しさがなく 好感触だったのですが少し残念です。
‘09 No.10 Temptations来日中止の謎

 
Temptations / In Japan! / 1974年
1968年の2月に来日予定だったのですが 直前に中止になったと記憶。 多分Otis Williams, Melvin Franklin, Eddie Kendricks, Paul Williams, David Ruffinという顔ぶれだったはずですが...
この件に関して 福田一郎翁が本Albumの解説で言及。
「それにしても、テンプテーションズの日本公演が実現したというのは、複雑な気持ちである。いまから、6、7年も前になるだろうか、マーサ・リーブスとバンデラス、スティービー・ワンダー、それにテンプテーションズと、タムラ・モータウン・レコードの看板スターを集めたパッケージ・ショウが日本公演をするという計画があった。
「マイ・ガール」が、馬鹿当りに当たった直後というタイミングの良さもあって、前売りの消化もよく、大成功を期待されていたのだが、寸前になってテンプテーションズが来日をキャンセルしてしまった。キャンセルの理由は、神様が日本に行くな、とおっしゃったとか、地図でみると、日本はヴェトナムに近いので、大砲の弾丸が飛んでくるおそれがあるとか、子供だましみたいな、まるで理由にならない理由だったように記憶するのだが、宣伝に協力した人間にとっては、なんとも割り切れない、不愉快な思い出となって今でも残っている。
キャンセルの本当の理由は、なんだったのだろう?退団してしまった3人のオリジナル・メンバーの誰かが迷信かつぎで、日本に行っては危険だ、そういって止めたのかもしれないが、とにかく、テンプテーションズノ来日は実現性のうすいものと受けとっていた。」
とのこと。

そんなこともあって 待望の初来日(1973年12月)にも今ひとつ気乗りがしなかった次第。 ところが 人づてに公演の様子を聞くと 思いのほか好評で気になっていました。 その折も折 このAlbumが発売され ついつい購入。 1972年のPapa Was A Rolling Stoneが旋風を巻き起こした直後でもあり 実に充実した内容のLiveで 観覧しなかったことが今更ながら悔やまれます。 この時のLine Upは Otis Williams, Melvin Franklin, Richard Street, Damon Harris, Dennis Edwardsとのこと。 Paul Williamsが自殺したのはこの年(1973年)の8月でしたね。
‘09 No.9 Free解散の謎

 
Free / Live! / 1971年
FreeのTons Of SobsかFreeか定かではないのですが Britishの達人が これからの有望新人ということで Mot The Hoopleとともに私に聞かせてくれました。 ところが私はおざなりに聞いて すっかり忘れていました。 そしてFire And Waterで不用意にも初めて聴いたような発言をしたが故に 聞き咎められ「レコード貸したじゃないか!! お前はBritish Rockが分かっていない」と難詰された痛恨の思い出が未だに心の傷となっています。
そして その友人に連れられ まるで「ひょうきん懺悔室」に臨むウガンダ・トラさんのような心境で 1971年5月2日大手町サンケイホールに向かいました。 ところが Free登場の午前3時半頃 簡素な道具立てからは想像もつかぬ骨太で輪郭の際立つ圧倒的な音圧に吃驚仰天。 髪を振り乱し親の敵のようにStickをSnare Drumに叩きつけるSimon Kirkeに じりじりと後ずさりして 終いにはAMPに寄りかかって口を酸欠の金魚さながらパクパクさせているPaul Kossoff。 どこが顔だかわからないヒゲ面で後ろにのけぞり 力強く歌い上げるPaul Rodgers。 もっとも ひょこひょこ体を揺すり調子をとるAndy Fraiserは若干期待はずれでしたが... そして2度目のアンコールに調子に乗ったSimonくんのStickがAndyくんに当り Andyくんが怒り AMPに八つ当たりしたように思いましたが 後のニューミュージック・マガジン1971年6月号の記事「やってきたフリー 東京での一週間 P54」では
「そのうちサイモン・カークが、角田ヒロ用のドラムを叩き始めた。舞台は少し回りかけては止まり、またもどるというようなことを繰り返している。拍手はさらに激しくなる。そしてとうとう舞台が半回転してフリーのアンプ・セットが前に出てきた。一度切った配線をセッティングしなおすのに、何人もの人が忙しくたちまわっている。いま一度興奮をというわけだ。演奏が始まった。が、結局ギターのジャックの故障から音が出ず、演奏は放棄された。そのときアンディはアンプのスピーカーをベースの柄で突き破り、ポール・ロジャースはマイクを舞台後方に投げつけ、サイモン・カークはスティックを客席にほうり投げた。彼が突き飛ばしたバスドラムは、たまたまそばにいたポール・ロジャースに当って傷をつけた。すべてがほんの短い時間でおこったことだ。そして舞台は再び回り始めた。」
とのこと。

