「伊福部 昭作品による」藍川 由美リサイタル
          
2000年10月28日(土)16:00開演/東京文化会館小ホール


T.アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌(1956)

ティムパニー:長谷川 友紀

U.摩周湖(1992) 更科源蔵 詩

ヴィオラ:百武 由紀/ハープ:木村 茉莉

V.オホーツクの海(1958/1988) 更科源蔵 詩

ファゴット:吉田 将/コントラバス:黒木 岩寿/ピアノ:岡田 知子

W.因幡万葉の歌五首(1994)

アルトフルート:中川 昌巳/二十五絃箏:野坂 惠子

新作(世界初演)  X.「蒼鷺
(あおさぎ)」(2000) 更科源蔵 詩

オーボエ:T.インデアミューレ/コントラバス:黒木 岩寿/ピアノ:岡田 知子

アンコール 編曲初演  「聖なる泉」(1964/2000) 伊福部昭 詩・曲

ファゴット:吉田 将/ヴィオラ:百武 由紀/ハープ:木村 茉莉

伊福部先生との出会い

 はじめて伊福部先生のお宅にお邪魔させていただいたのは、たしか十八年前のことです。当時、私は、日本歌曲を専攻する大学院生でした。芸大の声楽科では、西洋の歌曲やオペラといった、いわゆるクラシック音楽を学ぶのが普通ですが、大学院進学を機に、他民族の文化を修得しようとする前にまず日本語や日本の文化を知り、日本人演奏家としての羅針盤を持ちたいと思ったのです。
 大学院では、瀧廉太郎、山田耕筰、信時潔、橋本國彦……と年代順に作品研究と演奏を行ない、伊福部昭、早坂文雄の世代に辿り着きました。ところが、《アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌》を歌う段になると、アイヌ語の発音指導をして下さる先生が居りません。そこで、伊福部先生に御指導をお願いすることになったのです。伊福部先生は、音更村長の任にあった父上がアイヌ民族の信頼を得ておられたため、少年時代、アイヌ・コタンに自由に出入りできたのだそうです。その当時、見聞されたアイヌの民謡をもとに作曲されたのが《アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌》で、先生は他大学の一学生のために、アイヌ語やアイヌの風習、さらに歌の背景まで、時間を惜しまず、丁寧に教えて下さいました。
 それから一年あまり経って、私はカーネギー・ホールで《アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌》を演奏しましたが、異国の地にアイヌ語が響き渡った時には、ある種の達成感がありました。そして、ヴィオラの百武由紀さんが演奏された《土俗的三連画》とともに、伊福部先生の二作品は他の作曲家のどの作品よりも熱く大きい拍手を受けたのです。

 伊福部先生は、ながく東京音大の学長をつとめられ、その後、大学付属民族音楽研究所の所長になられましたが、私は、その間、先生とお話しさせて頂く機会を得るため、しばしば授業に潜り込んでいました。百武さんのリサイタルで、ヴィオラと独唱とピアノによるブラームスの《二つの歌》を歌わせて頂いた時など、日本にはなぜ室内楽的な歌曲が少ないのかなどと息巻いたりしたこともありました。
 そんな折、東京都交響楽団が伊福部先生の《日本狂詩曲》を演奏することになり、当時、都響首席奏者だった百武さんが曲頭のソロを担当されたのです。伊福部先生はその演奏にいたく感心され、1992年にソプラノ、ヴィオラ、ピアノのための《摩周湖》を作曲して下さいました。詩は、更科源蔵が、アイヌの伝説をもとに民族の悲哀を歌い上げたものです。初演は1993年2月に浜離宮朝日ホール(朝日新聞社主催)にて行ない、同年5月には、作曲者の許可を得てピアノをハープに代えて演奏しました。日本を代表するハーピスト・木村茉莉さんとは、それ以前にファリャの《プシュケ》や、ジョリヴェの《典礼組曲》などで御一緒させて頂いておりましたが、本日も初演者の百武さんともども御出演くださいます。

