西原つれづれ草04.7月
6月

04.7.23

清風54号アップしました。

04.7.22

あれはいつの話しだったかと調べて、記入漏れのご門主の話しがありました。4年ほど前、福岡県田川へ組巡教のお供をした折のことだと思います。朝食の折、本願寺の裏方様の話しとなりました。私が「ご多用でございましょう」と伺うと、「特に3月4月は特に忙しい。そのことになるといつもワープロに向かって挨拶を考えています」とのことです。私の知る限りでも、浄土真宗本願寺派仏教婦人会総連盟総裁、鎮西敬愛学園名誉学園長、浄土真宗本願寺派 保育連盟 総裁、相愛学園名誉総裁、千代田女学園、京都女子学園名誉総裁、社会福祉法人あそか会総裁などのお役を務め、3月4月は、卒業式や入学式、総会なのが開催され、そのご苦労も想像できます。続いてご門主がおっしゃるのには「それと共に何を着ていくかが大変なんですよ」とのこと。私はそのとき、「そんな苦労もあるんだ」とひとつの話題として聞いていました.

 その日は、午前中3カ寺の寺院へお立ちよりし、午後は行事寺院での式典や話し合いが開催される段取りとなっていました。寺院へのお立ちよりは、ご門主のご挨拶、総務の挨拶、その後20分間、私(随行講師)の法話です。随行講師の法話が始まる前に、ご一行は次の寺院へ行き、私は法話後、追っかけて次の寺院へ到着することとなっています。私が2カ寺目のご寺院へ到着すると、まだご門主のお言葉の最中でした。そのお寺の仏教婦人会長さんに案内され、出番までここ度お待ちくださいと裏の書院へ通されました。その会長さんが煎茶と入れながら、私に話し掛けてくれました。いわく「京都・大谷本廟で開催された春の総永代経法要に参加しました。まじかにご門主様、お裏様を拝見しました。いつもお裏様にお会いすると、どんなお召し物を着用しているか楽しみなんですよ」とのこと。朝、ご門主が言われていたとおり、女性の目線は、そんなところにあるのかと感心しました。

翌日、朝食の折、その婦人会長の言葉をご門主に紹介しました。するとご門主いわく「やっぱりそうでしょう。人間というのは本質でないところに目が行きますから」といわれます。本質とは何か。裏方様の入学式の挨拶を例に取ると、どんな挨拶をされたかが本質的なことなのに、それは横において、どんなお召し物を着用しているかに目線が行くということです。

三十二相という仏の姿の中に身体が金色に輝く皮膚であるという表現があります。また阿弥陀如来の四十八願の中にも、「悉皆金色」(わたしが仏になるとき、わたしの国の天人や人々がすべて金色に輝く身となるということがないようならわたしは決してさとりを開きません)とあります。

阿弥陀仏のお姿で「南無阿弥陀仏」に勝る姿はありません。なぜそんな具像崇拝とも思われるお姿になることを願われたのか。阿弥陀仏の救いの目当ては、仏とは何かという仏の本質を求める者ではなく、金か銀か、どうでもよいことを求めて止まない凡夫の私です。その私の凡夫の情をも手がかりとしてでも仏との縁を結ばせたい。そんな願いを起こさせる原因が私の上にあったということです。


04.7.17

先月、前門主がお朝事の折、正信偈の調声で、四首引きされた事はお伝えしました。築地の後輩や友人と、そのことを話題にしていると、前門様が四奉請されたことがあると言う話しが出てきました。本来、四奉請と言うものがあるのですが、本願寺派では三奉請です。「釈迦如来」を2回お勤めして四奉請になったとのこと。

次は輪番のこと。築地本願寺のある朝のお勤め、聖徳太子のご命日で、早引き和讃が勤まった。最後の節のついた難しいほうの回向を読むように経本には指定してある。ところがそのときの日谷輪番が、簡単な節の回向を調声された。若い者は、一瞬、そのままその回向の節でつこうか迷ったと思うが、調声を無視して、みな一斉に正しいあるべき回向の節で勤めた。怒ったのは輪番です。その鬱憤を職員に当り散らしたそうです。職員の、日ごろから抑圧されていた小さな小さな抵抗のような気がします。