いずれにせよ 当時の風潮として乱暴狼藉は大目に見たものの 実は仲が悪いのではという疑念が生じ 残念でしたが その後の解散騒動にはそれほど驚きませんでした。 あのEric Burdon & Animalsの突然の帰国(その筋に脅されたとか)にJohn Mayall(確かDrumless しかもGuitarはHarvey Mandel )の地味な演奏と 英国楽団に裏切られてきた私としては 初めて旬の英国楽団に接した貴重な原体験ということに。 あの夜の衝撃が忘れられず このAlbumやLDもついつい買ってしまった次弟。 あとELPの後楽園にも行きましたが こちらはあまり記憶が...
‘09 No.8 Terry Kath:死亡の謎

 
Chicago / Toronto Rock'n' Roll Revival 1969 / 1981年
John LenonのPlastic Ono Band / Live Peace In Toronto, 1969でお馴染みのTronto Rock & Roll Revivalに於ける初期の演奏。 Chicago Transit Authorityから6曲と"25 Or 6 To 4(邦題: 長い夜)"が収録。 Beatles / At The Hollywood Bowlもそうでしたが Vinyl時代後期にも ついついこのようなAlbumに手を出してしまっていたのですね...
Terry Kathが拳銃事故?で死亡したのが1978年の1月のこと。 我々の年代では Chicagoは批評眼鋭く社会性に富む同時代の若者気質を代弁してくれたBandでした。 もちろん80年代以降の路線転換も 若干の痛みを伴いますが 同世代的に共感できる部分が...そして1971年6月の来日公演を見た者にとっては 髪を振り乱してGuitarを弾きまくるTerry Kathは GFRのMark Farnerとともに強烈な印象を残したGuitarist兼Vocalistでした。 それまでGuitaristというと 何となく成毛滋さんや石間秀樹さんに星勝さん?といった華奢で繊細なImageを抱いていたのですが 生身の米国人GuitaristTerry Kathの腕っ節に吃驚仰天。 体育会・格闘技系のGuitaristという存在に胸が透く思いを。 私がついつい米豪の豪腕型Guitaristに肩入れしてしまうのは この人やMark Farnerとの出会いに原因がありそうです。 
そんな出会いもあり Terry Kathの死亡にはそれなりの衝撃を受けましたが プロレス界に登場したどことなく似通った風貌の偉丈夫Stan Hansenとの出会いで 喪失感は意外にあっけなく癒されました。 小父さんたちは 決して表に出すことできない暴力衝動を Stan Hansenの「ウエスタン・ラリアット」「ブルロープ」「テキサス・ロングホーン」に喝采を送ることで解消していたのですね。 そうそうこのAlbumですが 音は悪いながらも(この手のAlbumの決まり文句)「長い夜」はじめ Terry Kathの暴走気味のGuitarを堪能できます。 因みにDebut AlbumのFree Form Guitarは Jerry Garcia翁のFeedback(Live / Dead)を軽々と凌駕する優れもののImprovisationと高く評価しております。 
‘09 No.7 Chick Corea:自分探しの旅の謎