 さて、伊福部先生は、私が1988年3月にこのホールで行なった伊福部作品のみによるリサイタルのために、ソプラノ、ファゴット、コントラバスとピアノのための頌詩《オホーツクの海》を作曲して下さいました。原曲は、混声合唱及び(ヴァイオリン、ヴィオラを除く)三管編成の管弦楽で、私はこのレコードを聴いて、合唱の一員でもよいから《オホーツクの海》を歌ってみたいと思っていたのです。征圧された民族の怒りは、まるでオホーツク海の風や浪のごとく逆巻き、「民族は何だ、種族とは―」と問いかけてくる更科源蔵の詩は、日本人としての自分に突き付けられた刃のようです。
 本日は、芸大の先輩でデトモルト音大卒業の岡田知子さん、ハノーファ音大を卒業された吉田將さん(読響首席奏者)、芸大大学院の後輩にあたる黒木岩寿さん(芸大オケ首席奏者)が共演して下さいます。
 この《オホーツクの海》の初演を含むリサイタルの直後、ライヴCDが発売されることになり、私も編集に立ち会わせて頂いたのですが、先生は、「この倍音を強くすればティムパニーらしい音色になる」とか、「F音を叩いた時に倍音としてFis音が鳴るので歌いづらかったでしょう」などとおっしゃり、魔法のように音色を変えられるので面食らってしまいました。私はそういった知識や意識すら持ちあわせていなかったのです。幸い、CDは半年後に完売したため、廉価盤を出そうかという話になったのですが、改めて納得のゆくものを出したいと思い、廃盤にして頂きました。カメラータから『伊福部昭・全歌曲』(2枚組)というCDを出させて頂いたのは、その七年後でした。

 《摩周湖》の二年後、伊福部先生は《因幡万葉の歌五首》を作曲されました。この作品は、1994年10月に国府町が因幡万葉記念館をオープンするにあたり、開館記念として伊福部先生に委嘱したものです。国府町といえば、伊福部家が明治時代まで代々神官をつとめていた因幡国の一宮・宇倍神社がある場所で、伊福部ファンにとっては聖地のようなものです。また、同館のメイン展示は、大伴家持と、伊福部家の先祖「伊福吉部徳足比売」であり、先生が開館記念の新作を書かれたのは自然の成り行きでした。
 こうした経緯から、文学にも精通された伊福部先生は、テキストとして、大伴家持の歌四首と、家持の叔母で、妻の実母でもある大伴坂上郎女が、因幡の国司として赴任していた家持を想って詠んだ歌一首を選ばれました。ここに大伴坂上郎女の歌を入れることで、現代の社会通念とは異なる結婚観によって成り立つ男女間の情愛を暗示し、万葉の世界の息吹きを現代に甦らせようとされたのです。
 この作品はソプラノ、アルトフルート、二十五絃箏という編成ですが、二十五絃箏といえば、野坂惠子さんが二十絃箏についで創られた楽器です。伊福部先生は、野坂さんを想定して作曲され、邦楽界のみならず、現代音楽界の巨星でもある先輩と共演する機会を私に与えて下さったのです。フルーティストの中川昌巳さんとは学生時代から共演を通して御指導いただいており、林光作曲のソプラノとフルートのための《道》《子供と線路》《空》では、ステージだけでなく、CDでも共演させて頂いております。

 プログラムの最後は、本日が初演となる《蒼鷺》です。伊福部先生に、今回のリサイタルで何か新作を歌わせて頂きたいとお伝えしたところ、十七、八年前からあたためている詩があると伺い、是非ともこの機会に初演させて頂きたいとお願い申し上げました。しばらくして、編成がソプラノ、オーボエ、ピアノ、コントラバスと決まりました。オーボエなら、1996年の草津音楽祭で共演したインデアミューレ氏にお願いしたいと思いましたが、カールスルーエ音大の教授で、国際的に活躍している彼が《蒼鷺》一曲のためだけに来日してくれるかどうかが心配でした。しかし、彼は快諾してくれたのです。
 そして9月14日、私は完成したばかりの《蒼鷺》のスコアを頂戴しました。その時、先生は、蒼鷺とは、白鷺と違い、群れをなさない鳥だと説明して下さった上で、「更科さんは自分の心が動かないことは絶対にしなかった。この詩の蒼鷺のように、"枯骨"になっても動かないという方でした」と話されましたが、それこそ、十八年前に伊福部先生の門を叩いて以来、私が目指してきた道に他なりませんでした。更科氏の生き方は、そのまま、先生がよく口にされる「動かない時計は一日のうちに必ず正時を打つが、時流を見て動き回っていると、一生、正時を打てないまま終わることになりかねない」との言葉と重なっていたのです。
 私は今、こうした指針をいただきつつ、素晴らしい共演者に恵まれて、今日まで演奏を続けてこられた幸せを感じずには居られません。そして伊福部昭先生のますますの御長寿とご健康を祈念いたしつつ、初リサイタル以来ずっと演奏を聴き続けて下さっている方々をはじめ、このコンサートにお運び下さいました皆々様に、心からの感謝を捧げたいと思います。

藍川 由美

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