・「『先哲叢談』の荻生徂徠の伝記に『赤貧洗うがごとし』とあるように、貧乏は恥ずべきことではない」。江戸時代中期の儒学者・荻生徂徠は最初芝で塾を開き、『赤貧洗うがごとし』で何も所有していなかったが、増上寺近くの豆腐屋が「徂徠貧にして志有るを憐れみ」、毎日のようにおからを届けたという。この逸話を苦学生に伝え、励ました伊福部昭氏は弟子からレッスン代を取っていなかった。
・伊福部昭氏が「私の作品は絶対に移調されては困る」と仰っていた"理由"として、ピアノやティンパニーなどの倍音を考慮して作曲されていた点、ギターなど弦楽器の開放弦を活かして作曲されていた点などが挙げられる。伊福部昭氏からギター曲《踏歌》を献呈された長男・極氏によれば「開放弦と押弦(おうげん)はテンションが違う」ため、移調すると作曲者がイメージした曲のメリハリの拍の位置が変わる恐れがある。
・2006年2月、伊福部昭氏が他界した直後に藝大図書館から《平安朝の秋に寄する三つの詩》発見に関して伊福部家に電話があり、葬儀で慌しいため日を改めて欲しいと伝えたら、連絡が無いまま翌年同作品発見のニュースが流れた。作曲者は自作として登録しておらず、遺族は楽譜を見せられていない。にも拘わらず、《平安朝〜》は2014年3月まで閲覧およびコピーできる状態にあったらしい。2021年11月、遺族の反対を無視して《平安朝〜》を含むCDが発売されたが、タイトルが間違っていた上、著作権法に違反していたため、2022年1月に販売中止の措置が取られた。 なお、伊福部昭氏長男・極氏には2021年11月発売のCDが届いておらず、内容を確認されていなかった。そこで、次女・姜子氏が藝大図書館から取り寄せた《平安朝〜》の手稿譜と、藍川由美が校訂した楽譜を極氏に送付。その後、2022年4月12日に藍川が録音した《平安朝〜》を著作権継承者全員に送り、作品登録の判断を仰いだ結果、JASRACに作品届が出され、2023年5月31日から有効となった。
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