 
David Holland Quartet / Conference Of The Birds / 1972年
邦題は「鳩首協議」ということで 鳩山兄弟からうっかり連想してしまいました。 最初は年上のSam Rivers氏が「クーニー」で Anthony Braxton氏が「ユッキー」と思ったのですが 二人の演奏は盛り上がってくると 鳩山兄弟の面相ほどの差異はないかも... そして磐石のRhythm SectionのDavid Holland氏とBarry Altschul氏が小沢さんや菅さんや岡田さんに相当するかと。 さらに ここには参加していないChick Corea氏は 麻生さんか東国原さんか。 いや「クーニー」こそCorea氏か... 
それはさておき 我々の年代は Corea氏主宰のCircleを 本当はよく分からないのに背伸びしつつ鹿爪らしい顔で聞いたものです。 まさか直後に Return To Foreverのような親しみ易い音楽をするとは思いもよらぬこと。 厳粛な思いでCircleを拝聴していた者は 半ば梯子を外されてしまった形。 その後の対応に苦慮したことは想像に難くありません。 まあReturn To ForeverがCorea氏の身の丈にあっていたようですね。 Corea氏にとってCircleは 牧伸二師匠の「ヤンナッチャッタレゲエ」ような軽い乗りだったのか それとも総製作費20億円の「北京原人 Who are you?」並みの意気込みだったのでしょうか。 実のところ Corea氏とCircleの関係は 今も昔も私には謎です。 
私はCorea氏の代わりにRivers氏が加わったこちら(鳩首協議)を選択した次第ですが 単純明快で分かりやすい小泉劇場(Return To Forever)に人々が魅了されたのは当然の帰結かも。 結局こちらは 郵政民営化反対派とか守旧派ではなく 生真面目で頑固な岡田路線の敗退という感じか。 Fusionの隆盛とJazzの衰退という潮流をついつい思い出してしまいますね。 
Four WindsやInterceptionなど 枠組みがしっかりしているので Rivers氏とBraxton氏は伸びやかでなおかつ逸脱することない安定した演奏を披露。 また表題曲やNow Here (Nowhere)等で奏でられるFluteの響きも格別。
‘09 No.6 謎のMountain In The CloudsとInfinite Search

 
Miroslav Vitous / Mountain In The Clouds / 1972年
1969年「Infinite Search(限りなき探求)」として発売されたものを 当時のWeather Report人気に便乗して再発売されたのでは。 Infinite Search当時は Vitousの白黒肖像写真が額縁(窓開き)に入った格調高いJacketだったような記憶が微かに。 現代のCD化に際してとられる常套手段さながら Re-Mixを施し おまけでCereckaという曲を加えてあるようです。
大昔のRock小僧としては Wayne ShorterのSuper Novaとともに思い出深いJazz作品ですが まだ子供だったので気軽に買うわけにもいかず エア・チェックか知人から借りたものをオープンリールテープに録って聞いていたと記憶。 そこで再発売は絶好の機会とばかりに 所謂「確認買い」に走った次第。
躍動感漲るMiroslav Vitousの演奏もさることながら Freedom Jazz DanceやI Will Tell Him on Youといった長尺ものでは 電気増幅楽器という特性を生かしたJohn McLaughlinの反則技とも思えるGuitarに衝撃を受けました。 まだ発展途上で残響で音の輪郭が暈けがちのHerbie HancockのElectric Pianoや体力勝負のJoe HendersonのTenor Saxをずたずたに切り裂いていく様が小気味よかったです。 ただ即興的楽句の構築などではColtraneや60年代初頭から活躍しているJoe Hendersonの培った技にはまだまだ及びませんが。
Herbie Mannが 好評を博したMemphis Undergroundを引っ提げ来日(多分1970年)した際 Miroslav Vitousの生演奏に接した記憶が。 Alco弾きを披露してくれたような気がします。 もっともVitousはあまり印象に残らず Freedom Jazz Danceを聴いたような気がしますが定かではありません。 今思うと 私にはSonny Sharrock (g)の印象が強烈過ぎたようです。 
‘09 No.5 謎のAct 1

