ー最近のいくつかの事例、および戦時中の「熱河伝道」から考えるー
問題提起 張宏波さん(明治学院大学)
石田隆至さん(明治学院大学平和研究所)

まず自己紹介の中で張さんは概略次のように述べられました。
“長春に生まれ、子どもの頃、祖父母から「満州」国の話などを聞かされた。祖父は強制連行で働かされた経験がある。周囲に残留孤児も多く、中日国交回復は東北部でも大きな話題だった。学校で、敗戦まで日本はファッシズムだったと学び悪い印象を持ったが、一方で、平和憲法の下で復興し、日本が先進国になったことも知り、憧れも持った。‘80年代日本の教科書や靖国の問題で、何故戦争を美化するのか、侵略戦争をどのように総括したのか、自分の目で日本を見てみたいと思い来日した。日本で研究を始めて、日本人院生とぶつかりあうことがあった。中帰連の元兵士達との交流や資料を公正に学術的に取り扱おうとしてもうまくいかないこともあり、それは言語能力の問題だけでなく、自分が中国人であるからではないかと思った。そして、他者との交流で自分の課題を乗り越えられるのではと思い、石田さんとの共同研究を始めた。中国人の立場に日本側の視点を取入れて、客観的に近づかなければ研究は深まらないと考えている。”“「熱河伝道」については“無人区政策、三光政策が展開された熱河に日本人伝道者は入った。そこで「協和会」という組織に加わり、中国民衆からは浮き上がった存在だったのに、当時の総括がきちんとされておらず、今もって熱河伝道は献身的で、不幸な中国に福音をもたらした。侵略行為とは無縁とされている。”
石田さんは自己紹介も兼ねて次のように話されました。
“留学生のチューターをして、中国人留学生の中にコミニュケーションが困難で困っている人が多いと思った。単に言語の問題や知識の問題ではない。埋め込まれた物の見方、捉え方にギャップがあるからだろう。平和運動の研究をしていたのだが、中帰連のことを聞いて関心を持った。絡み合ったものをほぐしていくのは困難であるが、中帰連の取り組みはユニークで、話を聞きに行った。 日本人学生は史実を知らず、メディアに影響を受けているが、事実を知れば、おかしいのは日本だと気付いていく。”また中国に関する日本メディアの報道姿勢について、方正県の石碑※建立、中国新幹線事故、毒ギョーザ事件等を、日本の原発事故、毒米とはいわれなかった「汚染米」報道等と比較して問題点を具体的に指摘されました。
※中国ハルピン市郊外の方正県に県政府が2011年7月に建立した。敗戦で引き上げ途中で死亡した満州開拓団員を慰霊するもの。
これらの問題提起を受け、質疑・討論を行いましたが発言の一部を報告します。
(熱河伝道に関して)
Q キリスト者は天皇教の下で苦しかったろうに、何故戦争協力者、先兵になりえたのか。
Q 何故、当時彼らは中国に行こうとしたのか。
Q 熱河伝道は日本でどう位置づけられたのか。
A 軍から協力を求められ、軍の保護の下伝道に入った。内部では初期に抵抗もあったが、国家神道は宗教ではなく文化だと説得。強い抵抗した朝鮮半島では百数名が処刑された。
A 何もない所に神の声を広めたいとの思いもあったろうが、軍の思惑を知らなかったとはいえない。戦後の捉え方は問題である。
(日本メディアの報道に関して)
・自分も中国製食品は敬遠してしまう。埋め込まれたものが抜けていないのかも。日本国内の「汚染米」ではカビと言われ、毒ギョーザ事件の毒と同じメタミドホスが入っていたのに報道されなかった。
・日本向け食品は日本企業が作るのに、そのことには触れる報道はなく中国はダメといういい方をする。
・被害の側が方正に「日本人公墓」「慰霊碑」を作っただけでもすばらしいのに・・・。歴史を知らない、見識のなさに情けない思いだ。メディアの世論操作は凄い。
・墓・碑が作られたときは報道せず、壊された時だけ報道する。強制連行や「慰安」婦の慰霊は行わず、広島、長崎、沖縄等が何故ああいうことになったかも考えない。
(共通する問題として)
・ 物事を深く追求しない人間のあり方は戦争に関してだけでなく、今の日本社会でも同じ。
・ おかしい事や過ちに対して物を言わない。
・ 突き詰めることなく手を打つのが日本的解決法になっている。批判と批難の区別もついていず、民主主義的討論が困難である。
沢山の具体的提起や意見交換を通して、考えさせられることの多い充実した分科会でした。私は周囲の人の意見を受けとめ、自分の考えも発信していきたいと改めて思いました。(報告:M)