先の組巡教の朝食の折、ご門主との会話です。明年の夏までに組巡教の全工程(明年三箇所で終了)が終了する。私「組巡教が終わると、20数年の足跡を、おまとめになることでしょうから大変ですね」。ご門主「そうです。どのようにまとめるか思案しています」。私「エピソードや裏話を披露すると面白いと思いますが」。ご門主「そうだと思います。しかし披露された人が困りますから」。

常に他者を思いやるのがお仕事。そのことが身についているのだと思います。


04.7.9

4日は京都、5.6.7日と福井でした。ご門主の組巡教でしたが、行事寺院の余間が、下記のお達しで、早速、聖徳太子と七高僧を転座してありました。

ご門主からありがたい言葉を一つ伺いました。昨年、九州へお供をした折、「私はアンチ巨人です」とおっしゃったことはどこかに書いたかも知れません。ありがたい言葉と言うのは、「娘から人の不幸を喜ぶんはよくない」といわれ、アンチ巨人を撤回したとのこと。さすが本願寺のお嬢様。私自身学ぶことの多い、組巡教でした。

04.7.1

28・29日と京都でした。住職総参拝という行事の一環で、受講生でした。せっかく京都に来たのだからと、普段疑問に思っていることを総局に尋ねました。

まず1点は、

1939(昭和14)年9月16日発布(甲達第22号)の「聖徳太子奉安様式」を定めた達示(これは本来、寺院内陣において、七高僧が聖徳太子の上座(右余間)に奉安されていたの、不敬であると七高僧よりも上座に掛け軸が奉安するようになった)、を撤回する旨の宗告が出されました。

宗告第8号
 
 このたび、2004(平成16)年5月24日付発宗令第2号による、「宗門が11931(昭和6)年から1945(昭和20)年にいたるまでの15年にわたる先の戦争に関して発布した消息などは、今後これを依用しない」とする主旨をふまえ、また「聖徳太子奉安様式」制定にかかる達示及び「聖教の拝読並びに引用の心得」通達にかかる総局の対応を明らかにするため、ここに別紙のとおり「宗門における戦後問題への対応に関する総局見解」を告知する。


宗門の最高法規たる「浄土真宗本願寺派宗法」が1946(昭和21)年9月11日に発布、翌1947(昭和22)年4月1日に施行されており、その附則第100条において「本宗法発布以前に制定され、現に施行中の諸規則で、本宗法施行に際し、本宗法及びこれに基く諸規則に抵触しないものは、本宗法施行の日から1年以内、その効力を有する。」との経過措置が講じられました。
 従って、これ以前の1886(明治19)年に発布された「宗制寺法」に基づく全ての諸法規は、遅くとも1948(昭和23)年4月1日には、全て失効しているものであります。

とお達しがありました。

そこで総局に質問したのは、聖徳太子絵像は、右にかけるように、絵の構図が如来の方(左向き)を向いているので、左余間にかけようがないが、如何。

総局の返答は、聖徳太子奉安様式」制定にかかる達示は、すでに遅くとも1948(昭和23)年4月1日には、失効している。その後、制定された「法式規範」で右余間と定めたので、右余間のままでよいとのこと。

総局の答えは、理屈には合ってると思って、寺に帰り「法式規範」を改めてみれば、そんなことはどこにも書いていない。「左右の世間に聖徳太子、七高僧の像をかける」という大雑把な定義のみ。総局も苦し紛れに言ったなと思った次第です。

2点目には、昨年、発行された「勤式集」収蔵の「阿弥陀経」の昌読音について。これはまだ納得していない個所が一箇所あり。

3点目は、「勤式集」の誤字等の訂正個所について。これはプリントをもらってきましたが、小さいものばかりですが20箇所近くありました。