 
Act 1 / Act 1 / 1974年
しばらく前のことですが 中古レコード屋さんに立ち寄った際 Jacketなど相当痛んでいたにもかかわらず「おっ Act1がある」と思って 何のためらいもなく購入。 ただ 何故「おっ Act1」と思ったのかが長年謎でした。 Millie Jackson / Caught Upは持っていましたが それほどのめりこんだ訳ではなく ProducerのRoeford Geraldにも関心はありませんでした。 我が家に残っていた雑誌類を一通り調べてみたのですが 紹介記事は見つかりませんでした。 もっとも「ニューミュージック・マガジン」も1974年頃には ざっと見るだけになり もちろん 日暮御大の「ザ・ブルース」や「ブラック・ミュージック・レヴュー」なども毎月購読していたわけではありません。 このところ雑誌の引用でお茶を濁してきたのに 今回は種本・出典がいまだに見つからない状態。
と言うことで仕方なく Albumの内容に言及。
Still Water, Friends Or Lover, You Didn't Love Me Anyhowといった濃密なballadは Millie Jacksonの世界を彷彿と。 I Don't Want To Know What You Do To Me, Love's Got Your Mind辺りにはPhiladelphiaとDetroit(Jackson 5)の混じりあった趣が 。
私のお気に入りはGoodbye Love, It's The Same Old Story, Do You Feel Itと言ったちょっと夢見心地の可愛らしい曲や  Party Hardy People, Tom The Peeper, Bump'n From The MiddleなどのSlyを思わせる力みの消えたちょっと惚けた味わいのFunk。
そう言えば Soulの達人とHummingbirdを聞いていた時 「Act1みたいだね」と言われたような気もするのですが 確かなところは未だにわかりません。
‘09 No.4 謎のLinda Waring

 
Nitzinger / Nitzinger / 1972年
邦題は確か「ニッチンガー登場」だったと。 Quicksilver Messenger ServiceのLogoを安っぽくしたようなJacketが印象に残っています。 そして「ニューミュージック・マガジン 1973年3月号」で 当時すでに英国ものの重鎮であらせられた大貫憲章先生が畏れ多くも採点をご担当。 米国ものにもかかわらず それなりの評価をしていらっしゃいます。 
ニッチンガー登場
Nitzinger
(前略)
「ウエストコースト派にしては珍しく本格的なへヴィー・ロック・バンドであり、さらに珍しいのはドラマーが女のコであることだ。 さて、アルバムのサウンドの方だが、トリオという編成のわりに(考えてみればおかしな表現だが)密度の濃い、それでいて大胆な迫力のあるサウンドを展開している。
(中略)
...売りはジョン・ニッツィンガーの豪快なギター・ワークだろう。 ちょっとばかりスタイルとしては古い感じもするが、素直に聞けば十二分に開放的なへヴィネスを堪能できる。」

そして 点数は84点で この号ではSavoy BrownのLion's Shareと同点ということに。

ということで 珍しい女性DrummerがLinda Waring嬢です。  Dale Hawkins / LA, Memphis & Tyler, Texasにもその名が。  言うなれば 森高千里, Sheila E, Karen Carpenter, Cindy Blackmanの先駆者ということに。 ただ現在のお姿(2分42秒辺り)は若干違う印象となってしまいましたが...
そして肝心のJohn Nitzingerは 大貫先生の「ウエストコースト派」発言(冒頭の曲L.A.Texas Boyの所為か)はさておき Doug Sahmとはちょっと違いそうですが Billy Gibbons, Stevie Ray Vaughanと連なるTexas Rockerの先駆者かも。
‘09 No.3 謎のAl Nichol

 
Turtles / Happy Together / 1967年
Happy TogetherのほかShe'd Rather Be With MeやCan I Get To Know You BetterにMe About You,Guide For The Married Manと質の高い楽曲ばかりのこのAlbum。 その中でRugs Of Woods And Flowersという曲は 良い曲というのではありませんが 風変わりな曲想と歌唱で印象に残っています。 邦題は「花でかざった洋服」でKaylan, NicholとTurtles自身による作品。
解説の桜井ユタカ氏によれば 「第1面のラストナンバーは、かなり〉ユニークな曲です。メンバーの二人、ハワード・ケイランとアル・ニコルが作った、ノベルティー・ソング・タイプの曲です。リードシンガーは、いつものハワード・ケイランではなく、アル・ニコルでしょう。とにかく、かなり変わった曲です。」
とのこと。
Flo & Eddieへの布石と言うこともできそうです。
ところでAl Nicholは 日本での1stAlbum「フォーク・ロックの王者タートゥルズ」では
「ノース・カロライナ州ウィンストン・セイラムに生まれた。最初は歌手になる気はなかったが、ロサンジェルスのカレッジに通う中に、将来音楽で生きようと決心。 レコーディング・セッションの際のバンドやナイトクラブ等のバンドで働いていた。身長5フィート10インチ、体重175ポンド、茶色の髪と瞳。好きな音楽はボブ・ディランの曲にバロック音楽、リズム&ブルース。好きなスポーツはバスケット、フットボール、競走。楽器:ギター、ピアノ、ベース、トランペット」
となっていたのですが
日本での2ndAlbum「ハッピー・トゥゲザー」では
「アル・ニコル(ボーカル) 一番子供っぽい顔をしているのが特徴。」
とVocalistとの扱い???Surf KingsのTom StantonのInterviewを読むと TurtlesのGuitaristとしては 彼の才能を発揮し切れなかったのかも...
‘09 No.2  謎のLloyd Baskin

