西原つれづれ05012
12.27
当寺の本堂にある説教台は、ミシンの台を改良して、法輪をあしらいつくったものです。布教所のときの原点を大切にと思い、そのまま使っています。台の部分が少し小さいので、大きなご文章箱とそのふたを開いてご文章箱の横に置くと、ご講師の聖典が置けなくなるので、法話会等では、御文章の蓋は、あらかじめ開いたものを置いておくようにしてます。
坊守は、いずれ、ミシンの台にもどして、ミシンの台として処分したいといいます。私は、ミシンの台がお説教の台になったんだから、ミシンの台も喜んでいるというような意味のことを言ったら、ミシンの台よりも、お説教の台の方が偉いのか。とかみつかれました。痛いところを疲れました。浄土真宗の教えは、ミシンの台はミシンの台のまま成仏する教えです。
12.19 このページも「つれづれ」ではなく、今月のコラムになっている状態、思考の貧困さを露呈しています。
ポスト‥に2本原稿を送ってありました。http://www2s.biglobe.ne.jp/~posteios/PROJ_C098.htm
下記に添付しておきます。
Q: 真宗では、木魚を使わないのですか?
A: 木魚は、現在、天台・禅・浄土などの各宗において、読経のとき、打ち鳴らすもので、その名前が示すように、木をくりぬいた楕円中空な、魚に似せた仏具のことです。
なぜ、魚に似せているかといえば、魚は昼夜常にパッチリとしたまぶたを開き、油断も隙もなく勇猛精進の姿が、修行者にとって好模範であるので魚の形を持って戒めとしたようです。
昔は儀式や規律を伝える合図に用いていましたが、近年は、読経にリズムをつけ、また励ますために鳴らします。
浄土宗では、お経を長くよみ、念仏を多く称えることが重要なので、調子をつけるために木魚が必要となります。
ところが浄土真宗では、経を長く読むことよりも、その心を頂くことが主であり、念仏を多く称えることより、念仏に寄せられている阿弥陀如来の願いを頂くこと主ですから、別段、木魚を用いて、励ますこともないわけです。
江戸時代に浄土真宗の和文のお聖教に精通されていた賢蔵(大谷派嗣講・越前浄願寺)という和上がおられました。
この和上が真宗の木魚について、「持ち前の三毒五欲を木魚として称名を相続させよ」と語っておられます。
腹が立ったらそれを縁として念仏し、欲が起こればそれをご縁に念仏する。行住座臥、時と場所を選ぶことなく用いることの出来る木魚だとのことです。
本願寺の御正忌報恩講冊子で
ご往生の西暦表記が変更されます
「人に六字を残してご往生されました」(1262)。
親鸞聖人の往生年月日表記は、昨年まで1262年でした。平成18年御正忌から本願寺発行の報恩講冊子をよく見ると、「1263年」1月16日と表記されています。
これは「弘長2年」という年が、西暦1262年と1263年にまたがり、弘長2年11月28日(聖人のご命日)は、太陽暦の1263年1月16日に相当し、本来の太陽暦換算に変更したためです。
この変更は、本願寺宗主、即如ご門主の「親鸞聖人七百五十回大遠忌についてのご消息」に「平成二十四年一月十六日は宗祖親鸞聖人の七百五十回忌にあたります」と認め、1263年を基点としたことによります。
この年号の問題は、以前から飯茶話しで、「太陽暦換算だと宗祖は91歳」などと話題にされていましたが、あやふやにしてきた問題にメスを入れたものです。
この陰暦から太陽暦への変更は、本願寺だけの問題ではなく、日本の歴史に関ることです。
中外日報の社説によると赤穂浪士の吉良邸討ち入りは元禄15(1702)年12月14日とされていますが、太陽暦換算だと翌年の1703年1月30日です。
親鸞聖人も1262・11月と歴史書には年号だけ太陽暦で月日は陰暦で表記されています。明治5年12月3日を明治6年1月1日に改める以前、陰暦の12月におこったことは、すべて太陽暦で一年足して表記するのが正しいことになります。
今後、日本史の歴史年代表記はどうなっていくか興味のあるところです。
ちなみに教学本部の見解は、弘長2年を表記する場合は1262年で表記し、1月16日まで記す場合は1263年1月16日と表記するとのことです。
以上
12.20 2月に朱鷺書房から「浄土真宗の常識」が出版されます。おおかた今までの原稿をリライトさせたものですが、面白い本です。特徴は、浄土真宗の考え方がしめされていること。金子大栄さんや木村無相さん等の、念仏者の言葉が多く紹介されていることなどです。親鸞聖人のご一生では、先の「親鸞物語」をダイジャスト版で書き下ろしてあります。クロウト受けする本に仕上がっています。またQあんどAを80項目くらい入れて、ご門徒の仏事にも役立つものとなっています。
西方寺のご門徒向けに作ってあります。来年はこの本を行商して歩きます。