1項 今月のうた
じぶん
かんがえたことがありますか
自分にできることを
目は 世界をしっかりと 見ることができる
耳は どんなつぶやきも
聞き取ることができる
口は 見たこと 聞いたことを
伝えることができる
足は あなたを待つ人のところへ
つれていってくれる
手は 困っている人をたすけることができる
腕は 傷ついた人を
ゆったりつつむことができる
肩は 疲れた人を やすませることができる
頭は 自分にできることを
考えつくことができる
心は あいての気持ちを
感じとることができる
《レイフ・クリスチャンソン》
スウェーデンの絵本作家
2項 ミニ説法
七月の法話会でご講師から聞いた話しです。
近年、お寺で開催される子ども会で、子どもたちを本堂の畳の上に座らせると、ほとんど体育館すわりをするそうです。体育館すわりとは、ひざを立ててそのひざを両腕で囲む座り方です。
ある地方の寺院で、町主催のサマーキャンプが行われた。
その折、教育委員会の人からお寺の関係者に「正座はさせないで下さい」と申し入れがあった。その理由が世相を反映しています。
昔は児童が学校内で過ちを犯すと、先生は叩くとかバケツを持って立たせるなどの罰を与えました。しかし近年は、叩くことは許させません。大方、正座をさせるのだそうです。
子どもはそうした学校習慣の中で、正座イコール悪いことをしたという思考パターンを持ちます。そうした状況の中で、お寺で正座といわれれば「自分は何も悪いことをしていない」と不平になる。私は、そのご講師の話しを興味深く聞きました。
動物の行動パターンには静と動があります。静の行動パターンを極め尽くしたのが人間です。その静の行動パターンの一つが正座です。
日本の正座はインドにその源流があります。しかし正座はインドに限定されるものではありません。古代のエジペト、ギリシア、中国にすでにあり、礼拝中のイスラム教徒の座位も正座に近い座り方です。
アラブやイランなどでも日常往々にして正座をするそうです。
日本では畳が江戸時代の元禄<CODE NUM=00A5>享保のころ普及するにつれて正座も庶民に広がりました。ただし、この座位を正座とするのは日本だけで、朝鮮での正座は、一側を日本式正座で他側の膝を立て、アラブなども同じく右膝を立てて座ります。
日本の正座は、最も安定していて、次の行動に移りにくい姿勢です。それは同時に、周囲が安心できる環境にあるということの証しです。正座を大切にする文化は、安心できることを、文化の中の大切なこととして位置付けている民族の証しでもあります。
七月の法話会で、もう一つ記憶に残っている話しがあります。
それは「産声をあげて生まれるのは人間だけ」という話です。そういわれて見れば、その通り。産声は、肺呼吸の時の空気の振動によって発せられると聞いたことがありますが、ただそれだけではなさそうです。
そんな簡単な理由だけだったら、シマウマや小動物が生まれ出たときも産声が発せられるはずです。しかし、シマウマが草原で産声をあげて生まれる習性だったら、すぐライオンの餌食になってしまいます。動物は産声をあげないどころか、多くが夜の闇の中で出産します。敵に囲まれているからです。
「産声をあげる」のは、そこに安心があるからです。この「安心」こそが、人間の文化の至宝だといえます。
いつでも、どこでも、どんな状態であっても、安心できる場所や人間関係が求められます。またそうした安心の境地に誘ってくれる教えこそが、真実の宗教なのではないでしょうか。
3項 仏事アラカルト
浄土真宗本願寺派の阿弥陀如来絵像
阿弥陀如来特有のお姿は「後光」と「立像」のお姿です。余談ですが、茨城県に牛久大仏という120メートルある阿弥陀如来像が建立されています。当初、阿弥陀大仏と表記されたと聞きます。ところがこの大仏には後光がありません。周囲から「後光がないのでは阿弥陀仏と言えない」の言葉が寄せられ牛久大仏となったそうです。
阿弥陀仏のお姿について少し学習してみましょう。浄土真宗のご本尊は「真向の弥陀の尊像」といいます。真向尊形は浄土真宗のみで、他宗は私を迎えに来て下さる来迎仏(右に向かう)や、収め取っての引接して下さる引接仏(左に向かう、共に拝者の左右)などがあります。
絵像は本願寺派では背後の光背が上が6本、下が8本描いた絵像ですが、大谷派では上に4本、下に8本の光背が描かれています。共に四十八の光明が放たれ無量寿経に示される十二光が四方にゆきわたる表現がとられています。
名号本尊には、十字、九字、(もしくは八字)、六字の三種(四種)があります。親鸞聖人は十字名号を重視されたようです。帰命尽十方無碍光如来という十字名号は、十方の衆生をさわりなく摂取するという阿弥陀仏の絶対無碍の救いを表現した仏さまです。
左足をやや前に踏み出した「来迎形」という阿弥陀如来像に反し、浄土真宗の阿弥陀如来像は両足を揃えて立つ「等足立像」です。これは『観経』の住立空中尊をかたどっているといわれます。
4項 日程案内
住職雑感
* 当寺住職録音の「浄土真宗本願寺派のお経」CDができました。
ご希望の方は80円切手8枚同封の上、「おつとめCD希望」を書いて送って下さい。
*サッカーアジア大会での中国人サポーターによる騒動が話題となっています。人の不幸を喜ぶ心理は、嫉妬と優越感などが基礎にあり仏教ではこれを「慢心」といいます。この心理は、他人事ではなく、ワイドショーのゴシップ報道と重なります。
七慢心
(1) 慢 自分よりも劣っている相手に対して、自分は相手より優れているといい、あるいは等しい相手に対して、相手と対等だと思う心。
(2) 過慢 相手と同等なのに自分のほうが優れているといい、自分より優れている相手に対して同等だと思う心。
(3) 慢過慢 相手のほうが優れているのに、自分のほうがさらに優れていると思う心。
(4) 我慢 自分は存在する、あるいは、自分の所有物もあるのだと執着することから生ずるおごりの心。
(5) 増上慢 いまだ悟りを開いていないのに、自分は悟りを開いたとおごる心。(仏教では最も禁じられている慢心)
(6) 卑下慢 相手が優れているときに、自分は劣っていると卑下する心。(卑屈になる心)
(7) 邪慢 悪いことをしたのに、それをひけらかそうとする心。 以上