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車人形上演風景


『魅』 『操』 『演』
 竹間沢車人形は幕末間近の安政年間(1854〜1860)に埼玉県入間郡三芳町大字竹間沢の前田家に伝わった人形芝居です。この人形芝居の特徴は、大型の人形を一人で操り、ケツグルマという轆轤車を用いることにあります。
 人形芝居が伝わったきっかけは、竹間沢村の里神楽師、前田左吉(芸名:左近、1838〜1886)に二宮村(現:東京都あきる野市二宮)の古谷平五郎の娘ていが嫁いできたことです。古谷平五郎は説経師、6代目薩摩若太夫として名高く、ていもまた説経節を語ることができ、嫁入り道具として人形芝居用具を持参してきたため、前田家に人形芝居が定着しました。
 前田家はていの実家、特に古谷平五郎の養子、吉田安平(芸名:冠三郎)に操り方を習い、やがて前田左吉は吉田三芳という一座を名乗り、各地で興行するようになります。初代の左近、左近の子である二代目の民部の時(明治時代)に全盛を迎えた車人形は、大正時代になると、浪花節・新派劇・映画に押され、またていが亡くなるということもあり、次第に衰退し、時代の中に埋もれていきました。
 断絶していた車人形が復活するのは、最後の興業よりおよそ五十年後のことになります。昭和46年、埼玉県教育委員会の人形芝居緊急調査により、前田家より人形芝居用具が発見されます。また、二代目民部の子である信次、近が存命であり、彼らの記憶から操り方を学び、車人形が伝えられています。
興業の木戸札 人形芝居用具一式
興業の木戸札(現在の入場券のようなもの) 人形芝居用具一式

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