 
Seatrain / Marblehead Messenger / 1971年
Capitolでの2枚目。 Peter Rowan師は Protestant Preacher, How Sweet Thy Song, Mississippi Moonと依然高水準の楽曲を提供。 ところが Andy Kulberg師は GramercyにMarblehead Messengerなど今ひとつ印象が薄く A&Mからの1stに入っていたAs I Lay LosingをLosing All The Yearsと改題しての再演の方が印象に残るほど。 ここへ来て 作曲の才が枯渇したのではと危ぶまれる状況。 ただ演奏に関しては安定感が増し Richard Greene師を筆頭に高水準を持続。
そして最大の謎は Rowan師という稀代のVocalistを有しながら 粘着質で暑苦しい凡庸な歌唱のLloyd Baskinを Lead Vocalに据えているのかという点に尽きると思います。 Capitolからの1枚目でI'm Willin’の主たる独唱者が Rowan師を差し置いてLloyd Baskinとなっていたことには 怒りを覚えたほど。 All Music Guideで検索したところ Lloyd Baskinは「All Movieを参照のこと」と出るので 「太陽に抱かれたい」で鮮烈な歌唱を披露した後 奇術師として再登場するジョニー広瀬さんのような経歴の人だったのでしょうか?
日本では 爽やかだが若干酷に欠ける甘味仕立ての「カントリー・ロック」や「ウエスト・コースト・サウンド」がもてはやされていた時期で Bill Monroe & His Bluegrass BoysBlues ProjectEarth Operaとあまりに由緒正しき出自の面々は 70年代Rock世代には若干敷居が高く 理解しがたいものが。 などと色々論いましたが 同じく1971年に発表されたHot Tuna / First Pull Up Then Pull Downとともに好きなAlbum。
‘09 No.1  謎のRick Grech 

 
Blind Faith / Blind Faith / 1969年
Do What You Likeの間奏におけるRick Grech師のBass Lineは GuitarとDrumsのSoloの狭間で旧来のCream的な流れを分断してしまうところが印象的です。 改めて聴き直してみましたが 謎は深まるばかり。 Jack Bruce師の外連味溢れる演奏を聴き慣れていた当時のRock少年には 衝撃的でさえあったであろうことは想像に難くありません。 Sea Of JoyのViolinにしても Family時代に比しあまりにも唐突です。 Rick Grech師はFamily, Blind Faith, Ginger Baker's Air Force, Traffic, Streetwalkers, KGBなど格式のあるBandに在籍していたのですが 今ひとつ存在感が希薄。 そしてDo What You LikeなRich Grech師に対し疑念を抱いていた当時の日本のRock少年の評価を決定付けたのが 福田一郎翁の文章。
ニューミュージック・マガジン1971年11月号 輸入盤紹介 Seatrain / Marblehead Messenger
「アンディ・カルバーグのベース・ソロは、リック・グレックを目下ベース勉強中と思わせるほど見事だったということである。」(原文どおり P124)
当時はBlues Projectといっても Al KooperやSteve Katz以外はあまり知られていない時代。 また英国の白人Blues Bandと混同され 日本での評価は低かったと記憶。 Flute Thingは知っていても Andy KulbergのBassistとしての知名度はかなり低かったように思います。 ましてやAndy Kulbergが結成したSeatrainなどはニューロック世代には通ぜず 技量で見劣りするとされたRick Grech師に対する日本での扱いは益々ぞんざいに。 侮るなかれとは思うのですが 彼の存在意義はAndy Fairweather Lowとともに 私の中では未だに謎のまま。
 

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